49 水晶妃-氷と狼の物語-

 

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二人の男は 真っすぐに 相手を見つめて向かいあった。

かつて 敵対する状況の中でさえ 互いを認め合った両雄は
総てのしがらみから放たれた今 旧友のように笑みを交わした。

 

「ご無事でしたか」

「・・お前もな」

遥かな時を隔てた再会。 男たちの言葉は少なかった。

どちらも 相手の年月に激動の嵐が吹き荒れたことを
互いに試練を命がけで くぐり抜けてきたことを知っていた。

 


豪奢な広間での応接を断って 小此木は 御大が好んだ座敷を望んだ。

座布へ落ち着いた元中佐は 懐かしそうに周囲を見わたした。


「相変わらずの豪邸だが ・・天井が少し変わったな」

「さすがのご記憶ですね。 韓国戦争で部分的に被災して 補修いたしました」

かなり忠実に復元したのだが この人の眼は欺けないか。
ジホは 柔らかく微笑んだ。 小此木の衰えぬ観察力が嬉しかった。


「朝鮮動乱。 大変な戦禍だったな」
「はい」
「ソウルが陥落したと聞いて ・・お前たちの身を案じていた」

「ご心配を お掛けしました」


ジホは 小此木が臆面もなく「案じていた」と言ったことに胸を突かれた。
海の向こうで この人は 自分たちの無事を祈ってくれていた。


「・・正直を申しますと。“小此木中佐”に再び会えるとは 思っておりませんでした」

「ふふ、俺は 特高にまで“百鬼”と呼ばれる強面だったしな」
「・・・」

「だがな。俺はまさに“百鬼”の故に こうして生きているのだよ」
「?」 
「情報将校だったのだ、私は。 それも ・・特命の内部査察官だ」

「・・・」


連合軍は 戦後総括として我が軍の実情を把握・分析しなければならなかった。
その為に 情報を多く持つ俺を処刑する訳にはいかず 

「・・刑を減じたという訳さ」


ジホは わずかに眉を上げた。 小此木の言葉には自嘲する響きがあった。

忠義な男の悔いを見ていられなくて ジホは からかう口調で言った。

 


「・・どうりで 脇構えをなさったわけだ」

「?!」

「総督府の中佐様ともあろう御方が 手の内を隠すような剣を使うのが
 実はあの時 腑に落ちなかったのですが なるほどやはり曲者でいらした」
「こいつ! 貴様こそ狼のくせに 生意気に正眼に構えおって!」
「忘れていただいては困りますね。 あの手合わせでは 私が 勝ちました」


2人の獣は 一瞬 睨み合い やがて同時に笑い出した。
遥かな夜に真剣勝負で打ち合った記憶が 互いの胸を揺らした。

「今一度貴方にお会いすることできて 本当に 嬉しく思います」

「・・ああ そうだな」


———-

 

酒肴を言いつけようとするジホを 小此木は手を上げて制した。


「まずは肝心の用を達せねば」
「・・ご用 ですか?」
「ああ。私は これを届けに来たのだ」

御大に約した時から 随分と遅くなってしまったが。

「?」

 

居ずまいを直した小此木は たずさえて来たケースを開けて
中から 上質のたとう紙に包まれたものを ジホの前へ置いた。


「これ・は・・。日本の着物でございましょうか?」

「開けてくれ。 瀬尾中将閣下が “最後の時”を前に私へ託した品物だ」

「?! ・・では・・瀬尾様はやはり・・」
「あのご身分では どうしようもなかった」
「・・・」

その上 閣下は裁判で強い抗弁もされなかった。

「責任をお感じだったのだ。 逝かせてしまった数多くの部下に対して」

「・・・」

 


沈む空気を払うように ジホの指がたとう紙を開けた

中には 見事な大振袖が 一振り光を放っていた。


「こ・・れは 素晴らしい品ですね」

「西陣で特別にあつらえさせたものだ。顎が落ちるほどの値段だよ。
 ・・瀬尾閣下のお嬢様の 花嫁衣裳になるはずだった」
「“だった”?」
「病気で亡くなられたのだ。式まで半年もなかった。閣下が朝鮮に赴任する前年だ」

「・・それは お気の毒な」

 

