27 水晶妃-氷と狼の物語-第27話

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ジホ・・と 三回 呼ばれるまで ジホは放心していたようだ。

やっと気づいて眼を上げると スジョンの青ざめた顔があった。

 

「話は 終わりだ。 下がってよい」

「・・・」

血の気の引いた頬を見ると 心配でどうにかなりそうだった。
自分の庇護から抜け出た水晶が あまりにはかなく 胸が痛んだ。

 

「・・・姫・・様は・・お顔の色が・・すぐれません・・・」

何もお食べになっていないと 厨房も心配しております。

滑稽な程にうろたえながら ジホは言わずにいられなかった。
ゆっくり 2、3度まばたくと スジョンはぎこちなく笑って見せた。


「ジホ・・」

「はい」
「心配するな。 私は 大丈夫だ」
「!」


愛らしいはずの微笑みが 狼の背筋を凍らせた。
水晶だけを見つめてきた彼は その表情を知っていた。

親父様や 家の者を心配させまいと 彼女が取りつくろう時の顔。
その微笑が 事もあろうに 今 自分へ向けられていた。

・・・だめです・・姫様・・

 


当主の部屋を辞した後 ジホの足は 裏庭へ向かった。

水晶の部屋の窓外に立ち 自分の愚かさに呆れていた。
ふるえる指が 草をちぎる。

・・・・♪・・・・


"ジホ! ジホ! それはどうやるのだ?

"草笛は 女子のするものではありません"
"ふん! ・・のぉ ジホ それは曲も吹けるのか?"

"・・・何が いいですか?"

 


「・・・・」

水晶の窓は 閉まっていた

屋内の 不自然な程の静けさは 彼女が草笛を聞いたことを 
聞き捨てたことを 教えてくれた。

狼は 絶望に歯噛みした。 水晶は 独りで泣いているのだ。

——–

 

5日、6日と過ぎるうちに 屋敷の者が 戸惑い始めた。

水晶の声が響かない屋敷は うっそりと巨大で 陰鬱だった。

使用人たちは 自分たちの主人が 沈むように塞ぎこんでいることに怯え
彼女を護るはずの狼が 手をこまねいていることに眉をひそめた。

 


平倉洞の主人がやってきたのは そんな緊張の中だった。

縁談を持って来たという主人を ジホは 胡散臭げに迎えたが
意外なことに 今回の話は 一見したかぎりでは良縁だった。


「・・・」

「家格も申し分ないし 歳も相応の好青年だ。 どうだ 悪くない話だろう?」
「・・左様ですね」 

北では 親日と疑われたら粛清されるご時世だ。

日帝の宴席へはべったスジョンに こんな良縁は望むべくもないぞ。

平倉洞イ家の主人は 恩着せがましく言いつのったが
ジホが冷たく眉を上げると びくりと慌てて笑みを引いた。

 

「・・姫様は 日帝の宴席へはべった訳ではありません」

「も、もちろんだとも。 ただ、せ、世間には そう思う輩も多いということことだ」

 

"誰よりも 貴方様が そう思っておられるのでしょう?"

心の中で罵りながら ジホは拳を握りしめた。
親日の疑いこそ晴れたものの 彼のように考える者は 少なくないのだ。

 

眉をひそめて黙り込んだジホへ 平倉洞の主人は 媚びるように身をすりよせた。
・・スジョンはお前を頼っておるし。 「お前から 話を勧めてくれんか」

「・・・・」

「あれを早く嫁がせて 亡き兄貴を安心させたいだろう?」

 

それにな。

平倉洞主人は いきなり 狡猾な笑顔になった。
スジョンが嫁いでしまえば お前も この家での心配はなくなる。

「この古屋敷と かび臭い書籍やらは 財団が管理するのだろう?」
「はい」
「それでは この家に お前ほどの執事は要らん」


そうなったら うちへ来ないか?
我家の執事にしてやろう。 兄貴の倍の金で雇ってやってもいい。

自分に 内緒話をする平倉洞主人を ジホは呆れた顔で見た。
いきなり縁談を持ってきたと思えば そんな事が狙いだったか。

ふ・・・


「ありがとうござます」

「どうだ?! 悪くない話だろう。 うちへ来れば優遇してやるぞ」


下卑た笑いを浮かべる男へ ジホは冷然と言い放った。

「姫様が嫁がれましたら ・・私は イ家よりお暇を頂くつもりです」
「な・・んだと? それでは どこへ雇われるつもりだ!」
「どこにも」

「・・え?」


私は 人様に雇っていただける程 気の利いた男ではありません。

「お仕えするのは 姫様が最後と 自分の分を決めております」

 

