26 水晶妃-氷と狼の物語-第26話

 

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洗いあがった服を抱えて 薄暗い部屋へ入ってきたインスクは

無人と思った室内に 人影を見つけて悲鳴をあげた。

 

ひぇっ!!   

「・・?・・・ひぃ・・様・・ですか?」
「・・・」


驚かさないでくださいよ。 「どうして こんな暗がりに」

「灯りを点けるな。インスク」
「はい?」
「考えごとを ・・しておるのだ」


暗がりの中で 水晶は うなじを落として座っていた。
インスクは眼を凝らしながら 華奢な背中をいぶかしく見た。

何だか ひぃ様は泣いてらっしゃるようだけど?  ・・・まさかね。

 

スジョンは どんなに辛い事があっても 使用人たちに弱気を見せない。

インスクでさえ泣き顔を見たのは 姫様が少女の頃だけだ。
彼女が涙を見せるのは 頼りにしているジホにだけと 侍女頭は知っていた。

そのひぃ様が 何だって独りで泣いているんだい?

 

「あ・・のぉ ひぃ様。 ジホと・・喧嘩でもなさいましたか?」

「・・・・」
「"あれ"もまったく! また ひぃ様に きつい事を言ったのでしょう?」
「・・・・」


それでも ジホは忠義者ですから きっとひぃ様を心配して・・。
「そうだな」

「?」

「私は 今まであまりにも ジホに甘え過ぎていたのだろう」
「な、何をおっしゃいます! ジホはイ家の執事ですもの 甘え過ぎだなどと」
「執事・・だな。ジホには 執事以上の務めを果たす義理などないのだ・・」

 

スジョンは ぼんやり闇に眼を上げて 自嘲するような息をついた。

なぁ・・インスク。 私はな ジホに結婚しようと言ったのだ。

「は?!」
「ものの見事に 撥ねつけられた」
「そ、そりゃあ。 ・・ひぃ様とジホでは いくらなんでも・・」

 

そうなのだ。 「私は 家事も何も出来ぬし ジホの嫁など務まらぬ」

「え? いえっ! あの そんな話じゃ・・」
「・・私が 清純で 料理のひとつも出来ればな・・・」

「ひぃ様っ?!」


もう行け インスク。 私は少し 独りで物を考えたい。

暗闇の中で しょんぼりと小さな肩が丸まった。
あまりのことに インスクは よろけるように部屋を出た。

——-

 

ガターン! ガン! バサバサバサッ!


「止めろっ!インスク! 気でも触れたか?!」
「あーあーっ! 確かに気も触れそうだよ! いったい お前は何様だいっ?!」

いきなりやって来たインスクは 湯気を立てて怒っていた。

執務室には 彼女が投げる金物や小籠が盛大に飛んだ。

 

「な 何を言っているんだ?! 止めろ! 物を投げるなっ!」

「冗談じゃないよっ! どうしてお前ごときが・・ひぃ様を泣かせていいんだいっ!」
「姫・・様? 姫様がどうした?」

お前! ひぃ様が結婚しようと言うのを 大生意気にも断ったそうじゃないか?!
「?!」


「可哀相にひぃ様は "自分はジホにふさわしくない"と それは大層お嘆きだよっ!!」

「な・・んだと?」
「家事が出来て清純じゃないと お前は嫁に貰わないんだって?! はあっ!」
「なっ・・!」

悔しまぎれのインスクは 手当たり次第に物を投げる。

大事なひぃ様を傷つけるなんて お前はとんでもない恩知らずだよっ!

 

インスク・・お前は 何を言っている!! 正気なのか?

「俺は 素性も怪しい野良犬だぞ! 姫様と結婚など出来ると思うかっ!」

「お前が野良犬だってことなんか 誰よりあたしが知ってるよっ!!」

旦那様が お前を拾って帰ってきた時
泥まみれ血まみれの汚い小僧を アタシが井戸端で洗ったんだ!


「そうだろうっ?! その野良犬が 姫様を どうして妻に出来るんだ?!
 亡き旦那様に知られたら 地獄に落ちても許されぬぞ!」

「あぁそうだよ! お前がひぃ様の夫だなんて 絶対 許されることじゃないさ!」
「それなら・・」
「だけどねっ! それより許せないのは お前がひぃ様を泣かせることだ!」

「な・に・・・?」

 

行って その眼で見てご覧よ! あぁ・・何てお可哀相に。 
小さな肩を落とされて 暗がりで ひっそり泣いてるじゃないか! 

