20 水晶妃-氷と狼の物語-第20話

 

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ムグファ(むくげ)の花が咲き始め 空は 晴れやかな青になった。

車を降りてきたジホは 風に乗って聞こえて来る 華やいだ声に眉を上げた。

 


・・・?・・・・・

「ひぃ様ですよ」

軒下に巣をかけたツバメのヒナが 気になって仕方ないようです。
前庭を掃いていた玄関番が 立ち止まったジホへ歯の抜けた口で笑った。

「そうか」


ツバメが話題になるくらいなら ともあれ 今日は無事らしい。

安堵の笑みを口の端に浮かべて 奥へ向かっていたジホは 
ふと眼をやった中庭の光景に 心臓が止まるほど驚いた。

「?!」

 

ジホは憤然と庭へ下りると ずかずかとスジョンに歩みより
立てかけた梯子へ登ろうとしていた彼女を 物も言わずに抱き取った。

「ひあっ!!」

「・・・」
「なっ 何をする! 危ないじゃないかっ!」

柳眉を怒らせて振り向いたスジョンは 罵る言葉を途中で呑んだ。
ジホが 自分以上に冷ややかな 凍る瞳で怒っていた。


・・・危ないのは・・・

「ジ・ホ・・」
「姫様ですっ!! 一体 何をなさっておられるっ!」

ゴウッと焔を吹くが如く ジホの怒りがあたりを払う。
梯子を押さえていた若衆は 恐怖のあまり ひいぃと怖じた声を出した。

 

「いや・・な。 巣からヒナが落ちたのだ。 返してやろうと思って」

ほら 可愛かろう? 
ピイピイと鳴く手中のヒナを スジョンはジホへ差し出した。

「地面に落ちては 猫になりと襲われるかも知れないし・・」


ヒナを巣へ返すのは結構です。 ですが 男衆もおりますのに
事もあろうに姫様が 梯子を登ることはないでしょう。

「大体 お前達がいて 何故止めない!」
「・・み、皆を叱るな! わ、私が登ると言ったのだ!」

「そうでしょうとも! まったく なんと無謀な方だ!」


——-

 

はぁ・・と ため息をついたジホに インスクが茶を差し出した。

「姫様は?」
「書庫の整理をなさってますよ。 風船みたいな膨れ面でね」
「ふん」

侍女頭はくっくと忍び笑い 不機嫌そうに茶を飲んでいる美青年を盗み見た。

ヒナを護る母鳥のように姫を想うジホが 微笑ましかった。

 

   

先の大戦が終わってから 2度目の夏が来ようとしていた。

水晶も 今では20歳を過ぎ 娘ざかりの年頃になった。


ほっそりとした華奢な身体は 少し 柔らかみを帯びていた。
襟元からのぞく白いうなじに 清楚な若い色香が匂う。

彼女を見慣れた使用人たちでさえ スジョンが邸内を歩くとき

動くたびに光の粉を撒くような その艶やかさに眼を奪われた。

 


そしてこの 今を盛りと咲き誇る水晶が ジホの頭を悩ませていた。

“姫様の 嫁ぎ先を見つけなければ・・”


それは 亡き親父様から自分の手へ 委ねられた使命だった。
20歳を過ぎた娘の縁談となれば 悠長に構えてもいられない。

一日も早く 水晶にふさわしい相手を探す必要があった。


とはいえ 時勢は混乱を極めている。

それでなくとも イ家と言えば 釣り合う先が少ない上に
戦争は この国の若い男を数多く奪い いよいよ選択は難しかった。

 


その上 ジホを悩ませているのは 親日派に対する反感だった。

「イ家は日帝になびいた」と 誹謗する声が聞こえていた。


「・・投石は なかったか?」
「大丈夫です」

今度そんなことをする奴を見つけたら 刻んでキムチに漬けてやると
厨房の男衆が息巻いていますよ。

「そうか」

 

決して 望んだ事ではないのに 総督府高官が出入りしていたことで

イ家を良く思わない者が あらぬ噂を立てていた。

こともあろうに 水晶妃を高官の愛人と言う声もあり
噂を真に受けた輩の中には 屋敷に石を投げる不心得者が現れた。


ジホは 風評被害を止めるために あらゆる手段を講じていた。

それでも勝手な巷の声を 完全に消す事は難しかった。

 


「放っておけば 良いではないか」

騒ぎの中で 水晶は 一人平気な顔をしていた。

もとより「嫁がぬことが幸せ」と 言ってはばからない彼女にとって
噂のせいで縁遠くなることなど むしろ好都合らしく


「そういえば 中将閣下は私のことを愛妾と呼んでいたな」 などと

ケロリとした顔で言ってみせては ジホをカンカンに怒らせた。


——

 

・・ジホ・・・?

