23 水晶妃-氷と狼の物語-第23話

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狼は ただ水晶を見つめていた。

小首を傾げて座る彼女は 震えるほどに美しかった。


限界の肺がチリチリと痛み ジホは 呼吸を思い出す。
は・・と 息を吐いたジホは 膝の上で震える拳をそっと握った。

 

・・いったい 姫様は何を言った?

"生娘でないゆえ 嫁の貰い手もなかろう"だと?

どういうことだ? 姫様は 何を言っておられる。
彼女に どんな機会があっただろうかと ジホはせわしく考えを巡らせた。

 

「・・姫様が・・・黒木大佐の件を・・言っておられるのでしたら・・」
「あの時は ジホが助けてくれたではないか」
「それでは 日帝の・・、世間の噂を 気にしておられますか?」

「そうではない。 あのな ジホ」

私は 自分から望んで 殿御に抱かれたことがあるのだ。

「!」

スジョンはさすがに言いにくそうに それでも 毅然と言い放った。
ジホは 地面が崩れ落ちるのを 唖然と見下ろしている気がした。

 

長い沈黙を乗り越えて ジホは ようやく口を開いた。

鼓動が喉元までせり上がり 今にも心臓を吐き出しそうだった。


「・・どなた様・・と・・お伺いすることは出来ますか・・?」

「瀬尾閣下だ」
「?!」

あり得ない。 ジホの記憶が否定した。

確かに スジョンは御大の宴席へ 周りの眼を盗んでは入りびたっていた。
それでも彼が座敷にいる時は 必ず 傍に小此木中佐や妓生がいたし

何より 御大は水晶を 娘のように愛でていたではないか。


ひたとスジョンを見つめたまま ジホは言葉を継げずにいた。
狼の困惑には気づかずに 水晶は 潤んだ眼になった。

「・・私はな ジホ。 中将閣下を この世に留めたかったのだ」

 


日本へ移送される前に 御大が 寄られた事があったろう?

「はい」
「あの時 私は中将閣下に ここから逃げるよう勧めたのだ」

日本へ帰れば 敵国の者ばかりが並ぶ法廷で 裁かれるのだと聞いた。
ジホが 必ず方法を考えるから どうかお逃げくださいと言った。

「中将閣下は首を振って・・。 どこへ逃げる? と笑っていたな」

「・・・」


閣下は早くに奥様が逝き お子も1人 病いで亡くされたそうだ。
自分が戦地へ送った部下も次々命を散らしたと それは深く嘆かれていた。

大切な者をあまりに多く 鬼籍へ送ったからだろう。
あの夜の閣下は 今生への 未練をすでに無くしておられた。

「私は それが哀しゅうて。・・何としても あの方に生き永らえて欲しかったのだ」

——-


"だめだ! だめだ! そんなことを言うなっ!"

"水晶・・"
"閣下は 病気ではないだろう?! 生きる気持ちを捨ててはだめだ!"
"・・・"

"・・そうだ! 私を。 私を抱けばよい!"
"何を・・言っておる?"
"私が 閣下の子を産んでやる。そうすれば生きる気持ちに またなろうっ?!"


——

 

「・・・それで・・中将閣下に?」

「まこと水晶は愛おしいなと 閣下は 笑うて抱いてくれた。 
 だけど結局 行ってしまわれて。 ややこも作れずじまいだったな」
「・・・」

 

「なあ ジホ」  

・・・中将閣下は 亡くなられたのだろう?
「・・・」

しょんぼりと眼を伏せたまま スジョンは 今まで聞かなかったことを聞いた。
処刑された主要戦犯の名簿は既に見ていたが ジホは その問いに答えなかった。


「私は 親日などではない。 日帝の妾になったつもりもない」
「勿論です」

「だけど ジホ。 瀬尾閣下は・・お父様に似ていて 好きだったな」

 

 

深夜の執務室に黙然と座り ジホは 考え続けていた。

先刻 水晶から「無垢ではない」と 告げられた時の驚愕は去っていた。

 

事情をつぶさに聞いてみれば 確かに 姫様らしい話だと思う。

最愛の父を亡くしたばかりの スジョンにしてみれば
親父様に似た御大は さぞ慕わしかったに違いない。

御大に 生きる気持ちを持って欲しくて 自分を抱けと迫るなど
いかにも人を真っすぐに想う 水晶らしい大胆さだった。


"・・しかし・・・" 

ジホの心中には 釈然としないものがあった。
たとえ 水晶がそう言ったとしても 御大が受け入れたとは思えない。

 

まぶたを閉じたジホの脳裏に あの夜の声が響いていた。

"お前は 必ず生きて 水晶を護れ"

"誓えるな?"

