44 水晶妃-氷と狼の物語-第44話

 

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その日 軍本部の奥まった部屋には 数人の男が集まっていた。


もしも各々の名前が外へ知れたなら 誰もが驚く顔ぶれだった。
中の1人。 軍服姿の大物が 誰にともなくつぶやいた。

 

「やはり 奴らは接触してきたか」

「はい・・。 “狼”が料亭に現れた時は 歯噛みをする思いでした」

「だが “狼”は話に乗らなかった」
「話も何も。 挨拶もろくにせずに 席を蹴って帰りましたから」
「聞けば 細君を急病にしたそうじゃないか?」

くっくっく・・、さすがに ソウル一の知能は 思わぬ奇手を打ってくる。

 


「その後“氷”は門外不出。 “狼”は深山に沈んで姿も見せん」
「・・・」
「永世中立、我 関与せずという事だな?」
「は」

それまで 黙り込んでいた男が ひどく静かに口を開いた。

誰もが知る大財閥の長である男は 慎重の上にも慎重だった。

 

「今一度。 “狼”の動向を視ていただけませんか?」

「・・何だ? 気になる事でもあるのか?」
「いいえ。ですがこの計画は 失敗する訳にはいかぬことです」

腐敗しきった政府の輩などは恐れるに足りません と男は言った。
クーデターの成功は ほぼ100%確実でしょう。


「・・ただ “狼”が敵に回れば 確実という言葉は無くなります」

——-

 

「?」

偵察に来た将校は ジホの表情を怪訝に思った。

常に悠々と静まり返り 感情のかけらも覗かせないジホが
眼の中に それと判るほどの苛立ちを見せて 応接の間に座っていた。

 

「会談が不調に終わった事は 知っておるのだ」

「・・会談も何も。 先様が勝手に席を設けただけです」

ご存知ならば それ以上 こちらからご報告することはありません。
そういいながらジホの視線が 落ちつかなげに窓外へ流れてゆく。

 

ジホの視線をたどった先には 中庭越しに 書庫になっている家屋が見えた。

“狼”が 執務室でなく この座敷で客を迎えることにしたのは
どうやら書庫が気になっての事らしいと 将校は 探る眼つきで相手を見つめた。


「・・・」
「私は 貴君が大統領側へ組するとは思っていないのだ」
「・・・」

「しかしだ」
「?! またあんな!!」
「え?」


飛び出したジホのあまりの殺気に 将校は思わず気色ばんだ。
ジホは客に眼もくれず 靴もなしに中庭へ駆け下りた。

将校は 何が起きたのかと 縁先まで出て身を乗り出す。

庭から書庫へ駆け上ったジホの向こうに 踏み台に乗ったスジョンが見えた。

 


「お降りなさい 姫様! 何を馬鹿なことを・・ご懐妊中ですっ!」
「ジホ? あぁ ちょっとこれを棚にな・・」
「とんでもない! 転んだらどうします!  お降りなさい!ひぃ様!」


ぽかんと将校の口が開いた。 一体 何事だ? ・・懐・妊・・?

スジョンの乗っている踏み台は「降りろ」と言うほどの高さもなかった。
それでも狼は 恐々と腕を伸べて しっかり妻を抱きかかえた。

 

「・・ジホ。 何でもないに」

「何かがあれば許しません。だから書庫の整理など止すよう申しました」
「病気でもないのに 寝るのは嫌だ。 ジホとて仕事は? 客ではなかったか?」
「!」
「・・・」

中庭越しに振り向いたジホと あ然と見ていた将校の眼が合った。
将校は “狼”が紅くなるという 世にも珍しい光景に絶句した。


“どうやら イ家の狼は クーデターどころではなさそうだ・・”

帰りの車の席に沈み 将校は低く笑っていた。

 

・・・しかしまぁ 

氷の男と言われるジホが はらんだ妻を心配するあまり
うろたえているなどと報告したら さぞや上官は驚くだろう。

——–

 

事前に未来を予測して 綿密に行動を計画する。

それが今まで 何をするにせよジホの基本姿勢だった。

だが今 命より大事な水晶が 己の子どもを宿しているのに
この先何が起こるのか 見当のつかないジホは怯えていた。

 

