25 水晶妃-氷と狼の物語-第25話

 

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平静な声を出すために どれほどジホが努力をしたか

彼を見つめているスジョンには 到底 理解できなかったろう。


それでも 口を開いた時 その声は冷たく落ち着いて
無邪気に首を傾げるスジョンを たしなめる眼で見て ため息をついた。

「・・何をおっしゃるかと思えば。 馬鹿げたことを」

「馬鹿げたことではない。私は 本気だ」

 

ジホが私の夫になれば すべてがうまく行くではないか。
お前は今でも 我が家の主人の仕事を立派に務めておるし。

「ジホを娶れば 私は 嫁がずここで子が産める」
「な・・」
「無垢でなくても構わぬと ジホは言うてくれたしな♪」


はぁ・・・

「よろしいですか? 私は この家の使用人です」

身分違いもはなはだしいと 吐き捨てるように言った言葉は
そのまま 自分の胸に刺さり ジホはわずかに眉をひそめた。


「身分など 気にせぬ」

侍女が主に見そめられて 奥方になる話も聞くではないか。
それと同じことだぞと スジョンはケロリとした顔で言う。

水晶の言葉が嬉しい分だけ ジホには それが辛く響いた。

彼女が気楽に言っていることは 常識外れもはなはだしかった。

 


ジホは 机上に散らばった 書類を順に重ね直した。

自分の職務はただの執事と 自分へもう一度念を押した。


「・・姫様は ご縁談が嫌さに 途方もない戯言を言っておられます」

「そうではない。 あのな ジホ」
「聞きません。 あなた様は 名門イ家の姫であらせられる」

その上 姫様は「水晶妃」と 二つ名で呼ばれる程の傾城。
世が世ならば王妃にもなれるお方が 一体 何を言っておられます。

 

「ジホがきっと 姫様にふさわしい 立派なお相手を見つけますから」

「相手などいらぬ!」
王妃になど なりたくもない。 嫁ぎとうないと言ったろう?
「姫様」

「だけど私は相手がジホなら! ジホとは 添うていいと思ったのだ!」
「ば・・! 私などは 族譜も持たぬ卑しい生まれです!」

「だから 私が娶るのだ! 子はイ家の籍に入れて この家を継がせることが出来る」
「そんなこと・・。 ご一族が許しません」
「本家のことは本家が決する! 私がこの家の当主だっ!」

「姫様!!」


おそらく狼と水晶は 烈火のごとくやり合っていたのだろう。

気づけば 扉の向こう側に ざわざわと使用人たちの声がする。
ジホは 瞬時に我に返り この状況に困惑した。

姫様が言い出した突拍子もないことを 他人に知られる訳にはいかない。

周囲をはばかり 声をひそめて ジホは優しくスジョンをさとした。

 


・・私は 姫様が望まないご縁談を 決して押しつけたりいたしません。

「ですから 使用人を娶るなどという愚かな考えはお捨てください」
「愚かではない。 私は本当に ジホに添いたいのだ!」

 

しぃ・・。

こらえきれない愛しさに 思わずジホは微笑んでしまった。
この可愛らしい告白を 聞けただけでも幸せだった。
 
姫様は 嫁ぐことへの不安から 途方もないことを言っておられる。

しかしよくもまあ 下賤の自分と「添いたい」などと思ったものだ。

 

 

ジホの柔らかな笑みを見て スジョンの瞳が輝いた。

どうやら やっと分からず屋のジホも 気持ちを解ってくれたようだ。
「ジホは・・私が好きか?」

「姫様を好きでない者など この家におりません」
「では! 夫になるなっ?」
「なりません」
「!!」


水晶は床を踏み鳴らし 拳を握って怒っていた。
狼は静かに眼を伏せて 湧き上がる想いをこらえていた。

自分がどれほどふさわしくないかを 水晶に説くのは辛いことだったが

それでも 姫様が 自分などを夫に選ぶよりはずっとましだ。

水晶は 狼が命をかけて護り続けた宝石だった。
人もうらやむ結婚をして 護られ 幸せになるべき人だ。

 

「・・姫様は ご存知ないのです。 私は孤児で 盗人だ」

イ家の厩や倉を荒らしまわって 捕えられた男です。 
殴り殺されても仕方ない所を 親父様に拾われてこの家へ来ました。

「本来なら この家の執事になどなれる筈もない 得体の知れぬ輩です」
「知っておる」

「?!」

——-


水晶は傲然と顎を上げて 狼の驚愕を冷たく見据えた。

「ジホが盗人だったことなど 子どもの頃から知っておる」

・・な・・・


お前が家に住み始めた頃 皆が 騒いでおったのだ。
野犬に守をさせるなどとんでもないと インスクは酷く怒っていた。

だから私はお父様に 「ジホは野犬か?」と問うたものだ。

「あ奴は野犬などでない とお父様は言うておった」 
ジホは 自分より弱い者を護る 強くて気高い狼だとな。

 