「?」

探るような声に眼を上げると スジョンが戸から覗いていた。

小首を傾げた愛らしさに うっかり微笑みかけたジホは
ことさら冷たく眉を上げて 何か? と威嚇するように聞いた。

「貴子がな。 遊びに来いと言っておる」
「貴子様のお宅へですか?」
「うむ。 婚礼支度を見せてくれるのだそうだ」

 

スジョンの唯一の友達である貴子は 最近婚約を決めていた。

相手は手広く事業をする商家の息子だということで 
はねっかえり娘に手を焼いていた 両親の喜びようは大変なものらしかった。

「ご婚礼支度ですか・・」

ジホは 華やかに準備された 衣装や調度品を思い浮かべる。

嫁がぬと強情を言う姫様だが 若い娘のことだから
友人の幸せを間近に見れば 自分もと 言い出すかもしれなかった。

「それでは 供をお連れになり 親父様の車でお出掛けください」

 

 

「晶さんったら! 何よ あのでっかい車」

アタシの家は宮じゃないんだから 停める所がないじゃない。

久しぶりに会う貴子は もうすぐ嫁ぐ娘とは思えない大声で友を迎えてくれた。
変わらぬ友の騒々しさに スジョンはにっこり微笑んだ。


「ジホが そうしろと言うのだ」
「運転手の他にお供まで? ま~! お宅の『鬼軍曹』ってば」

晶さんを 箱入りどころか 倉庫入り娘にするおつもりね!

貴子は呆れて鼻を鳴らした。 親友に 過保護を笑われたみたいで
スジョンは慌てて言い訳を言った。


「そうではない。 物騒があったので 心配しておるのだ」
「物騒?」
「・・私が親日で 日帝の愛人だったと言う輩がいてな」


先日は うちの屋敷へ石を投げられた。 

天気の話でもするように平然と話す水晶に 貴子は 大きく眼を剥いた。


「晶さんのお家は 強引に徴用されたんじゃない! ひどいわっ!」

「まあ・・人は 勝手を言うものだ」
「何をのん気にしてらっしゃるの! 親日派粛清の動きだってあるのよっ」


よおし! と貴子は仁王立ちして 拳でドンと胸を叩いた。

「この件は 私に任せて!!」

 

 

「それで お支度はいかがでした?」

スジョンも少しは 結婚したい気持ちになっただろうか。
期待と不安を心中に隠して 翌日 ジホはさりげなく聞いた。

「・・支度?」
「昨日は 貴子様のご婚礼支度を拝見しに行かれたのでしょう?」


あぁそうだ。 忘れていたな。

「忘れ・・た? では貴子様の家で 何をなさっておられました」

「それが よく判らぬのだ。 貴子がいきなり男友達を呼んでな」
「男?!」
「その者に 写真を撮られた」

「なっ?!」


一体 何がどういう話で 姫様が写真を撮られたのだ?!

慌てたジホは 事情を聞こうと貴子を問いただしてみたが
貴子は 陽気な顔で笑い 「私に任せて」と繰り返した。

——-

 

やがて とんでもない形で 「親日」の声は否定された。

近年創刊されて人気を得ていた雑誌に スジョンの写真が小さく載った。

総督府時代 反日で追われた民族活動家が 回顧録の中で
自分が逮捕された時 ”名家”の姫に助けられたことを 美談として語ったのだ。

 

文中名前は伏せられたが 自邸が総督府官僚の料亭に使われた家は他になく

何より 怪訝そうにカメラを見る 驚くばかりの美貌を見れば
それが「イ家の水晶妃」の事と 推測するのは容易だった。

 


「・・・何と言う・・」

ジホは眉間を指で押さえ 痛む頭をこらえていた。
スジョンの方は 不思議そうに 自分の載った記事を見つめていた。

「さる実力者に反日分子の助命嘆願? 私は 嘆願などせぬけどな」
「そういう事が問題なのではありません!」
「写真の映りが悪いか? まぁでも こんな物だぞ」

「そんな事でもありませんっ!!」

 


その午後 貴子がやってきた。

得意満面に胸を張り 雑誌をひらひらかざしてみせた。
ドラマチックな美談でしょ? 民族運動家を救った『絶世の美姫』。  

「これでもう 親日なんて批難されないわよ」
「しかし貴子 嘘はいかんぞ。私は こんな事はしていない」
「え? したわよ?」

私が集会で捕まった時 中将様に頼んで助けてくれたじゃない。
「・・・それは 貴子の事であろう?」

 

聞けばその夜 中将からの電話で震え上がった憲兵は
貴子と一緒に捕まった 逮捕者の一群を解放したのだという。

「その中に彼がいたわけよ。 ほらぁ 例の美・男・子♪」
「・・ほぅ。 そうだったか」

「姫様!」


ですから 問題はそんな事ではありません。

イ家の娘が こんな風に「雑誌」などの記事になるとは不面目。

「ま! この雑誌は人気なのよ? そこらの三文雑誌じゃないンだから」
「貴子様・・。 姫様は 役者ではありません」
「だけど晶さんは 女優よりキレイじゃない」

 

そうよ。 こんなに小さくて粗い写真だけど すごい評判なのですって!
編集部にはファンレターやら縁談やら 山と来ているそうなのよ。

すっかり快挙を成し遂げた気で 貴子はさんざん喋って行った。

彼女を送り出す頃には ジホは目眩をこらえていた。

 


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