「姫様が? ・・・本・・当か?」

「どうお詫びするつもりだい! それこそ 旦那様は許さないよっ!」
「・・・・」
「誰が お慰めするのさっ?!」


どうするのだ。 

執事と侍女頭は向かい合って 荒れた息を吐いていた。
主人思いでは一歩も退かない2人にも 答えは出なかった。


——–


「・・・・・」

「・・・・・」

「・・・・・」

 

眠れぬ一夜を悩み抜いて 翌日 ジホは水晶の部屋の前に立った。

スジョンは 夜の食事を断り 運ばれた朝食にも手を付けなかった。

インスクはひどく腹を立てて ジホとはろくに口も聞かない。
ジホはジホで インスクの無茶な言い分に腹を立てていた。

 

・・・どうすれば良いというのだ。

姫様の幸せを願うなら 自分と添うなどという
馬鹿げた考えは 捨てていただくしかないというのに。

とはいえ スジョンが心配なあまり 仕事も手につかない狼は
いらだたしげな息を吐いて 部屋の前を行き来していた。


「・・・!」

常の冷静も 結局のところ 水晶への心配に勝てるわけもなく
ジホは意を決すると 部屋に向かって声を掛けた。

「姫様」

「・・・」

「"当主様"。 ・・ぁ・・事業の ご報告を致したいのですが・・・」
「・・・」

ジホの鼓動は その身体を突き破りそうにとどろいていた。
狼が凝視する中へ 部屋の戸がすらりと静かに開いた。

 


「分家へ株をお売りした売却益を 財団の基金にいたしました」
「・・・・」

今のままでは 多額の納税が余儀なくなりますので。
これだけの基金があれば イ家の書庫と文書の維持は心配ないはずです。

「・・・・」

ジホは 書類を繰りながら おずおずと水晶を盗み見た。
その眼に涙が浮かんでいたら 慰めずにいられる自信がなかった。

 

スジョンは 泣いていなかった。

常にもまして 怜悧な瞳が じっと書類を見下ろしていた。
白い頬には血の気がなく ジホは 心配に身が切られる思いだった。


「・・ジホ・・・」

「! ・・はい」

「・・この帳簿には見当たらぬが ジホの給金は どこに書いてある?」
「は? 私の・・給金でございますか?」
「執事のお前が 給金をもらっておらぬ」

「いえ・・私は・・・」


要る物はインスクが用意してくれますし 寝食もごやっかいになっております。

「イ家の総てを取り仕切る執事が 書生のままの扱いなのか?」
「充分にございます」
「・・・」


そうか と小さくつぶやくと それきりスジョンは口をきかなかった。

ジホは ただ彼女を見守り続けたいばかりに その後も長々と事業報告を続けた。

——-


「・・姫様が?」


次の日 ジホはスジョンから 当主の間へ呼びつけられた。
彼女はいつも 用があれば 自分からジホの所へやってくる。

いぶかしみつつも行ってみると スジョンは座布にきちんと座り
膝の上に書類を広げていた。


「・・どうなさいました? これは?」

・・・うむ・・

「のぅ ジホ。 今 本家が持っている土地や事業はこれで全部か?」
「左様でございます」

それでは。 この中から"私の為に" 1つ残すとしたらどれになろう?

「は? こちらは総てご本家の つまり姫様の為のものですが」
「それでもだ。 例えば この上財産分与するとしたら・・どれを残す?」

 

ジホはそっと水晶を見た。 姫様は いったい何を始められたのだろう?
怪訝な思いを飲み込んで ジホは書類へ眼を走らせた。

「そうですね。 こちらの商事会社を残します」

「ふむ ・・どうしてだ?」

「事業内容が良く 土地や利権などの含み資産も多うございます。
 定款の自由度が大きいので やり方次第で 自在に事業が拡大できます」
「お前が采配すれば 大きく出来るか?」
「・・まぁ 何とかなりましょう」

 

"それではジホに その会社を やる"

「は?」

お前が "私の為に"選んだなら それが一番良いものだろう。
「今まで永年 無償のままに イ家に仕え続けてくれたことへの礼にやる」

水晶の言葉に 狼は 身の毛のよだつ思いがした。

「・・それ・・は・・・。 姫様は 私に辞めよと仰せですか?」

「え?! お前がおらぬと私は困る。 ・・ジホは・・辞めたいのか?」
「いいえ! ・・ですが。 ではなぜ 会社を下さるなどと」
「だから 今までの礼だ」

 

スジョンは静かに座布の上へ 背筋を伸ばして座り直した。

「私はな ジホに謝らねばならぬ」

「?」


私は今まで お前のことを 自分のもののように考えておったのだ。
ジホが 己の総ての時間を イ家に費やすことも不思議に思っておらなんだ。

「ジホとて一人の人であり 男なのに。 愚かよな・・」

「姫・・様・・?」


お前には これからもイ家を助けてもらわねばならぬ。
こんなに私が頼りなくては 優秀な執事は困るのだと 遅まきながら気づいたのだ。

「今後は ジホも他の使用人たちと同じく 自分の暮らしを持つが良い。
 給金だってちゃんと取らねば・・・お前こそ・・可愛い嫁が・・・貰えぬぞ」
「姫様!」
「・・ジホ」

 

今まで 本当にありがとう。

ひた と小さな手をついて 水晶は深く頭を下げた。
つややかな黒髪が頬をすべり 寂しげな姫の表情を覆った。


手中の珠と愛しむ水晶が 自分から離れようとしている。

あまりの驚愕に 狼は 身体の震えにも気づかなかった。

 

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