それはあたかも 娘を託す父の 最後の願いだった。
お前が水晶を護る姿をこの屋敷の見納めにと 中将閣下は去って行かれた。

そんなお方が 死を前に 水晶を抱いたりするだろうか?


「・・・・・」

思えど 答えは出なかった。 

ひたひたと深まる夜の底で 狼は 闇を見つめていた。

——

 

「・・・インスク・・」


ようやく声を掛けてきたジホに インスクは 大袈裟に肩をすくめた。

まったく 何が言いたいんだか 人をず~っと眼で追ってさ!
大体「ジホ様」はどうしたんだい? やけに もじもじしてるじゃないか。

「もじもじ」などという言葉が ジホにあったというだけで

今日は 東にお天道様が沈んで行くんじゃないかと思っちまうよ。


続く言葉を待ちながら インスクは空いた茶碗を下げた。
すっかり仕事が終わっても ジホは まだ口をつぐんでいた。

「・・・」

「ご用がないなら 下がらせていただくけどっ?!」 
「!」
「何か 言う事があるんじゃないですか?」
「・・ぁ・・・」

 

・・・・姫様は・・その・・  「・・知っておられるか?」

「知っているって? 何をですか」
「・・子の・・作り方というか・・」
「は?」

呆れ顔のインスクは 盆を持とうとした手を止めた。
困惑げなジホの端整な頬に 赤味が薄く差していた。

「それは ひぃ様もご成人ですから 赤子が土から生えるとは思ってませんでしょう」

「お前は・・教えて差し上げたか?」
「そ、そりゃ。 お嫁に行って旦那様と仲良くすると子が出来るって位は・・」
「だから! その・・もっと・・具体的にだ」

 

答えるうちに さすがに世慣れた侍女頭も 顔が赤くなりそうだった。
切れ者で鳴らす美貌の執事が いったい何を言い出したのだろう?

「何だってんだい?ジホ。 ひぃ様が どうかしたというのかい?!」

「・・い、いや・・。 もういい」


ジホが狼狽するという 世にも珍しい姿を見ながら インスクは眉をひそめた。

ひぃ様に 房事の講義でもしろというのかい?
そんなことより お輿入れ先を決める方が先ってもんじゃないか。

 


胡散臭げな侍女頭が 首を傾げながら行ってしまうと

書類に向かったままのジホは 肩を落としてため息をついた。


・・・どうするのだ? このことを・・

本家の総てを取り仕切り 辣腕の名を欲しいままにする狼が
何より大事と護ってきた水晶に なすすべもなく翻弄されている。

 

自分を無垢ではないと言う 水晶の言葉は疑わしかった。

あの夜の記憶を呼び戻しても そんな雰囲気は毛ほども無い。

長座布に横たわる彼女の上に 優しく掛けられていたマント。
泣き疲れて眠った姫様に 着衣の乱れなど無かったはずだ。


"泣かれてしもうてな。 水晶の涙には叶わんよ"

静かに1人 茶を飲んで 姫様の眠りを見守っておられた
瀬尾中将のはかない笑顔を ジホは切なく思い浮かべた。

 

姫様は おそらく男女のことを ご存知ないのではないか?

抱きしめられて泣き寝したことを 「それ」と思っているのだろう。
ジホには 確信にも似た思いはあった。 

・・それでも・・・

問題は当の水晶が 自分を生娘でないと信じていることだ。
思い違いと確かめる為には・・


突然 ジホは鉄棒で頭を割られる衝撃を受けた。

姫様の身体を診せるなど 何があっても出来ることではない。
しかし それではどうやって 水晶の無垢を証明できるというのだ。


「・・・・・・・」

「・・・・・・・♪」


「!!」

・・姫・・様・・・

「難しい顔をしておるな。 考えごとか?」
「・・いきなり 何ですか」
「いきなりではない」

戸も鳴らしたし 声も掛けたぞ。 お前がぼんやりしておったのだ。
スジョンは明るく弾む声で ジホへ顎をしゃくってみせた。

子どもじみたその仕草と なまめかしく白い首筋は 

そのまま ジホの悩みだった。

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