39 水晶妃-氷と狼の物語-第39話

 

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腕の中の温もりは ジホには失くせない宝だった。

どんな苦難も この人を護るためならば乗り越えてきた。


それでも イパムと通じた過去を知って スジョンが夫を嫌悪するなら
自分は愛しいこの温もりを 手放さなくてはいけないのだろう。


もとより身の程知らずにも 主家の姫を手に入れた自分は
彼女に下がれと言われたら 追う事など許されない。

解ってはいても 切なかった。 あまりにもスジョンが愛しかった。

 


小さな肩は動かなかった。 すくめた彼女の身の硬さが 
ジホには 無言の責めに思えた。


「・・お怒りですか?」

「・・・」
「イパムの事を お聞きになったのでしょう」
「・・・」
「申し訳ありません。 貴女が不快に思・・」


「ジホ・・?」

「はい」
「言うな」
「・・・」
「人を想う気持ちは 責められぬ」

「・・・?」


スジョンは ジホの腕の中で 寝返りを打つと背を向けた。
か細いうなじをぼんやり見つめて ジホは 今聞いた言葉に眉をひそめた。

何と・・おっしゃった?  端整な目元が 困惑に揺れた。

 


傷ついたような 小さな背中は 滑稽なほどジホをうろたえさせた。
スジョンは 自分とイパムの仲が相愛と思って悲しんでいるのか?


・・・ぁ・・・の・・・・

「・・・」

貴女は 思い違いをしています。 言いかけてジホは言葉を飲んだ。
イパムとの過去を語ろうとすれば 伏せたい事にも触れてしまう。

 


丸まったスジョンに腕を回して ジホは途方にくれていた。

スジョンは 夫を責めることもせず 静かに悲嘆にくれている。
何より大事な彼女の嘆きに ジホは鼓動を速くした。


「・・・・」

絹のように流れる黒髪ごしに うつむく頬が白かった。
ジホは その頬に涙が流れるのではないかと 心配そうに覗き込んだ。 

なめらかに透きとおるスジョンの肌に ジホの眼が惹きつけられる。

こんな時でさえ彼女に誘惑される自分に呆れて ジホはため息をついた。

 


いったい どれ程の想いをこめて この人を見つめて来たことだろう。  


きらきらと輝く意志の瞳を 花びらのような唇を

初めて会った瞬間から ジホを魅了してやまなかった 
まばゆいばかりの まっすぐさを。


ジホは柔らかく微笑んだ。 手の届かない高嶺にあっても
自分は 水晶以外の何も 欲しいと思ったことなどないのだ。

・・他の者など 見えるはずもない。

 


深く腕を差し入れると ジホは 力いっぱいスジョンを抱き寄せた。
突然 胸に引き込まれて スジョンは小さな悲鳴をあげた。


・・・ひ・ぁ・・・・

「・・・」
「・・ジホ・・?・・く・・・」
「・・・」

・・・・・苦し・・・

「スジョン」
「・・ぅ・・・」
「私は 貴女が好きです」

・・ぇ・・・?・・・


そこへ世界を留めるように ジホはスジョンを抱きしめた。

この腕に抱いた宝石は 何があっても離せなかった。


自分の下らない人生は これで終わるのだろうと思った日
いきなり産み落とされたように 新しい世界の扉が開いた。

そして 軽やかな足音を立てて 少女は走り寄ってくると
何もなかった自分の世界に 存在する理由を手渡した。

 

“私はスジョンだ。 ・・お前は 誰だ?” 

