29 水晶妃-氷と狼の物語-第29話

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 朝鮮の大地にひびが入り 次第に 大きな亀裂となった。

南北を分けたその亀裂を 列強の思惑が押し拡げる。


今や 分かれた2つの大地は 轟音を立てる地割れとなって
元は1つだったこの国を すさまじい勢いで引き裂いていった。

——


どれほど 国が乱れても 人の営みは途切れない。

食料・衣料・燃料・機材‥人が暮らして行くために 様々な物が売り買いされる。


政府の管理が届かないまま 商品市場は荒れ狂っていた。

高騰しては暴落する 手負いの獣の如き相場を相手に
一夜で身代を失なう者が出るのも 珍しいことではない状況だった。

 


そんな激動の商品市場に "怪物"は 忽然と現れた。

「晶李」と称するその小さな商社が 最初 話題になったのは
呆れるばかりに正確な 市場の読みのゆえだった。


「晶李」が大量に買い占めた物は 必ず 数倍の値をつけた。

まるで高騰が読めるとでもいうように 鮮やかに高値で売り抜けてゆく。
財閥系とは思えないが 買うとなったら 驚く程の大金を現ナマで積み上げる。

利権も 従来の商慣習も まったく無視して商売をする

一匹狼のような闘い方に ソウル中の商人が眼を剥いた。

 

そして 無名のこの商社が "怪物"と呼ばれる事件が起きた。

朝鮮民主人民共和国の成立を 一方的に宣言した北側が
南半部への送電を 突然 停止させたのだ。

突然電気を奪われた南部は 恐慌状態に陥った。

そして この時「晶李」は この国の蝋の大半を買い占めていた。

——-

 

「・・大星物産が 買いに入っている?」

「はい。各ルートでかなりの量を買っています。本日の終値は・・」
「では 売れ」
「は? ・・あのぉ でも 蝋の相場はまだまだ上がります」


驚きのあまり 口答えをした部下は ごくり‥と唾を飲み込んだ。
端然と座る目の前の執事が 冷ややかな眼で見返していた。

「で、出過ぎたことを申しました。 ・・どれくらい売りますか?」
「全量」

「なっ! それでは相場が暴落します!」
「・・・」
「し、失礼しました」


非常事態に儲けるのは 程々にしないと市井の人に恨まれる。
市場にロウソクが行き渡れば 皆が喜ぶというものだろう?

上機嫌な狼は ふわりと椅子を立ち上がり 木陰を透かして陽を見上げた。
そうやって空など眺めていると 執事は 優しげな美男子に見えた。

思わず見とれていた部下は しかし 振り向いた彼の眼光に震え上がった。 

 

「大星物産の決済は・・現金?」

「も、もちろんです! 今回の取引は 総て仰せのとおり・・」
「手形で 売ってあげなさい。 90、いや180日でも構わない」
「は・・?」

・・ですが大星へ売った後で 蝋が暴落するのなら その手形は・・・
言いたい言葉を飲み込んで 部下は書類を片付けだした。

自分が想像できることぐらい この執事には 判っているのだ。

——-

 

事務方の部下を下がらせた後 ジホは出かける用意をしていた。

気づけばインスクが 物を言いたげに 執務室の扉から中を窺っていた。


「・・・・」

「隠れるか 入って来るのか はっきりしてもらえると助かるな。インスク」
「あ、あぁ。 だけど ・・・ジホは 忙しいんだろ?」
「そうだろうな。 金を5倍10倍にすることは のんびり寝ていては出来ない」

「・・・」


考えこんだ侍女頭に ジホは 心中で舌打ちをした。

「姫様のことじゃないのか?」
「あぁ ・・実はそうなんだけれどね」
「どうした? 婚礼衣装がお気に召さないか? 何でも 姫様の好きにすればいい」

「そんなことじゃないんだよ」


お前も 知っているだろう? ひぃ様はその辺 変わっているよ。
着物にもきれいな飾り物にも 大して興味をお持ちじゃない。

「では何だ。 何が 問題だ?」

「ジホ・・」

インスクは 生き馬の眼を抜く商品市場を翻弄している怪物を 呆れ顔で見つめた。
まったく誰より優秀なくせに どこまでも無骨な男だよ。

 

「ジホ。 お前は ひぃ様の許婚なんだよ」
「・・え?」

普通 婚約したとなれば どんなに気の利かない男でも 
少しは許婚になった娘と 甘い時間を過ごそうとするものだろう?

「・・・」
「まったく 仕事仕事って。 ひぃ様と何日口をきいてないんだい?」
「・・・・」

お前がひぃ様を手に入れるために 一世一代の勝負をしているのはわかるさ。
「だけど 許婚のひぃ様を放ったらかしで 愛想のひとつも言っちゃいないだろう?」
「・・・・・」

貴子様なんか お前が冷たい夫になるのじゃないかって 
「気を揉んでいなさるんだよ」

「・・・・・・」

途方にくれた狼の 怜悧な頬に朱が差した。
不器用にうろたえるジホを見て インスクは大仰なため息をついた。

・・まぁ恋愛なんて この男の最も苦手な事だろうさ。

 

インスクはそれ以上の意見を諦めて 執務室を出て行こうとした。
その背に 居心地悪そうなジホが やっと絞り出したような声をかけた。

「・・インスク」
「何だい?」

「・・・その。 姫様は 今夕 時間があるだろうか?」

——

 


