24 水晶妃-氷と狼の物語-第24話

 

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“姫様が無垢であることは どう考えても疑いようがない”


理性が何度も出した答えを ジホは もう一度自分に言い聞かせた。

それは あの夜の状況からの推量などということでなく
瀬尾中将という人物に寄せた 絶対的な信頼のゆえだった。


それより今は 事業を安泰にして 輿入れ先を選ぶことが先だ。

姫様の「思い違い」については 縁談が具体化した時に正せばいい。
房事について細かに知れば 水晶も 誤解に気づくだろう。

 


常なら それで問題は片付き 先に進めるはずだった。

なのに書類を繰る手は止まり 気づけば ジホは物思いに沈んでいた。


“殿御に 抱かれたことがある”

愛しい口からこぼれ出た言葉が 脳裏に響いて離れなかった。
事実ではないと思っても 言葉から拡がる妄想は 胸を切り裂く。


「なんと 愚かなことだ・・」 

ジホは 自分に歯噛みした。

水晶が誰かのものになることを 惜しむ資格など自分にはないのだ。
狼は 惑いを振り切るように しゃにむに仕事へ没頭した。

——


アメリカとソ連による分割統治は この国を 南北2つに分けた。

分断された経済は混迷し 自治を目指す勢力は刻々緊張を高めている。

そんな乱世の舵取りに ジホは嬉々として身を投じた。
どんな仕事の難題も 水晶のことに悶々とするより遥かにましだった。

 

そして 世情の揺れる中 分家の者が慌てはじめた。

土地や事業を手に入れて 当初は満足していたものの
本家の管理を離れた途端 業績が下降してきたのだ。


分与の際 本家が気前良く手放した会社は 大体事業が傾いた。

比較的堅調な会社については 本家が 相応の株を握っていた。

水晶が所有する株の多寡は そのまま企業のバロメーターであり
現場の者は 口を揃えて ジホの経営手腕を慕った。

ここへきて ようやく分家の総領たちも 
本家を仕切る若き執事が どれほど有能だったかに気がついた。

 

ジホを 獲りたい。

それは 怠惰な分家たちの 新たな願いになっていたが
命と護る水晶がいる限り 狼が本家を離れないことは 誰の眼にも明らかだった。

——-

 

「まったくこの頃 親戚の者どもが 嫁に行けと煩うてな」


スジョンは さも忌々しげに 干柿のへたをつまみあげたが

貴子の視線が 最後の干柿に吸い寄せられているのを見ると
むちりと柿をちぎり切って 半分を親友に差し出した。

「いいの? えへへ・・ありがとう」

 

年が変わって 嫁いだ後も 貴子はイ家に入り浸っていた。

嫁ぎ先では 家の内を1人で切り盛りしたい姑と
「家事などまっぴら商売好き」の嫁は 互いに好都合だったらしく

旦那と年増の女房をまとめて貰ったようなものだと 豪語する彼女は 
仕事にかこつけて現れては スジョンを呆れさせていた。

 

貴子は 半分もらった柿を 大事そうに小さくかじった。

「だけど。 晶さんは ずっとお嫁に行かないの?」

「嫁ぐ気はない。 一生 この家にいるつもりだ」
「生涯結婚しなかったという イギリスの女王様みたいね」
「うむ そうだな」

 

イギリスと言えば エリザベス王女がフィリップ殿下と結婚したな。

スジョンはぱくりと無造作に 半分の干柿を口へ放った。


近頃 イギリス王位継承者の結婚が 世界の話題になっていた。
あの国は 処女王の治世の時に繁栄すると言われているのに。

「わざわざ結婚しようと思う 王女殿下の気が知れぬ」

「・・ねえ? そうすると将来は フィリップ殿下がイギリスの国王になるの?」
「いや。フィリップ殿下は王位継承権で言うと ずっと下の位だそうだ」

 

エリザベス王女は結婚して 今はエディンバラ公妃殿下だろう?
だけど 彼女が女王になったら 旦那の方が王配殿下と呼ばれるらしい。

「ジホが そう言うておった」
「・・じゃあ 旦那様が家臣になるってこと?」
「そういう事だろうな。イギリスも面白い国だ」

・・ふぅん・・・

 

貴子はぼんやり 眼の前に座るスジョンを見つめていた。
晶さんだって このお屋敷の王女殿下みたいなものよね。 

・・・あっ!!


