33 水晶妃-氷と狼の物語-第33話

 

 

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長身の 筋骨たくましい男にしては ジホは意外なほどひそやかに動く。

 

隣の部屋で気配が動き 静かに戸が閉まる音を聞いて
スジョンの髪をとかしながら インスクは ジホに同情した。

 

馬鹿がつくほど「姫様大事」のジホのことだから 
ひぃ様に苦痛を与えまいと 手を尽くしたに違いないけれど。

"いくらジホでも こればっかりはね・・・"


それにしてもこれから先 ひぃ様が嫌がるようなら
たとえ寝所を一緒にしても ジホは 決して手を出さないだろう。

"それじゃあ イ家の跡継ぎを お世話出来るのは何時のことやら・・"

 

 

心の中で肩をすくめて インスクは スジョンの髪を結いはじめた。
うなじへこぼれる髪をはらうと 紅色のあざが首筋にあった。

「!」


透きとおるような白い肌へつけられた 花びら型の小さな印。

気づかない風を装いながら インスクは思わず微笑んだ。

 

旦那様が病に伏した時から 独りで重責に耐えてきたジホ。

この家を護りスジョンを護って 歯を食いしばるように生きてきた。
そのジホが この柔肌に口づけることを 我慢できなかったとは。

・・どんなに 愛しかったんだろうね。

 


「・・・・」

鏡の中のスジョンもまた 首筋のそれに気がついたらしい。
細い指先で紅を押さえて じっと あざを見つめている。

髪を結う手を休めずに インスクは様子をうかがった

黙ったままのスジョンの頬が 少し染まって ほころびた。
「!」

 

柔らかく唇を噛みながら スジョンは笑みを浮かべている。
はにかんであざを撫でる姿に インスクは 淡い希望を抱いた。

「・・ひぃ様・・?」

「うむ」
「ジホは器用な男ですから 寝屋のことも じきに上手くなりますよ」
「・・・」

そうだな とスジョンが小さく返事をしたので インスクはほっと安堵した。
どうやらひぃ様はこの先も ジホと睦む気でいるらしい。


——–

 


インスクが執務室を覗くと ジホは書類をめくっていた。

昨日結婚したばかりだと言うのに 「いったい 何をしておいでです?」


「執事がここでやる事は 仕事に決まっているだろう。 ・・何か用か?」

「ご準備が整いました」
「準・・備?」
「旦那様の 『見舅礼』(婚家の両親と家の者に新婦が挨拶する儀式)の用意です」

「?」

 

鳩が豆で撃たれたように ジホはきょとんと眼を上げた。
落ち着き払った侍女頭は 悠々たる貫禄を見せつけた。

「・・旦・・那様・・?」

「貴方様のことです」

 

スジョン様のご両親は亡くなっておられますので 供物壇を作りました。
先代様へご挨拶されてから 家の者達の祝辞をお受けください。

「本日より 家の者にはジホ様を"旦那様"と呼ばせます」


「な?! い・や・・待て、インスク"旦那様"などと。 俺は そんな大それた・・」
「"旦那様"!」
「!」


インスクは 昔 少年を叱った声で ジホの抵抗を切り捨てた。
こういう家にはね。 家を治めるための決まりというものがあるんだよ。


「そして奥向きのけじめをつけるのは 侍女頭である私の仕事」
「・・・」
「この家の当主はスジョン奥様。 そしてお前は その夫なんだよ」

「・・・」


"旦那様" それではお急ぎくださいね。 弾むように言ってインスクは去った。

忠義な執事は 新しい呼称に 呆然としばらく放心していた。


——

 

・・ジホは 私を避けているようだ。

スジョンは盛大にむくれた頬に 紅い唇をとがらせた。

 

『見舅礼』に現れたジホは スジョンと視線を合わせなかった。

次々に祝いを述べる家の者達には 平然と挨拶を返すくせに
スジョンがジホの方を見ると さりげなく眼をそらしてしまう。

その上 家令への挨拶が終わると たまった仕事を片付けると言い

事務方の者を呼びつけて さっさと執務室へこもってしまった。

 


・・ジホが仕事で忙しいのは いつものことだがな。

結婚したら もう少しは2人で過ごせると思っていたのに。
立てた膝を抱え込んで スジョンは膝頭へ顎を乗せた。

昨夜のように優しい眼で 名前を呼んでくれないかな。

 

「・・そうだ」

突然 名案を思いつき スジョンは侍女を呼びつけた。
いそいそと盆を運んでいると インスクが眼を丸くした。

「ひぃ・・奥様。 何をなさっているのですか?」

 

「茶を煎れたのだ。 ジホは ユルム茶を好きだろうか?」
「ええ、甘くないお茶が・・・。 では それは?」
「"旦那様"に持ってゆくのだ。 私はジホの妻だからな」

得意げに盆を捧げて スジョンは顎をつんとあげた。


・・それは 旦那様もさぞ驚くでしょうねえ・・

インスクは そっと笑いを噛んだ。
スジョンにお茶など煎れてもらったら ジホは どれほど喜ぶだろう。

 

 