「・・寝間を分ける? 別々に寝るというのか?」

「それが良いように思います。 眠っている時に 私の不注意で
 貴女の腹を蹴って流産などという事態になってはいけませんから」
「ジホは そんな事今までしたこともないぞ」
「今までは、です!」


万が一を考えると ジホの 恐怖は膨らんだ。
未曾有の事態に どうやってスジョンを護ってやれるのだろう。


「・・私は お前と眠りたい」

「姫様」

赤子が生まれるまでのことです。言い聞かせながら狼は 胸の痛みにうろたえた、
自分を求めて淋しがるスジョンが 信じられないほど愛しかった。

「どうしてもだめか?ジホ」
「スジョン。 聞き分けてくださらないと」

「・・ぅ・・ん」

——–

 

・・・・ジ・ホ・・・

「?!」

スジョンに呼ばれたような気がして ジホは弾かれたように目覚めた。
その夜 ジホは書生の頃に使っていた部屋でやすんでいた。

胸の鼓動が煩いほど大きい。 不安が 胸郭を締め上げていた。

 

・・寝屋を分けたのは早計だったか。 ジホは暗闇を凝視した。 
夜半にスジョンが急変した時 自分がそばにいなければ危ういのではないか?

「・・・」

嫌な予感が肌を粟立て ジホは床を抜け出した。

スジョンの様子を見に行こう。 物音で眠りを妨げなければ良いが・・。


「!!」
「なっ!?」

さらりと開けた戸の向こうに スジョンがぽつりと立っていた。
夜着のスジョンは 叱られた子のように華奢な肩をすくめていた。

 

「・・スジョン・・どうして・・」

「眠れない」
「え?」
「独りだと・・寂しゅうて眠れない」
「・・・」


当惑して落としたジホの眼に 小さなスジョンの裸足が見えた。
スリッパもはかずに来られたのか。 ジホの胸がちりちりと痛んだ。

「この夜更けに そんな薄物だけで」
「・・ん・・寒い・・・」
「?!」


ジホは慌ててスジョンを抱き寄せ 身体の熱で包み込んだ。

自分の寝床まで抱いてゆくと 夜具の中にもぐりこませる。
両腕と両腿を巻きつけて 華奢な身体を深く抱くと スジョンが柔らかな息を吐いた。


「・・温かいな」
「身体を冷やすのが一番毒ですのに なんという無茶をなさいます」
「・・すまぬ・・・」

だけどなジホ。 お前に抱かれて寝ることが 私はもう習いになってしもうた。

「お前がおらぬと寝つけない」
「・・・」
「眠れぬのも ややこに障るのではないか?」
「・・・」
「・・のぉ・・?」


スジョンは ジホの身体が作るすきまに ぴたりとはまりこんでいた。

腕の中の柔らかな宝物を抱きしめて ジホは降参のため息をついた。


「・・・もう おやすみなさい」


——-

 

まったく! うちの旦那様と来たら 一体何を考えてるんだか?!

お腹に子のいるひぃ様を よりによって寒い北の部屋の
湿気った布団に寝かせるなんて! 書生が使う安布団にさ!!


「・・・」

「立派なお寝間がございますのに 何がお気に召しませんでしたかね?!」
「・・・」
「私の掃除が行き届きませんでしたかっ?! まったく冗談じゃない」
「・・・」

 

翌日 ジホは眼を閉じて インスクの痛烈な文句に耐えていた。
確かに スジョンを自分の昔の部屋で寝かせてしまったのは失敗だった。

 

いいですか? ひぃ様は 今が一番大事な時期なんです。

「勝手にご寝所を変えるなんて これきりにしていただきますよ!」
「・・インスク・・だがお前。 もしも 私が姫様の腹を蹴ったら何とする?」

「何だって? ジ・・旦那様は そんなに寝相が悪いのかい?」
「いや」
「じゃあ平気ですよ! 気になるなら 身体を縛り上げてお休みなさいな!」


「縛り上げ・・おい!」

「とにかく 夜は大人しくご自分達の寝所でお休みください!」

 

 

怒れる侍女頭は ドカドカと廊下を鳴らして歩み去った。

狼は 昨夜のスジョンの可愛さを思い出し こめかみをそっと指で掻いた。

 

 

 

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