43 水晶妃-氷と狼の物語-第43話

 

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出歩くスジョンは心配だったが それでもジホは 外出を認めた。

一つには門下の料理人が 水晶妃を熱烈に望んだからだし   

それ以上に 子どもに恵まれないことで 消沈しがちなスジョンが
料理人達から頼られることに 張り合いを感じているようだったからだ。

 


ジホは スジョンの味見に関して 出先へ厳格な指示を出した。

必ず 個室を用意すること。 むやみに他の客を近づけぬこと。 
彼女が独りで食事をする時は 必ず供と警護がつくこと。


大仰に思えたこの対応は 意外なことに 料理人達に喜ばれた。

形式ばった来訪が 絶好の演出になって 「水晶妃が立ち寄る店」は 
格式の高さを誇るようになった。

 


半年、一年と過ぎるうち 料理人達は 水晶妃の真価に気づくことになった。

スジョンは イ家の伝統の味を舌で憶えているだけでなく
外厨房司だったこの家の 膨大な文献に精通している。


連綿と伝わる 季節毎の献立や 膨大なイ家伝統酒のレシピ。

まさに 素晴らしく美しい「生きた辞典」である彼女に
何とか自店へ来てもらおうと 門下でない店からも依頼が来る始末だった。


———

 

「のぉ ジホ・・。 次は『大弐』だったか?」


スジョンはきちんと正座して 胸元を解くジホの指先を眼で追っていた。

「左様ですが 何か?」
「ん・・」


するりと夜着を脱がせると スジョンがジホの首へ腕を回す。

慣れた仕草で細い腰を抱き寄せ そっと夜具へ横たえたジホは
自分もそばへ身を置いて 髪を撫でながら言葉を続けた。 

「・・店には重々言いつけていますが 「挨拶」してくる者はまだ多いですか?」

「ん? それはない」
「では 何か?」

 

・・・・ぅん・・・

「しばらく外食が続いたせいか 少しく 胃が疲れたようだ」

「それはいけません。では 『大弐』行きは中止します」
「いや、向こうは待っておろうから 今回は行こう。 後を入れないでくれ」

「・・本当に 大丈夫ですか?」


胸を撫でていたジホの手が 不安げに「具合を探る手」になった。

可笑しい位にうろたえたジホの 青ざめた顔にスジョンは呆れた。
こんなに心配されるのでは おちおち胸焼けにもなれないな。

 

・・・ジホ・・・・・

「?! どこが苦しいですか?!」
「話は終りだ」
「え?」
「早くしよう」

・・ぁ・・・・ 「えぇ・・」


寝屋の 秘めやかな灯りの中で 大きな影が遠慮がちに揺れた。

“だから 大事無いと申したであろう?”
組み伏せられた小さな影が 覆いかぶさる影に文句を言った。


——–


 

戦争の傷は 癒えなかった。

北は経済を復興させ 国力を順調に伸ばして行ったが
南の政府は 権力者が専横を極め 市民の困窮を置き去りにしていた。


ある日 ジホの執務室に 軍からの使いがやってきた。

表向きの用は 軍製品の納入に関する依頼だった。

使いに来た者は旧知だったが ジホは怪訝な顔で迎えた。
軍部からわざわざ出向いてくるのは 尋常な事と思えなかった。

 

「・・皮革製品の納入に関してなら 格好の業者がおりますよ」

商売上手な貴子の顔を思い浮かべて ジホは くすくすと楽しげに笑った。
彼女なら軍部を相手にしても ちゃっかり儲けるに違いない。

さて・・・

「そろそろ来訪のご本意を お伺いしてよろしいですか?」
「・・・」
「手前に 何のご用でしょう?」

 

軍部からの使者は 思いがけない名前を口に登らせた。

「平倉洞のイ家とは 今も・・その 没交渉でおるのか?」
「・・・」

「あの家と貴君が通じているという情報は 一切挙がっていない」
「そうでしょうね。 先方にも 当方にも お会いする理由がありません」
「・・先方には 理由が出来たようだ」
「?」

 

聞けば 平倉洞イ家の主人は 現政権にすり寄って利益を享受していると言う。
「叔父貴様」ならやりそうな事と ジホは 嘲りに眉を吊り上げた。

「大統領の周りには 君を引き入れたい動きがある」
「・・・」
「平倉洞の誘いに乗る事は この時期 賢明ではないと思う」

「・・・」

 