御大には2人お嬢様がいて これは 次女の晶子様のものだ。

「“晶子”様・・」

「聞き逃さない奴だな。 ああ・・水晶と同じ字を当てる」
「・・・」

だからこそ 御大にとって水晶は特別な存在だったと小此木は言った。

晶子様も美貌で知られた方だったが 性格は水晶と異なり内気だったそうだ。


「御大は 水晶の闊達さを それは羨ましがっておられたよ」

「羨む・・? 何故ですか?」
「晶子様はご結婚を望まれていなかった。 だが それを言えなかったのだ」
「?!」

「いまわの際の苦しい息の下で 嫁がずに逝けて嬉しいと言ったそうだよ」
「・・・」
「御大としては 娘の幸せを心から願って決めた縁談だったのにな」

 


“嫁がぬことが幸せ・・か・・・”

淋しげに笑った御大を 小此木は思い出していた。 
ああも堂々と言い切る娘だ 気に染まぬ男になど嫁ぐまいな。

“・・水晶のように眼を上げて 嫌と言えば良かったのだ”


小此木は 開戦に反対して総督府へ追われた上官の気持ちを思った。

望まぬ戦で部下を失い 愛娘を失意の中で死なせた無念を。

 


「・・水晶は 元気でいるか?」

ジホの表情を見ないように 小此木は視線を下げていた。
聞かない訳にはいかない問いだが 出来れば 避けて通りたかった。


「健勝です」

「あれから何年だ。 姫様も もう嫁がれたのか?」
「結婚はしました」
「・・?」

何かが小此木の神経に触れて 細い眼の奥が鈍く光った。

顔を上げると 眼前の狼は表情を消していた。

 


どうした? 

小此木は薄く眉根を寄せた。 “結婚はしました”・・だと?
この聡明な男にしては 随分と不用意な言い方をするじゃないか?

完璧な敬語を使いこなすイ家の執事が ぞんざいな口調になったことが

小此木の胸に 不安を呼び覚ました。

 

水晶は ・・もしや望まぬ結婚をしたのだろうか?

あるいは 嫁いだまでは良いが 今は不遇で暮らしているのだろうか?

 

輝くばかりに美しい 氷の瞳の姫君を 小此木は懐かしく思い浮かべた。
膝の上に置いた拳に 自然と力が入っていた。

 

「水晶は・・幸せなのか?」

「・・・」

大振袖を私に託した時 中将閣下は仰られた。

“この大振袖は 幸せな花嫁が着るためにと魂を込めて作られたものだ。
 もしも 水晶が自ら望んで嫁ぐことになったら どうか着てもらって欲しい“


そしてお前が訪れた時 もしも 水晶が幸せでないようだったら・・、

「何も言わずに持ち帰り 荼毘に伏してくれと言いつかっておる」
「・・・」

「だから 問わねばならぬのだ。 水晶は 今 幸せか?」
「・・・わかりません・・」
「何っ?!」

 


わかりませんだと?! 小此木は 激昂寸前だった。


水晶の幸せだけを一心に 切ないまでに願った男が。

心の底に決して叶わぬ想いを沈めて 命がけで姫を護っていた狼が?!

小此木の青ざめた頬が苦しげに歪み 失望の色が浮かび上がった。
彼にとっても 狼と水晶は 切なく美しい思い出だった。

 

「その・・。 幸せかどうかは・・聞いてみませんと・・・」
「?」

「ただいま呼んでまいりますので 本人からお聞きください」
「呼んで? 当屋敷にいるというのか? 結婚・・したのだろう?」
「はい」

「??」


朝鮮に長く住んだことがあり 当地の婚姻事情を知っている小此木は
まさにその知識の為に混乱していた。 水晶に 何があったのだ?

「・・嫁いだが 子が生まれなかったのか?」

「いいえ。 ・・あの・・・男児が一人」
「???」


信じがたいほど歯切れの悪いジホを 小此木は怪訝そうに見た。

嫌になるほど明晰なはずのこの男が まったくどうしたというのだ?!


———

 

“ジホッ! ジホ! おらぬか ジホ?!”


突然 高い足音と共に 弾むような声が聞こえて来た。
思わず声の方を向く小此木の糸のような眼が 続く会話に仰天して見開かれた。


“おらぬか! ジホ!”

“またっ!ひぃ様! 人が聞きます! 旦那様とお呼びなさいませ!”

“あぁそうだ。 旦那様! おらぬか? 旦那様!”
“しぃっ! 今 旦那様はお客様とお会いです!”
“客とな?”

 


「・・・」

「・・・」

多分 小此木の黒目が ここまで見えるのは稀有なことだろう。


“百鬼”と呼ばれた強面が ぽかんと口を開けていた。

ジホは静かに眼を閉じて 横顔を見せたまま ため息をついた。

 

 

 

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