「ひっ?!」

「?」

突然 入ってきた水晶妃を見て 事務方の男が小さく叫んだ。

その声にジホは眼を上げて 彼女の姿に眉を上げた。


スジョンは澄まして歩み寄り ジホの眼の前へ茶碗を置いて
申し訳なさげに微笑むと 事務方の男に詫びた。

「・・お前が居るのを知らなんだので 茶は 一杯しか煎れて来なかった」
「め・・めめめ、滅相もない! 私などにお気遣いは無用ですっ!」

 

そうか すまぬな。

スジョンが艶やかに笑いかけたので 事務方の男は のぼせ上がった。
男に見せた笑みの美しさは ジホの眉をひそめさせた。

 

「どうなさいました? 姫様」

"姫様"?   ・・あぁ・・うん。 

「ジホが根を詰めておるようなので "旦那様"に 茶を煎れてきたのだ♪」
「何を馬鹿な・・。イ家のご当主が 侍女の真似などなさることはありません」
「!」


それでなくとも自分が"旦那様"と呼ばれるなんて 身の程知らずもはなはだしい。
自責の念に囚われるあまり ジホは不機嫌にうつむいた。

主家の姫様に茶を煎れさせて どの面下げて飲めというのだ。

 

ジホにぴしゃりとたしなめられて スジョンの得意げな笑みが消えた。

事務方の男は 2人のやりとりを聞いて真ん中でうろたえた。

 

「・・仕事は・・・まだかかるのか?」

「どうぞお気遣いなさいませんよう 姫様は先にお休みください」

ジホは 精一杯 なだめるような笑みを浮かべてスジョンへ言った。
"今夜"を怖れているだろうスジョンを 安心させるつもりだった。 


「・・・そう・・か」

気落ちしたことを悟らせまいと スジョンはぎこちなく笑って去った。
ジホは 彼女の去った後を こらえきれないように眼で追った。

 


「すまない。 続けよう」 

「・・・・・」
「釜山の手形は 私が肩代わりする。 裏書きをするから証書を・・」
「・・・・・・・・・」
「おい?」


あ然としていた事務方の男が 我に返ってまばたきをした。
ジホ様 いぃや 旦那様ときたら いったい何を考えているのだ?

「旦那様」

「うむ」
「あの・・、あれでは 奥様がお気の毒ではないですか?」
「え?」


実直がとりえの事務方の男は 固まったジホを見て ため息をついた。

呆れる程優秀な方なのに 何と 色恋に不器用な。

 

「私が申し上げるのもなんですが・・」  

これでも永年 妻子ある暮らしを続けておりますので
その方面では先輩と思って 耳を傾けていただければ。


「新妻というものは 夫の世話を焼きたがるものです」
「え・・?」

お可愛いではありませんか。 ああして お茶を持って来られて。

「それを旦那様ときたら 無用なように仰って・・」 
「!」
「そんな邪険にしなくても。 そのうち世話など頼んでもしてくれなくなります」

「!!」

 

椅子を倒す勢いで ジホは卓から立ち上がった。
部下は 常に冷静な狼が 蒼白になった事に眼を丸くした。

ジホは無言で部屋を出て行き 慌てて戻って 茶を飲み干した。


ゴホッ!

・・旦那様・・・

「す・・まない。 続きは 明日にしよう」
「えぇ それがよろしゅうございます」
「・・・」


「旦那様?」
「うむ」
「私の経験から申しますと 奥様がどれほど怒っても 渾身でなだめるのが正解です」

「・・・・」


感謝する。 部屋を出て行った足音が 廊下の先で駆け足になった。

残された部下は 卓上の書類を片付けながら忍び笑った。


——-

 

2人の寝所の前へ立つ ジホの胸は早鐘を打っていた。

身分を超えた立場への 罪悪感にとらわれるあまり
スジョンの想いを踏みにじった自分を 殴り倒したい気持ちだった。


"旦那様に 茶を煎れてきたのだ♪"

"何を馬鹿な・・"


ジホはぎりぎりと歯噛みした。  ・・俺は 何という愚か者だ。 
護らねばならない宝石の笑みを 自分が消してしまうなんて。

 

「・・・」

部屋の中は灯りを落として 沈鬱なほどに静かだった。

スジョンは 寝台の向こうへ横たわり こちらに背中を向けていた。

傷ついたようにすくめた肩が 切ないくらいに小さく見える。
こらえきれないうなり声を上げて ジホは その背中を抱き寄せた。

 

「?!」

「すみませんでした」
「・・・・」

ジホは 後悔を腕で閉じ込めるように スジョンを強く抱きしめた。
向こうをむいた彼女の耳へ 頬ずりをしながら囁きかけた。

「お茶 嬉しかったです」
「・・・・」
「また煎れてくれませんか?」
「・・・・」

 


・・侍女の真似などするなと言うた。

ようやくスジョンが 拗ねたように不機嫌な声で文句を言った。
応えてくれた嬉しさに ジホは はじける笑顔になった。


「馬鹿を申しました。貴女は 私の妻なのに」
「・・・・」

「・・怒っていますか?」
「・・・・」


「・・スジョン?」
「・・・・」

 

「許してください」
「・・・・」

 

 

"奥様がどれほど怒っても 渾身でなだめるのが正解です"


腕の中の宝石は まだ不機嫌にそっぽを向いている。

それでも 拗ねた恋人を抱きしめるジホは幸せだった。

 

 

 

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