 

 


「・・・・」

スジョンは いきなり羽交い絞めにされて ジホの胸へ埋められていた。
苦しいと訴えたのに ジホの奴は 私の言う事など聞いておらん。

それでも 何だか嬉しかった。 ・・ジホが 私を好きと言った。

ジホは 言葉は少ないけれど 決して嘘はつかぬ男だ。


「だけど ジホ・・」

「お黙りなさい」
「・・イパムは?」

は・・・・・・

「彼女は5つも年上です。 私なぞ相手になりません」
「? ・・では ジホは振られたのか?」
「ですから。 イパムとの事は 恋などではありません」

・・・・私が恋するのは 貴女だけです・・・・

 

ジホは もののついでのように ぼそりと小さな声で添えた。

必死な頬はこわばって 紅を掃いたように染まっていた。

スジョンは 抱かれた腕の中でもがき ジホを胸の中から見上げた。
ジホは顔をそむけたが 頬はまだ少し紅かった。


「ジホ・・?」

「もうお休みなさい」

「今一度 言ってくれ。 お前が恋・・」
「だめです」
「!」

男には 体裁というものがありますから 
私に 女々しい物言いなぞ 期待なさらぬことです。

 


「・・・・・」

スジョンが黙り込んだので ジホは ちらりと彼女を見た。

こちらを見つめる大きな瞳に 失望の色が浮かんでいる。
ジホは 気弱に手を伸べて 指の背でスジョンの頬を撫でた。


「・・どうか もうお休みなさい」
「だけど・・。 ジホは 本当に・・私が妻で満足か?」

「!」

 


ジホは奥歯を噛みしめると スジョンの身体を組み敷いた。

これ以上 彼女に言い聞かせる言葉は 無骨な狼には言えなかった。


・・・ジホ・・

黙りなさい。 少し怒った狼は 柔らかな唇に噛みついた。
触れてしまうと愛しさは 枯藁に火を放つように燃え上がる。

幾千の言葉を重ねても この想いなど表せないのだ。

焦げつきそうなもどかしさで ジホはスジョンに頬ずりをした。

 

・・・たい・・・・痛ぃ・・ジホ!・・

「!!」


ビクッと顔を引いたジホは 慌てて身体を離そうとした。
スジョンは するりと腕をまわして 愛らしく頬を膨らませた。


「手荒をするな。痛い」

「・・申し訳・・・ありません」
「唇が切れていないか?」
「大丈夫です・・」

「なめてくれ」
「え?」

痛かったのだ。ここをなめてくれ。

スジョンは唇を差し出した。 その甘やかな命令は 猛る狼の牙を抜いた。

ジホはぎこちなく顔を寄せて 柔らかな唇を口に含む。
そっとなめて離れると 恋人たちは潤んだ眼をしていた。


「・・スジョン・・」
「ん?」
「・・・あの・・」

・・ふ・・・

ジホは絶句していた。 スジョンはふっくりと微笑んだ。

口では本音を言わぬ男だが ジホは身体でものを言う。
硬く張りつめた筋肉と 求めて揺れる眼差しが スジョンの許しを待っていた。

「ジホ?」
「はい」
「この先は しないのか?」

 

スジョンの手が背中を滑りあがり 嬉しげにジホを引き寄せた。

戒めを解かれた狼は 幸せそうなうなり声を上げた。


——-

 

も~ぉ い~ぃか~い・・・


まだまだ遠い呼び声に スジョンはほくそえんだ。
今のところ この大人げない“当主様”は 抜群の勝率を誇っている。 

薪小屋の陰にしゃがみこんで 壁に同化しながら

スジョンは 昨夜のジホをぼんやり思い出していた。


身体を重ねて見下ろしたジホの 幸せそうな優しい瞳。
大きな腕で 大切そうに自分を抱きしめている時の顔。

恋する人は貴女だと言った その言葉に嘘は見つけられなかった。だけど・・

 


「・・イパムは それで良いのかな」

ジホは イパムとの事は恋ではないと言った。
妓生と客の仲だった と言う事だろうか。


だけど スジョンは知っていた。 

イパムは誇り高い一牌(イルペ) 妓生の頂点にいた女だ。
芸は売れども身は売らず 気に染まぬ客なぞ見向きもしない。

そんなイパムが 好きでもないなら ジホを相手にする訳もなかった。


「・・ジホだって 金で女子を買ったりする男ではない」

「え? あ! ご当主様見っけ!!」
「うぁ!」


しまった。 つい声に出していた。

下手の考えなどするものではないな。 ため息をついてスジョンは立ち上がった。

 

 

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