36 水晶妃-氷と狼の物語-第36話

 

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スジョンは時々 夜中に目覚めて ジホを見るのが好きだった。


寝ている彼は美しく 大理石の彫像を思わせる。

たくましい腕は スジョンの身体を包みこむように抱いていて
ジホは 眠りの中でさえも スジョンを護っているのだった。


スジョンは 隣で静かに息づいているジホの胸を見つめていた。

袈裟懸けに斬られた刀傷が 夜目にもくっきりと浮き出て見える。

今夜は 睦み合った後 夜着をまとわずに眠り込んだので
絹の中で身動きすると 素肌がジホの肌にこすれた。

 


ジホの胸に抱かれて寝るようになって かなりの時が過ぎていた。
今では 刀傷のある身体と 寄り添って眠るのにすっかり慣れた。

スジョンは胸元へすり寄ると 傷跡へ指を這わせてみた。

「・・・」

突然 ジホの腕が動いて スジョンの身体を抱き寄せた。

「!」

「どうしました?」
「何・・でもない。 起こしてしまったな」
「いぃえ」


すぅ・・ と深く息を吸うと ジホの身体が大きく動いて
腕の囲いの中にいるスジョンを 覗きこむような格好になった。


「眠れませんか?」

「いや・・。ジホを見ていたのだ」
「?」
「目覚める頃 お前はいつも隣にいないだろう? 今は まだおると思うて」
「・・・」

 

スジョンはしなやかに身体をすべらせて ジホの胸へうつ伏せた。
つややかな黒髪が胸板に拡がり 小さな顎がみぞおちに乗る。

ジホは 眠そうな眉を上げて 可愛い人に微笑んだ。


「男の寝込みを襲うのは 感心しませんね」

「な・・、寝込みなど襲わぬ」
「私の胸を撫でていました」
「ちょっと 触れてみただけだ」

・・・ふ・・

「構わぬだろう? 我らは添うた仲なのだし ジホは 私のものだ」
「!」

 

違うのか? むくれた水晶が胸の上で 不満げに唇を尖らせていた。
その髪を指で梳きながら ジホは愛しさに戸惑った。

「・・スジョン?」
「うむ」
「書庫の一番大事な品々は いかほどの量がありますか?」

「書・・庫の?」

そうさな。 本当に貴重なものは つづらに3つ4つであろう。

「何故だ?」
「しばらくの間。ソウルから疎開することを考えています」
「どうして? アメリカ軍が撤退したのだから この街も静かになるのではないか」
「・・・・」

 

アメリカ軍が撤退すれば 韓国が「北」と戦うことはない。
韓国の軍備の大半は アメリカ軍が担っているのだから。

それは当時の軍政庁と 大方の市井の予測だった。

しかしこの時 狼の本能は 不穏な警鐘を鳴らしていた。


「ジホ」

「はい」
「何処へ 疎開をするのだ?」
「水原です」

「・・水原。華城の別邸か?」
「ええ。あそこは館も充分な構えがありますから 疎開が長引いても安心です」
「そうか」


疎開する先を聞いてしまうと スジョンの疑問は もう無くなった。
自分にはソウルが物騒とは思えないが ジホが決めたことなら任せるだけだ。

「書庫の物は どれ程までに梱包を終えさせれば良い?」
「なるべく早く。 出来れば 6月初めにはお移り頂きたいと思います」
「そんなに急ぐか? ・・あい わかった」

 

ジホがそばについているなら 何処へ行こうが不安はない。
話はそれで終わったとばかり スジョンはジホの刀傷をなぞった。

白魚の指にくすぐられて 本題に入ろうとしていたジホは慌てた。

「こ・・こら」
「?」
「お止めなさい」
「?」

こそばゆいか? ジホの慌てた顔など めったに見られるものではないな。
怜悧な美貌が楽しげにほころんで スジョンは悪戯な笑顔になった。

愛しい人が甘える姿に ジホは 言いかけた言葉を呑んだ。


“仕事の采配がありますので 私はソウルに残ります。
 出来るだけ会いに行きますが 貴女は 大丈夫ですか?”

 


・・・自分こそ この人と離れていられるだろうか?

数日 抱えていた問いを ジホはもう一度自分に問うた。
「水晶と離れて暮らす」 そんなことが 本当に出来るのだろうか?


指を這わせて遊んでいるスジョンの手を ジホはぼんやりつかまえた。
自分の胸の醜い傷を この人は大切なもののように撫でる。

ひたひたと想いが水位を増した。

ジホは 華奢な身体を抱きしめると 身体を返してスジョンを組み敷いた。

 

「スジョン?」
「うむ」
「・・今夜はもう ねだらないのですか?」 
「!」

安らかに寝ている所を貴女に起こされて 私は眼が冴えました。
優雅なまつげを柔らかく伏せて ジホは冷たく不平を言う。

取り澄ました物云いの中に 誘いを察して スジョンは口をほころばせた。

 

 
水晶が腕を差し伸べると ジホがその中へすべり込んだ。

「ジホ」

2人が睦み合う姿は 水中を泳ぐしなやかな魚に似ていた。
2つの身体がなめらかに 撫であいながらからみあう。

大きな手が腿を分けると 白い脚は迎えるようにほどけて
泳ぎ入るたくましい半身を 包むように柔らかく巻きついた。

 