「・・お前には その頃 手下がいただろう?」 
「!」

手口を見ればどうしても1人で出来る事ではないに お前は1人と言い張った。
総ての罪を自分が着て 殴り殺されるつもりだったろうと。
 
「お父様はな。 お前がうちで貰った金を 手下に渡しているのも知っていたぞ」
「・・・」

ジホが執事になってからも お前が 見知らぬ男を雇った時
お父様は お前のことを「面倒見のいい奴だ」と笑っておった。

 


真っすぐ見つめるスジョンから ジホは 必死で眼をそらした。

ほんの少しでもまばたいたら 涙がこぼれそうだった。


親父様は そこまで大きな信頼を 自分に与えてくれていたか。
今更ながら知る恩に 叫びだしたい気持ちだった。


震える鼓動をねじ伏せて 狼は 水晶を 振りかえった。
亡き親父様の心根を 見事に継いだ 美しい姫を。

どんなことがあっても自分は この宝石を不幸になど出来ない。


「私が盗人と知っているなら 添うなどと 馬鹿は言わないことです」

「だけど! 今のジホは立派に・・」
「あなたは私などと添う方ではないっ!」
「!!」

 

ごうっと 吹き上がる青い焔が 水晶の口をつぐませた。
大きく見開いた黒い瞳に 怖れたような色が浮かんだ。

「私とは・・・添えぬと言うか・・?」

「姫様には もっとふさわしい相手がおられます」


静かにジホは 頭を下げた。
どうか 誰よりも幸せな ご結婚をなさってください。

——

 

「・・・ジホに振られるとは 思わなんだな」

裏庭の石に腰を下ろして スジョンはぼんやりつぶやいた。


ジホは いつでも自分の味方で 頼めば何でもしてくれる。
今度のことも 自分が言えば承知するものと思っていたのに。

「結婚となると・・やはり そうはいかないものかな」

それでは 私は嫁がずに 生涯ここで暮らすとしよう。
もとよりその気だったのだと スジョンは小さくため息をついた。


ジホは 私を 自分と添うような者ではないと言っていた。
口では気にせぬと言ってはいたが 「・・やっぱり 生娘でないからかな」

ポタン・・・

いきなりこぼれ落ちた雫を スジョンはまじまじと見下ろした。

「涙が 出おった」


石混じりの乾いた土の上に 小さな染みが 黒かった。
見る間に 点々と黒い染みは 足元で数を増やして行った。

何だかとても 胸が痛い。 スジョンは 子どものように口をひしゃげた。

 

・・・あ・・ら? おひぃ様ですか・・・・

「?!」

突然声を掛けられて スジョンはさっと頬をぬぐった。
平静を取り繕って顔を上げると 妙齢の美人がこちらを見ていた。

「あぁ イパムか・・」

 

勝手口から出てきたのは イ家になじみの妓生だった。

ソウルでも1,2の人気を誇る彼女は かつては日帝の宴席にもはべり
瀬尾中将のお座敷で スジョンと顔を合わせていた。


「今日はどうした? 宴席の相談か?」
「いいえ おひぃ様。 あたくしは もう引退をいたしました」

イ家にご融資をいただいて 小さな店を持てまして。
今日は商いのご報告と 借金を少し返済に。 

「・・おひぃ様は あたくしへの融資をご存知なかったんで?」
「聞いたのだろうが 憶えておらん。 ジホに任せておるからな。
 ジホが貸すと決めたなら お前の店は おそらく繁盛しているのだろう?」
「ほっほ・・お蔭さんで。 何とかご贔屓いただいてます」

 

そろそろ薄暮の裏庭で イパムは嫣然と微笑んだ。

美しい女だな。 女も見とれる艶やかな媚を スジョンは感心して見つめた。


「ジホに会ったのか?」

「いいえぇ 何ですか今日はお会い出来ませんで。 ああ残念!」
「残念とは・・。 ジホに 会いたかったのか?」
「そりゃあもう! おひぃ様」

イ家のジホ様と言いましたら ソウル中の 妓生の憧れでござんすよ。
役者にだって あれほど美形の殿御はいませんもの。

「憧れておるのか? では・・皆も ジホと結婚したいのか?」


ほっほっほ・・・

美貌で鳴らした元妓生は さも可笑しそうに笑い転げた。
おひぃ様は 本当に 世間知らずでお可愛い。

「おひぃ様。 あたしらなどは ジホ様と添える身分じゃありませんよ」
「そ、それは何故だ? イパムは美人で 踊りも上手いじゃないか」

「まぁあ ありがとうございます。 ですが ジホ様は堅気の方です。
 踊りや男の相手は出来ても 家事も出来ないあたしらじゃ 嫁は務まりません」
「・・家事・・?」
「ジホ様には 家の事をきちんと出来る 清楚な娘さんがお似合いなんですよ」

「清楚・・・か」

 

それでは失礼いたしますと言って 美しい女は去って行った。

ジホの嫁になる女は 家事が上手くて清楚がいいのか。


「・・それでは何にも出来ぬ上に 無垢でない私とは 添えまいな」

ジホを娶ってやるなどと 随分に 思い上がっていたものだ。
ほんに 私は世間知らずで ジホもさぞかし困ったろう。


ぽとりと また涙が落ちた。

それでも すでに暮れた庭では 涙の染みは見えなかった。

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