憮然と車で去る平倉洞主人を ジホは丁寧に見送った。
相変わらず身勝手な親戚に 内心怒りを覚えたが 彼の言葉が心に残った。


"・・亡き兄貴を 安心させたいだろう・・・?"

親父様のことを考えると いたたまれない気持ちになった。
恩ある主人に託された姫が 幸せに思えないのが辛かった。

水晶は誰かに 大切に護られ 安らかでいるべき花なのに。

 

"良縁だろう? ・・お前から 話を勧めてくれんか?"

「・・・・」

確かに 悪くない縁談ではあった。 
しばらく思いに沈んだ後で ジホは 水晶の部屋へ向かった。

——-

 

「嫁ぐ気はないと 言ったはずだ」


当主の座に 背筋を伸ばして スジョンは氷の声で言った。
数日の間に頬が削げて 冷たい美貌は凄みを増していた。

自分との間に壁を置き 閉じこもる水晶に ジホは焦れた。

自分が姫を護れないなら 誰かに 護られて欲しかった。

 

「ですが。 こたびの・・お相手は・・・悪くない様に思えます」

「・・・」
「もし お許しを頂けるようでしたら 人となりなど調べたく・・」
「・・・」

「姫様」

 

はたり・・ とかすかに絹が鳴った。 狼は 驚きの眼を向けた。

一瞬 腿へ落ちた涙を 水晶の小さな手が覆い
しみを隠した手の甲へ こらえきれない雫が また落ちた。


「・・姫・・様・・」


後生だ ジホ・・・

「?」
「お前に嫁げと言われると 私は ・・死にたい気持ちになる」
「な・・」

本家の面目を思うなら 言われるままに嫁ぐべきだろう。
忠義者のお前が 家の為を考えていることは 私も重々分かっているのだ。

「・・私は・・そのような・・」

「嫌なのだ」


我儘なことは 百も承知だ。 お前を困らせまいとも思うのに。
夫を持つことを考える度に 死んでしまいたい気持ちになる。

スジョンは涙をこぼすまいと 黒々とした眼を張っていた。

それでも涙は はたはたと落ちて ジホの正気を切り裂いた。

 

「愚かとお前は蔑もうが。 私は・・・お前でなければ嫌だ」
「?!」

ガンホ爺が言っておった。 男は・・妻を抱いて寝るものなのだろう?
私は 知らぬ男になぞ 抱かれて眠ることなど出来ぬ。

「後生だ ジホ。 駄々は言わぬから 私をここに居させてくれ」

「・・ぁ・・」


私が嫁がねば 荷が降りぬと お前の迷惑になっているのも分かる。
だけど 私はどこへも行けぬ。

「お前のそばへ 置いてくれ・・・」

 

血がにじむほど唇を噛んで 水晶はジホを見つめていた。

こぼれる涙をぬぐうこともせず ひたむきに見る水晶に
狼は ゆっくり眼を閉じて 禁忌を犯す心を決めた。

 

「このスジョンがイ家の ジホの足枷になっていることは・・・・?!」

 

しなやかな身体を滑らせて 狼が 水晶をつかまえた。
いきなり大きな腕の中に囚われた水晶が 息を飲んだ。

「姫様」

「・・ぅ・ん」
「商事会社は 頂きません」
「・・ぇ・・」

 

"・・親父様  黄泉にてお叱りを頂戴します・・・・"

おそらく誰もが許すまい。 狼は この先を覚悟した。
それでも 水晶を泣かすよりは 世界を敵に回すほうが良かった。

 

「かわりに 貴女を頂戴しましょう」

 

 

 

 

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