22 水晶妃-氷と狼の物語-第22話

 

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「・・何と 申されました?」


ことさらゆっくりと聞き返す 静まりかえった声を聞いて
スジョンは 内心ほくそえんだ。

ジホは冷静な顔をしているけれど 今回は 少し驚いたな。

「イ一族を 捨ててやるのだ。ジホ」

 

叔父貴様や親戚が うるさく縁談を押しつけてくるのは
私を体良く追いやって 一族の財産を自由にしたいからだ。

「だけど 皆が欲しがる財産とは 何だ? おおかた土地や 事業会社だろう?」
「・・左様でございましょうな」


そんなもの 私にとって財産ではない。 どの道 女に采配出来るものでもなし。

「・・イ家の事業の多くは 親父様が一代で築かれたものです」
「そうだ。 お父様が ”イ一族を保つために”築いたものだ」


お父様は 生前言うておった。 

「どうしても守らねばならない宝は イ家の”食の心”だと」
「・・・」

外厨房の司として 人をもてなし喜ばせてきた 知恵と味。
「それがイ家の財産だ。 違うか?」

「・・・」

「叔父貴様たちは そんな財産は欲しがらぬ。 そうだろう?」
「はい」
「ならば 大事なもの以外はくれてやればいい」


お父様が愛したこの屋敷とあまたの文献。 厨房と 働く皆が保てればよい。
本物の財産を自分の手で護れるのなら 他は 欲しがる親戚にくれてやっても 

「お父様は きっと認めてくださる」

「・・姫様」

 

座した背筋をすらりと伸ばして 狼は 内心の感嘆を飲んだ。

あどけなく 世の中の 仕組みも知らない姫育ちにもかかわらず
水晶には いつも本当に大切なことを 迷わず選ぶ力がある。

敵わぬな。 

食の文化の継承こそを 何より大事と申されたか。 
姫様はまさに イ家という名門両班の 精神の血脈を継いでおられる。

 

・・・それに。

ジホは さらに考えた。 

姫様は イ家の財産を 分家に分けてしてしまえと言った。
一見自棄な策のようだが これは意外と良い方法かもしれない。


親父様が亡くなって以来 力を尽くしてきたとは言え
一族の 総ての事業や財産管理が うまく運んでいる訳ではない。

不調な事業の要因を考えると 必ずと言っていいほど親戚たちの
放蕩や放漫経営が隠れており それは ジホが立場上 諌められないことだった。

財産分与の形を取り 事業を独立採算にしてしまえば 本家の荷を軽くできる・・

 

「・・・・」

黙り込んだジホを見ているうちに スジョンの笑顔がしおれてきた。

自分では良い案と思ったけれど ジホは 難しい顔をしている。
やはり私の考えることなど 世間知らずで 浅はかなものだったか。


「姫様」
・・・・ぅん・・

「事業の分配案は お任せいただけますか?」
「え?」
「親戚ご一同様を 招じなければなりません」
「ジホ!」

ぱっと 雲間が開け放たれて まばゆい光が射したように 
スジョンが 鮮やかな笑みを浮かべた。

「賛成してくれるのかっ?!」
「!」


スジョンは 今にも胸へ飛び込まんばかりに ジホへ大きく身を乗り出した。

仕事の考えに牙を研いでいた狼は ふいを突かれて
きらきらと輝く瞳で自分を見上げる水晶と まともに見つめ合ってしまった。


「私の考えは 間違っていないか?!」

・・・・・・・・・・

「ジホ?」
「?!  ・・・姫様がそうお覚悟されましたなら その様に」
「そうか!」

 

取るべきものが本家に無くなれば  きっと叔父貴様たちも 
私のことをあれこれと うるさく言って来なくなるに違いない。

「そうであろう? ふふ・・」

ジホの返事に満足したスジョンは うっとりと艶やかな唇を上げた。
息のかかるほど近くにある 恍惚とした微笑みが 狼の心臓を握りつぶした。

 

「ぅん?」

晴れやかに笑っていたスジョンが 何かに気づいた表情になった。
唇をつんと突き出して 舐めるような眼でジホを探る。

ごくりと鳴りそうな喉を抑えこみ ジホは 冷ややかに眼を細めた。


「ジホは・・・肌がきれいだな 何で顔を洗っておる?」

「お顔が近うございますな。 少しくお下がり頂かないと 唾がかかります」
「むっ・・。 わ、私は! 唾など飛ばさんぞ」
「そうお願い申し上げたいものです」


狼は ようやく水晶から その眼をそむけることが出来た。

不機嫌な顔で立ち上がると 一礼をして立ち去った。

——

 

「本家の事業を 分配する・・だと・・?」

一族会議の席上には 呆然とした空気が漂った。 
最上席には水晶が 冷たい眼をして座っていた。


「・・・」「・・・」

イ一族の 各総領は 互いに顔を見合わせる。

どう考えても自分らに得な話を 水晶が言い出したことに戸惑っていた。

 

「そ、それはまた・・どういうことだね」

あからさまに物欲しそうな笑みを隠して 平倉洞の主人が口を開いた。


水晶は 陰鬱そうな眉を上げ ジホから話す・・とだけ口を聞く。
各分家の総領たちは 慌てて下座へ眼を転じた。

本家の懐刀と呼ばれた男は 末席から静かに口を開いた。


「僭越でございますが ご説明申し上げます」

 