相手を見つめるジホの眼が 一つの事実を見つけ出した。

この人は 多分 情報将校だ。
そして情報を秘したままで おそらくは 自分に警戒をうながしている。


「ご忠告 感謝いたします」

「・・・」
「弱小企業の手前など 政治家様のお役に立てないことと思います」
「そうあれと 願う」

——-

 

しかし 誘いの絡め手は 意外な方角から迫って来た。

ジホは『大弐』の主人から 驚愕するような電話を受けた。

 

「平倉洞が 勝手に予約を?」

「ああ。 “姪が来るなら丁度いい 一緒に卓を囲もう”と仰せでな・・」
「誰かを連れて来るのか?」
「それがその・・。 どうも“偉い方”のようで」
「・・・」

店主如きが一存で断れる状況ではないと かつて先輩だった料理人は言った。
ジホは しばらく沈思した後 静かな声で相手に命じた。

「もう一つ 席を用意させなさい」
「え?」

「私が 行こう」

 


ジホが車から降りた時 迎えに出た『大弐』の主人は 絶句した。


“こ・れが・・あのジホか?”

人狼と言われた危険な青年 刃の眼をしていたイ家の書生は
時間の流れに研磨されて 堂々たる男になっていた。

 

周囲の空気を裾で払う 悠々とした足運び。

まばゆいばかりの美貌の妻を 西欧風にエスコートしている。

入口の段差で立ち止まり 水晶妃の腰にそっと手を添えて
さぁ・・と 片手を引く姿は 典雅を極めた美しさだった。

 

「・・・」

「ご無沙汰しています」

「?! あ、いや!これは! ・・お、お越し戴きまして光栄でございます」
「兄さん。 私にそんな」
「いやいやいや!! 旦那様こそ 兄などとんでもない」


かつて 生意気極まりなく 呆れるほど有能であった書生に
『大弐』の主人は 感嘆していた。
“こいつは生意気だった訳じゃない。あの頃から 既に格上だったんだ”


ジホに「兄さん」と呼ばれた事で 『大弐』の主人はにやけていた。

“まったく・・イ家の旦那様は お偉いのに腰が低い方だ”

———

 

大統領筋に取り入って 老獪に立ち回っていた平倉洞主人は

スジョンばかりと思った席へ ジホが現れたことに仰天した。

 

「・・お前が来るとは 知らなかったな」 
「私も 叔父貴様がご同席とは伺っておりませんでした」
「・・・」

「大変 ご無沙汰いたしております」


端整に頭を下げるジホに 「叔父貴様」は内心舌打ちをした。

スジョンが味見に来る時に 狼は同席しないと聞いていた。


ここで姪を政府筋の者と引き合わせ 懇意の間柄にしてしまえば
スジョンの命には絶対のジホを 取り込むことが出来るはずだったのに・・。

 

平倉洞の困惑をよそに 政治家はすこぶる上機嫌だった。 

名高い水晶妃と食事が出来るのは光栄至極と 歯の浮くような事を言った。


「スジョン殿 と申されるか。 いや 本当にお美しい」

「・・・」
「今宵は 何を召し上がるおつもりですかな?」
「・・・」
「うん?」

「ス、スジョン! 大臣がお聞きだ。失礼のないよう 返事を・・」

 

うろたえてたしなめる「叔父貴様」に ジホが口を開きかけた。
その前に スジョンが席を立ち 不機嫌に眉をしかめて言った。


「叔父貴様」

「な、なんだね?!」

「申し訳ございませんが 今宵は帰らせていただきます」
「?」「!」
「な、何だと?! お前は 一体何をっ!」

「・・相済みません。 ちょっ・・と・・吐き気が」
「え・・」 
「!!」


言うなり スジョンは裾をひるがえし 扉を押して走り去った。
蒼白になったジホが席を蹴り 給仕を突き飛ばして後を追う。

後には ぽかんと口を開けた 政治家と平倉洞主人が残された。

——–

 

その夜のジホの慌てぶりは 後々 使用人達の語り草となった。

手洗いの扉に張り付いたジホは やっと出て来たスジョンを抱き上げ 
そのまま車へ運び込むと 一目散に屋敷へ戻った。

 


そして 怒鳴りつけられるように呼び出された医者が 
スジョンの懐妊を伝えると 

ジホは たっぷり絶句した後 腰を抜かしてへたりこんだ。

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