漢江を見下ろす高台には 気持ち良い風が吹いていた。

暮れはじめた陽が 水面を金色に染めて ソウルの夕は美しかった。


ジホは車を停めた後 しばらくじっと黙り込み
決心したように車を降りると 後部座席のドアを開けた。

スジョンは不思議そうな顔をして 静かに車から足を下した。
その眼の前に立ったジホが 思いつめたように手を伸べた。

「?」

「・・・足元が・・悪いですから・・」
「そうか」

スジョンは 足元の平らな地面と 差し出された手を見比べた。
それでもジホの手が嬉しいので 黙ってつかまることにした。 

 


ジホと手をつないで歩くのなど 子どもの頃以来だな。

握られた手を見つめながら スジョンはぼんやり考えていた。
ジホは こちらを見ないように 何だかむっつりと歩いていた。

「・・ジホ?」

「!!」

何気なく声を掛けたのに ジホの身体が飛び跳ねたので 
スジョンは ポカンと口を開けた。

凝り固まったようにぎこちない肩が ゆっくり こちらを振り返る。
小首を傾げて見るスジョンに ジホは 頬を引きつらせていた。

「何・・でしょうか?」

「この夕方に こんな所へ何をしにきたのだ?」

「はい。 あの・・今夕は 姫様に・・黒・・点を・・・」
「うん?」
「陽の 黒点を・・お見せしようと」
「黒点?」


あの 陽の中です。 昼はまぶしくて見えませんが 夕方ならば大丈夫ですから。
漢江の上へ傾いた陽を ジホはまっすぐ指差した。

言われるままに眼を細めて スジョンは 照柿色の太陽を見た。

太陽の左下の方。 暖かく揺れる朱の中に ホクロのような黒い斑点が浮いていた。

 

「・・あぁ 見える」

「あれが 黒点です。 太陽の中に出来る 大きな磁場だと言われています」
「ふぅん?」
「今年は 近年・・稀なほど・・・大きな黒点群が現れていています」

ジホは 普段の明快な物言いでなく たどたどしい口調で説明した。
スジョンは きょとんとした顔で 彼の言うことを聞いていた。


「大きな黒点が・・出る年は 地上に・・変革が起こると言われているのです」

「ふぅん。 面白いな」
「私は・・だから・・・変革を予測して・・賭けをしようと思います」
「そうか」

「貴女を 得るために・・です」
「?!」

 

スジョンは 黒々と大きな眼を丸くして 世にも珍しいものを見た。
冷静沈着で鳴らした男が 染まった頬をそむけていた。

「ジホ?」
「・・・」
「・・もしかして "だから私にかまう暇が無い"と 詫びを言っているつもりか?」

・・・寂しい思いを しておられるかもしれませんが・・・・  

 

「!!」

ジホ と嬉しげにささやく声を 狼は自分の胸の中に聞いた。
飛び込んで来た水晶は しっかりジホに抱きついていた。
「な・・姫様っ!」

「ジホ」

ふわりとジホの胸元で 柔らかな笑みが花開いた。
きらきらとした眼と 微笑んで少し開いた唇が ジホの視線を吸い込んだ。


「ジホは その賭けにいつ勝つのだ?」

「・・もう半年 お待ちいただきます」
「そうしたら 私はジホの嫁になるのか?」
「お支度は 整っておられますか?」
「?!」

そうだな。 インスクが煩く言っておったが ちゃんとは聞いておらなんだ。
婚礼支度を整えるのも 相当の時間がかかるものさな。

「ジホ」

「はい」
「私は忙しくなりそうだ。あまりお前の相手が出来ぬが 薄情と思わないでくれ」
「!」


いたずらそうに光る眼が ジホを見上げてねだっていた。

ジホは自分に抱きついた腕を ほんの一瞬 離そうとしたが
すぐに無駄な抵抗をあきらめ 愛しい人を抱きしめると 甘える唇に顔を重ねた。

——

 

「やっぱりね」

我が意を得たりと言わんばかりに 貴子は満足そうに笑い 
豪華な婚礼衣装の 刺繍の見事さに眼を見張った。

「男が 許婚を外に連れ出すのは 口づけしたい時なのよ」

「・・そうだろうかな」

 

あれは 自分が抱きついたから ジホは応えただけではないか。

いぶかりながら スジョンは拡げた絹を撫でていた。

ジホが自分を貰うことにしたのも 私が添いたいと願ったからだろう。
添うことになり願いが叶った自分は良いが ジホには申し訳なかったのかも知れない。


「・・のぉ 貴子」
「ええ」

「ジホは 私と添うて 嬉しいかな」
「え? そりゃそうでしょう。 愛しの姫と 身分を超えた恋を実らせたのだから」
「恋? 我らは・・恋などしておらぬぞ」

「へ?」


2人の間が恋でないなら あの鬼軍曹が 晶さんを見るときの 
繭で包むような優しい顔は 一体なんだって言うつもりよ?

拗ねたようにうつむいて絹をさすっている友を 貴子は呆れ顔で見た。

晶さんって本当に 鈍いところがあるんだから。


——-


債権の書類を机上に並べて 狼は薄く微笑んだ。

自分の牙はもうすでに 獲物の喉を捕えていた。


水晶は 当主の間の座布に座り 狼の顔を見つめていた。
「姫様」

「うん」
「お待たせをいたしました」
「賭けとやらは終わったのか?」

ふ・・・、 

姫様は 勝ったのかとはお聞きにならない。 元より負けるつもりも無いが。 
呆れるばかりの信頼に 狼は思わず笑みをこぼした。


「それでは ご親戚様をお集めください」
 

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