40 水晶妃-氷と狼の物語-第40話

 

siusyo.jpg

 

スジョンの疑問は解けないまま 戦争は 激しさを増していった。

水原も度重なる爆撃に遭い 壊滅的な被害をこうむったが

イ家の別邸は 市街地を離れていたことが幸いして
なんとか 戦禍を逃れていた。

 


「・・・・」

ジホは 沈鬱な眼を伏せて 被害報告を聞いていた。

ソウルはわずか1年のうちに 覇権が4度も入れ替わった。

ようやく今はアメリカ軍が 2度目の首都奪回を果たしたものの
朝鮮半島中を戦場にしたこの戦争が もたらした被害は甚大だった。

 


「・・しかし 大変な損害よの」

さすがのスジョンも報らせを聞いて 呆れたようにつぶやいた。
イ家の事業も 大半が戦闘に巻き込まれて消失していた。

ジホは いつもと変わりなく冷静な表情を崩さないままで言った。


「事業の大半を失ったのは 当家に限ったことではありません」
「そうだな・・」
「戦争さえ終われば 事業など いくらも盛り返すことが出来ます。
 お気に病むことはありません」

「うむ ジホならきっと出来ような。 私は心配しておらぬ」


明日が来ることを疑わないように スジョンは瞳をきらめかせた。
自分を信じ切っている無垢な笑顔に ジホは 思わず見とれていた。  

「・・・」

「どうした?」
「!・・何でもありません」


ジホは むっつり眼を伏せた。 昔かたぎの彼にとって
妻が愛しくてならないなどと 男にあるまじき愚かさだった。 

 

 

・・・あ・の・・旦那様・・・


ジホとスジョンが眼をやると 玄関番が困惑げに立っていた。

表にイパムの家族という男が来ております。 「中へ入れてもよろしいでしょうか?」


「・・イパムの 家族?」
「その男。何と名乗った?」
「はぁ キム・ソンイルと申しましたが」

「!」

私が行こう。 
席を蹴るように立ったジホは 珍しく浮き足立っていた。


「ジホ?」

「イパムの夫です。 ・・生きていてくれたか」
「えっ?!」


——–

 

ソンイルは イパムが経営していた店の料理人という話だった。

短髪に鋭い眼をしたその男を イパムが涙で迎えるのを
スジョンは 狐につままれたように 眼を丸くして見つめていた。

 

その夜。 寝床に入っても スジョンはまだ首を傾げていて
ジホが隣にやってくると 待ち構えたように 胸にすり寄った。

「のぉジホ? あの男は ・・本当にイパムの夫なのか?」

「正式には結婚してはいませんが そうです」
「・・お前は あの男を知っていたのか?」
「えぇ」

ソウル陥落の戦乱に巻き込まれ 行方が知れなくなった男を
イパム同様 ジホもまた 案じていたのだという。


「・・・」

・・だけど イパムとジホの仲は?
喉まで出かかった疑問を スジョンはしぶしぶ飲み込んだ。

ジホは 柔らかくスジョンの背を叩き それ以上の問いを拒絶した。

 

 

「・・・」

「・・・」

井戸端で洗い物をしていたイパムは ちらりと後を見て苦笑した。
もの問いたげな顔をして スジョンが花を切っていた。


「お座敷に 飾られるのですか?」

「え?!」
「お花」
「あぁ・・うむ。 あ~・・、イパムの亭主は 元気になったか?」

「はい。大分消耗しておりましたが お陰様で もうすっかり」
「それは・・良かった」

 

厨房の者には言ってあるゆえ 何でも 精のつくものを作らせると良い。

取りつくろうように言いながら スジョンは立ち去りにくそうだった。


イパムは 眼の前にいる絶世の美人が
もじもじとしている姿を見て こっそりと笑った。

まったく。 “水晶妃”様に妬かれるんじゃ 私も 随分な出世だねぇ。

 


・・ひぃ様が お気になさるようなことじゃありませんよ・・・

「え?」

「ジホ様とあたくしのことでしょ?」


あたくしは 妓生。 売りもの買いものの 商売女でござんすよ。

「ジホ様には幾度かお買い頂いたって。 ただそれだけの話です」
「・・・」
「ひぃ様は 奥様なのですから 旦那の妓生遊びなぞ 気にしちゃいけません」

 

イパムは艶やかに微笑むと 洗い上がった着物を桶にまとめ
スジョンへ 愛想よく会釈をした。


「それじゃ。 ひぃ様」 

「嘘をつくな イパム」
「え・・?」

「私が知っておるイパムはな。 金では 決して転ばぬ妓生だ」
「!」
「そして ジホも 妓生を金で買うような男ではない」


「・・・」


イパムは ぽかんと口を開けた。 スジョンは まっすぐこちらを見ていた。
氷に例えられる怜悧な瞳は イパムを見下しも 嘲りもしていない。

突然 イパムは その眼の中に 慕ってやまない人の影を見て
ほどけるような笑みを浮かべた。

「ひぃ様は 亡くなった旦那様と おーんなじ眼をしておいでですねぇ」

「? それは・・私は 娘だからな」
「いいえ それだけじゃなくて」
「?」

 

イパムは くっくといたずらそうに笑った。
ジホ様の「内緒ごと」を お教えいたしましょうか?