「ねえ! それなら晶さんも 家臣と結婚すればいいんじゃない?」
「何?」
「“鬼軍曹”よ! うるわしのジホ執事! 晶さん 彼を夫になさったら?」

 

さも名案だとでも言うように 貴子は激しく干柿を振った。
思いがけない友の言葉に スジョンはぽかんと口を開けた。

「女の私が・・ジホを娶るのか?」

「だって晶さんは 女の身ながら 本家のご当主なんでしょう?」
「そうだ」
「それなら 例え女でも 夫を娶っていいじゃない」


夫がいれば この家の跡継ぎだって出来るわよ。
「お亡くなりになったお父様も お孫さんが見たいと思うなあ」

「うーん・・・」

 

ジホを 結婚相手に する?

今まで思いもしなかったことを スジョンは頭に描いてみた。
不思議と 悪い気持ちはせずに むしろ何だか嬉しかった。

「・・・貴子」
「ええ」
「それは 存外いいな」

 

ジホが夫と言うのなら 結婚するのも悪くない。

貴子が突然言い出したことを スジョンはもう一度考えた。
最初は 奇妙に感じたけれど 次第に良い案に思えてくる。

ジホを娶れば 親戚たちも 最早煩く言わないし

何より ジホと添うことを思うと 自然と顔がほころんだ。


言われてみれば 昔から 自分はジホが大好きだった。

ジホは強いし 賢くて 知らないことを教えてくれる。
ジホと添えば この先もインスクや皆と楽しく暮らせるだろう。


「あ。 ・・いかんな」

それなら ジホに1つだけ 確かめねばならない事がある。
スジョンはついと立ち上がり ジホは何処かと探し始めた。 

——-

 

ジホ! おらぬか? ジホ!

廊下に響く高い足音に ジホは 眼を閉じて嘆息した。
まったく いい歳になられたのに 姫様の行儀をどうしたものか。

当主の冷たい怒声を聞くや 仕事の指示を聞いていた部下は
慌てて書類をかき集めて ジホの顔をおずおずと見上げた。

「あ・・の・・」
「ああ。 後はまた連絡する」
「はい!」


あの声なら 決して不機嫌ではないのだが 姫様は愛想を知らぬから。

当主の怒りに出くわすまいと ほうほうの体で逃げてゆく部下に
ジホが薄く苦笑していると スジョンがひょいと部屋をのぞいた。


「ここにおったか。 呼んだのに 何故返事をしない?」

「・・足音が高うございますな」


大声で人を呼ばわるのも お止めください。
つんと冷たい眉を上げて 狼は 水晶を睨みつける。

驚いたことにスジョンの方は 照れたように頬を染めていた。

「?」
「・・あのな ジホ」
「何でしょう」

「私が生娘でないことを ・・・ジホは あーどう思う?」
「?!」


よりによって水晶は ジホが 考えまいとしている事を聞いた。
めまいがするのを意志でこらえて ジホは不機嫌に眼を伏せた。

「どう思う とは。 ・・どのような意味でしょうか?」

「だからその 私を ふしだらで・・許せないだろうか」
「姫様は ふしだらなどではありません。 その件は 決して他言しませんよう」
「他言はせぬが。 ・・のぅ? ジホは 私が無垢でなくとも気にせぬか?」

 

はぁ・・・

いったい これは何の拷問だ? 狼は腹を立てていた。
それでも不安げな水晶を見ると 優しい言葉をかけずにはいられなかった。

「姫様なら どなたへでも 胸を張って嫁げます」
「・・ジホは 私を妻にしても構わぬか?」

バンッ!  

ジホの我慢の糸が切れた。
帳面が机を打つ音に スジョンは ビクリと身をすくませた。

「・・ジ・・ホ・・?」

「姫様は無垢であられます! 嫁入りに 何ら支障はありません!」
「・・本当にそう思うか?」
「もちろんです!」

 


“それでは 私と 結婚しよう”


「・・は?」
「私はな。 嫁がぬ代わりにジホを娶る。だから お前は夫になれ」 

凍りついた狼をよそに 水晶はにっこり微笑んだ。
私はジホが大好きだから きっと良い妻になれるはずだ。


「・・・」

「貴子が ジホは美男子だから 可愛いややこが出来ると言うた」
「・・・」
「ややこはもとより可愛いものだが ジホに似れば聡明だな」
「・・・」


ところで ジホに 私のことを好きかまだ聞いておらぬ。
いつもガミガミ怒っておるが 私のことを そう嫌ってはいないだろう?

「・・・」
「ジホ?」
「・・・・」
「私を好きか?」
「・・・・・」


どうした? とスジョンはジホを覗きこんだ。

つんと尖ったその唇を ジホは 呆然と見つめていた。

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