それは 天性のものだった。 

狼には人を惹きつける 圧倒的な力があった。
恬淡と ジホが話を始めると 総領たちは魅入られたように聞き入った。


「占領日本に於いて 連合軍総司令部(GHQ)は財閥解体を進めております」

当地は敗戦国ではないとはいえ 連合軍の統治下にあります。
アメリカ軍政庁の 統治方針はどのようになるか知れません。


「万が一にも財閥解体を言われない様 一族の事業を分割経営するが得策かと」

「ほぅ」「なるほど・・」

現在 分家の皆様にご参画頂いている企業の経営権を 各分家様へお渡しし
本家は株主に退かせていただくという形を 取りたい意向です。

「つまり。 大星物産は 平倉洞様が社長にご就任頂ければ」
「何・・と?!」
「大星海運の方は 釜山様に」
「おお・・」


ジホが淡々と告げる度に 広間に 驚きのうめき声が上がった。
本家が経営してきた事業が 景気良く分家へ分けられていった。

各分家の総領たちは 思わぬ展開に戸惑いながらも

今後 自分たちの自由になる財力を 忙しく 懐の中で試算した。

 

そんな中 御爺様と言われる 釜山イ家の主人が口を開いた。

「水晶。 ・・・お前は それで構わぬのか?」

釜山の分家の老主人は 一族の中でも序列が高く 平倉洞と並ぶ力がある。
ざわめいていた総領たちも 彼の声に口をつぐんだ。

 


にこりともしない水晶の眼が 御爺様に向けられた。

一族の中で彼だけは 親戚らしく彼女を可愛がってくれる人だ。
気づかってくれる声を聞いて スジョンはわずかだけ 口元を緩めた。

「おじじさま・・・」


女の身に当主は重うございますれば 難しいご商売やお仕事は 
叔父貴様たちに お任せした方がよろしいでしょう。

「私は 本家の大書庫を管理したいと思っております」
「しかし 本家は執事が有能だし 何も・・・」
「いやいや! 御爺様」

 

平倉洞の主人が 慌てて口を差し挟んだ。

せっかく 転がり込もうとしている権限を ふいにされてはたまらない。
水晶が「重荷」と言うのですから ここは我らが力を貸してやるべきでしょう。

「女子には 事業のことで頭を使うことは出来ませんから」
「ふん・・。 まるでお前には その才覚があるようなことを言うわい」
「何ですと?!」


「平倉洞様」


ジホの落ち着きはらった声が 言い争いの間を分けた。
当主は イ家の文献・資料を保持する財団法人を設立したい意向です。

「うむ? ・・ああ いいのではないか」
「財団設立の資金を作るため 本家所有の大星物産株を買っていただければ」
「?!」


経営権だけでなく 本家の株も買うとなれば 会社が丸ごと手に入る。

平倉洞主人は 他の分家を脅してでも 本家の申し出を通すことを決めた。

——-

 

一族の者が帰った後。 

スジョンとジホは 大広間にぽつりと2人で座っていた。

親戚たちに会った後は いつも うんざりとした嫌悪感が残る。
それでも これで 叔父たちも本家を放っておいてくれるだろう。

そう思うと水晶は 心が軽くなった気がした。

 

スジョンは 前にかしこまるジホへ ふと思いついて問いかけた。

「ところで どうして大星物産は 株ごとくれてやったのだ?」
「いけませんでしたか?」
「いや まったく不服はない・・。 叔父貴様は ほくほくだったな」


その為にです。 ジホは にこりともせずに言った。

叔父貴様が「是」と言えば 他家もなびきますゆえ。 「それに・・」
あそこは叔父貴様が常務をしており 放漫経営の傾向がございます。

事業規模や売上高こそ多いですが 収益性は低く 負債も多い。

「企業としては優良ではありません」

「・・・それで くれてやったのか?」
「お喜びでした」

怜悧な表情を 動かしもせず ジホは平然と返答した。
本家が移譲しない事業は 些少に見えて優良なものばかりです。

「お前は 策士だな」
「本家を護ることが 私の務めです」
「・・・」

 

ふ・・と スジョンの目元が笑った。
ジホが傍にいる限り お父様の大事にしたものは護れるな。

「そうあるよう 努力いたします。 姫様のことも」
「うん?」


親父様がもっともお大切にしたのは 他ならぬ 姫様です。
早く しかるべきご名家へ嫁がれて お幸せになっていただかねば。

「嫁がぬと言うたぞ。 それを煩く言わせないために 分家へ財産分与したのに」
「姫様がいつまでもお独りでは 親父様も安心出来ません!」


しかし 私は無垢でないから 嫁ぐ訳には行かぬのだ。

「・・・何と?」
「生娘でないゆえ 嫁の貰い手もなかろうと言ったのだ」

「・・・」


やっと親戚が退いたと思えば 今度はジホが煩いと 水晶はむくれ顔で言った。

ジホの世界は停止して 胸は 鼓動を忘れていた。

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