「亡くなった旦那様が ジホ様に妓生をあてがわれたんですよ」

「?!」
「ですから ジホ様は断れなかったんです」


ジホ様だけじゃありません。
ソウルのお屋敷の厨房には 若い衆が沢山おられたでしょ?

「旦那様は そんな若い衆達にも 妓生を勧めていましたよ」
「・・何故?」


ほっほっほ・・・

「若い男衆さんというものは どうしたって女が必要なんですよ」
「・・・そうなのか」

 

多分 それだけが理由ではないと イパムは内心 思い返していた。

亡き旦那様が 家の男衆に妓生を勧めた本当の訳は
屋敷の奥深く育っていた 奇跡の美少女のせいだったろう。


あの頃 10や11の歳ながら 少女の美しさは大の男に息を飲ませた。 

使用人達のことを信じてはいても 旦那様は 
人並み外れた娘の美貌が 見る者を惑わせることを怖れていたのだ。

 

「でもねぇ・・。 ジホ様だけは 妓生遊びを断わっていたんですよ」
「え?」
「今でもお堅い方ですけど 若い頃なんか なおさら堅物。 ふふふ・・」

それでも 旦那様のお申し出を むげに断れませんでしょ?

困ったジホ様ったら 苦しまぎれに「イパムが相手なら」と言いましたのさ。

 

当時 ジホ様は17歳。 あたくしは 22の生意気盛り。
世間様には 「お大尽でもイパムは買えない」と言われていた時分です。

「イパムでなければと言い張れば 旦那様も諦めると思ったのでしょうね」

「だが。 それでは・・イパムが承諾したのか?」
「え~え」
「何故・・だ?」

 

ほっほっほ!!

イパムは 派手な笑い声を立てた。 ひぃ様 そんな野暮を聞いちゃいけません。

「そりゃあ とびっきり美男子の ぴちぴちの若衆でござんすよ。
 妓生なんぞをやっている身には 是非ともお願いしたい相手でしょうさ」
「!」
「ジホ様は困ったでしょうけど まあ 観念なさったんです」

すみませんねぇ ほっほっほ・・・

「ほぉ・・・・」

 


陽気な艶笑話のように語りながら イパムは 昔日を思っていた。


人狼と呼ばれて怖れられていた 刃の眼をした美しい少年。

自分と同じように 不遇の過去を おそらく過ごしてきたのだろう。

叶わぬ想いを胸の底に沈めて ただただ水晶を護っている
哀しいまでの一途さが イパムの眼にはまぶしかった。


手の届かない高嶺の花のために 命さえ捨てて闘ったという

全身におぞましく刻まれた傷を ただ 抱きしめてやりたかったのだ。

 

 

「・・ひぃ様は誰よりご存知でしょう。 ジホ様は 情の深い方です」

「ん・・」
「少々遊んだだけの妓生さえ 気にかけて下さる方なんですよ」


今の亭主と所帯を持つことだって そりゃあ 喜んでくれまして
店の資金もお貸し下さり ご贔屓さんまで紹介して下さったんです。

「それは ・・イパムの店なら 繁盛は確かだからだ」
「んまっ?! ふふふ ジホ様も同じ事をお言いでしたよ。お気の合うことで」

「・・そうではない。 それが事実だからだ」

 


恥ずかしそうに顔を伏せたスジョンを イパムは愛しむようにながめた。

どうやら育ちの良い姫様は 詮索したことに気がとがめているらしい。


“・・ねぇ ジホ? 本当に良かったねえ。
 あんたの可愛いお姫様は どうやら あんたが大好きみたいじゃないか“


——–

 

ちょこんと隣に座り込んだスジョンを ジホは 不思議そうに見た。

白魚の指がひらひらと動き せっせと茶を点てている。


・・どうやら姫様は“奥様らしいこと”をなさりたいらしい。
学習を 決して忘れないジホは そしらぬ顔で書き物を続けた。

「ジホ! お茶だ」
「!」
「・・あぁ いかん。 “旦那様”お茶だ」

はは・・と思わず 氷のジホが 弾けるような笑い声を上げた。
スジョンは 一瞬ぽかんとした後 茶碗をささげたまま眉をしかめた。


「何で笑う」

「笑ってなどおりません」

「“ははっ”と今 言ったではないか」
「お茶が頂けるので喜んだのです。 いただきます」

疑っているスジョンを無視して ジホは静かに茶を飲んだ。
こんなささやかなひと時が 震える程に幸せだった。

 


「ジホなどは・・・“若い男衆”のうちに入るかな?」


「? 兵役にも取られぬ歳では 若い衆とは言えませんでしょう」
「そうか!」
「?」

「それではお前は “どうしたって女が必要”な訳ではないな!」

ぐっ・・・・!

 


ジホは 飲んだ茶を吹き出すことを すんでのところで我慢した。

スジョンは 至極満足そうに 艶やかな笑みを浮かべていた。

 

 

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*