・・・ぁ・・・・・

水晶の 甘い鳴き声を ジホはうっとりと聞いていた。

この声を耳元で聞けない日が来たら さぞや 今夜を懐かしむだろう。


—–
 


トラックに荷物を納める時 スジョンは 自ら指示に立った。

作業についた者達は じっと見つめる水晶妃の 氷の視線に震え上がり
粗相があってはと焦るばかりに ギクシャクとした動きになった。

すべての荷物を積み終えて スジョンは身支度を整えた。

執務室を覗くと ジホは電話で仕事の指示をしていた。

 


「・・ああ 仔細は明日戻ってから聞く。 内容をまとめておいてくれ」

スジョンの姿を認めると ジホは電話を切り上げた。
取り繕った微笑が スジョンの姿を見て固まった。

スジョンは 淡い紫の 仕立てのいいスーツを着ていた。
怜悧な美貌を柔らかな色が包み 彼女は この上なく艶やかだった。


「・・・・」

「どうした? ジホ」

「!・・いいえ。 荷物の方は 納まりましたか?」
「うむ いつでも発てる。ジホは?」
「では参りましょう。 暗くならないうちに向こうで荷を片付けないと」


椅子を立ち上がったジホを見て スジョンは怪訝な顔になった。
この執務室は いつものままだ。それに・・

「ジホ?」
「はい」

「電話で“明日戻ってから”と 言うておったな?」
「・・・」
「戻るとは どういうことだ?」

 

スジョンの表情がこわばるのを見て ジホの瞳に陰りが射した。
凶刃の前に手を拡げるよりも 彼女の この顔が耐えられなかったのだ。

少し・・仕事がありますので 貴女を水原へ送ってから 私はこちらへ戻ります。

「そんな事をするなら 出立を伸ばせば良いだろう?」
「・・・」
「どれ程かかるのだ? 仕事を片付けるまで」
「・・・・」

いぶかしげに細めた水晶の眼が その事に気づいて 大きく開いた。
・・ジホは 私だけを疎開させるつもりなのだ。

 


まっすぐジホを見据えると 思いつめた瞳があった。

スジョンはその眼を見つめたまま 氷の声で侍女を呼んだ。


「インスクッ!!」

侍女は 女主人のただならぬ勢いに驚いて 転がるようにやってきた。
「・・お・・奥様! どう・・されました・・」

「インスク。 お前は倉庫番のテジを伴うて 水原へ発て」
「は? ・・奥様は?」
「私はここへ残る」
「?!」

つんと高く顎を上げて スジョンはジホを威嚇した。
ジホは 冷ややかな氷の眼で 彼女をみたままインスクへ命じた。

「インスク お前は先に車で待て。“奥様はすぐに行くから”」
「行かぬ。 もう発てインスク」

「スジョン!」
「当主と呼べっ!」
「!!」

 

執務室の机をはさんで 水晶と狼は 真正面に向かい合った。
火花が散るようなにらみ合いに インスクでさえも口をはさめなかった。

どうすることも出来ないインスクは じりじりと下がって扉を閉めた。

・・ここは お2人で話し合ってもらわないと・・・

 

もしも 他の者が執務室にいたら 空気の重さに圧死しただろう。
気の遠くなるほどの沈黙から 2人は 一歩も退かなかった。

水晶がしびれを切らすまで 辛抱強く待つ狼が 今日は旗色が悪い。

動かないと決めた水晶には 焦る必要も無いからだった。


「行きましょう。 早くしないと向こうで暗くなります」

「お前が戻らぬと言うなら 行こう」
「私には しなければならない仕事があります」
「ならば私も残ろう。 荷だけを水原に移せば良い」 

 

・・・スジョン・・

寝屋でもないのに名前で呼んだジホに スジョンは腹を立てていた。

いつもなら 照れ屋の彼に名を呼ばれるのは嬉しいが
妻は夫に従えと言うつもりなら・・ 

「私は当主だ」
「だからこそです」

もしも 北が侵攻したら ソウルはまちがいなく戦場になる。

貴女に何かあったりしたら イ家は絶えてしまいます。
言い聞かせながら狼は そんな事ではないと思った。

イ家が心配なのではない。 水晶を 危険にさらしたくなかった。

 

目元を歪めて言い募るジホを スジョンはじっと見つめていた。
勘の強いジホがこれ程思うのなら きっと 戦いは起こるのだろう。

“姫様は そこにおいでませ”

そして ジホは私を安全な所へ置いて また 刃の前に立とうとしている。


ジ・・ホ・・・? 


スジョンが 柔らかに恋人を呼んだ。

それは 彼が寝屋で聞く 愛しい宝石の呼び声だった。
説得しようと意気込んでいた狼は 甘やかな声音に呆然とした。

「・・・ス・・ジョン・・?」

「お前は馬鹿だ。 まだ お前にはわからぬか?」
「え・・・」
我らは 半身同志が添うて 一つになったのではないか。

 


「お前がいなければ 私は 生きられぬ」

 

 

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