18 水晶妃-氷と狼の物語-第18話

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この男は 落ちない。

いや 落ちるも何も 白状することがないのだ。
たぶん事実は 「水晶妃」が あの場で言った通りなのだろう。

 

取調室の殺伐とした壁をにらみ 憲兵は 奥歯を噛みしめている。
眼の前に座っている男は 呆れるほどに落ち着いていた。

騒ぎに駆けつけた時の情景を 憲兵は もう一度思い浮かべた。

眼を逸らそうにも 「水晶妃」の 鬼気迫る顔が忘れられなかった。

 

"どうしてジホを捕まえるっ! 私を救っただけだっ!"

乱れた衣服を気にもせず 唇に血をにじませて 怒り狂っていた娘。

噂には聞いていたものの 思わず息を呑む美貌だった。
氷の瞳が告げることに 偽りの影など見えなかった。

・・・とはいえ 自分に 何が出来た? 

大佐は血を吐く大怪我をしており 傷つけた犯人は 間違いない。
高官が「反日分子」と決めつけた輩を 捕えないわけには行かなかった。


・・しかし・・・

憲兵は気弱に考える。 もれ聞いたところだと 「水晶妃」は
総督府の さる大物の愛人という噂だ。

女王の如き高慢と 身の毛もよだつ激怒の瞳。 
・・ひょっとして・・ 
自分は 虎の尾を踏んだのかもしれないと 憲兵は 心中怖気づいていた。

 


取調室のドアが開き 困惑顔の上官が入って来た。

その後から 長身の男が軍靴を鳴らして来るのを見て 彼は思わず青ざめた。


・・・小・・此木中佐?・・・

総督府憲兵隊に所属していれば 知らぬ者のない強面が
無表情で立っていた。

 

「・・・"反日分子"という男は これか?」
「はっ、はい!」

「・・・・」

一瞬。 中佐の糸の眼に 刃の様な光が浮かぶ。
担当憲兵は その殺気に 思わずゴクリと喉を鳴らした。

「この男は 私が尋問する」
「?!」
「"道場"へ 連れて行け」
「!!」


・・・あ・・の・・

「ですが・・この男 反日とは・・」

おずおずと開きかけた口は 中佐の眼光に遮られた。
結局のところ 軍組織に於いて 上官の言葉は絶対だった。


道場か。 捕えた男を歩かせながら 憲兵の気持ちは沈んでいた。
頑丈な引き戸を閉める時 中佐は不気味な静けさで言った。

「呼ぶまで ここへは近寄るな」

恐らく女主人を救うために 歯向かったのだろう男の運命を 
憲兵は 内心 気の毒に思った。

——

 

捕縛した縄を解かれると ジホは無表情に手首をさすった。

普段に変わらずに静まり返る彼に 小此木中佐の口元が揺れた。

「顔面に一撃、脇腹に一蹴。 ・・それで 歯が1本と 肋骨2本が折れたそうだ」
「・・・」


「無駄な攻撃は 一切しないという訳か?」
「貴方が 引導を渡しに来たということですか」
「!」

すらりと伸びた背を回して 小此木中佐は振り向いた。
狼は 豪壮な広間に端然と座っていた時より 不敵で 危険な男に見えた。 

やっぱりな。 飼い慣らされているように見えて こいつは野生そのものだ。
本当の姿を ようやく垣間見せたジホに 小此木の胸が高鳴った。

「自分の身など 何とも思っていないようだな」


「お前の姫様は そうではないぞ。 憲兵隊司令部へ乗り込むところだった」
「!」
「お前を取り戻すと言って」

「・・・」


糸の眼が からかうように ジホを見た。

泣く子も黙る憲兵隊の取調室に囚われても 表情一つ変えない男が
水晶の話を聞いた途端 青ざめて 恐怖を顔に浮かべた。

・・・馬鹿が付くほどの 一途だな。

 

「中将閣下が止められた」
「!」

お前を助けると 約束してな。

小此木中佐は 抜かりなく 道場の外を窺った。
どうやら憲兵達は 言われたとおりに下がっているようだ。


仮にも大佐に怪我をさせたのだ。お前を 無事に帰すことは出来ない。

「そうでしょうね」
・・お前も それは望んでいまい?
「ええ」


・・・そうだろうな・・ 

小窓の木枠を引きながら 小此木は 薄く微笑んだ。
黒木の罪を問う為には 水晶が襲われたことを明かさなければならない。

何より大事と護る名花に 不名誉な噂を立てるくらいなら 
この狼は 黙って 罪をかぶるくらいの事をやってのけるだろう。


「お前をここから連れ帰る。 少々荒っぽい目は・・覚悟してくれ」
「・・・」
黒木の方は 閣下が内密に断罪する。
「それは ・・有難いことです」

ジホの言葉に 棘があった。 

小此木は 面白いものを見る顔で 憮然とした狼に眉を上げた。

 

道場の壁には 木刀が 段をなして架けられていた。
その一本一本を 小此木は 慎重に吟味した。

「閣下は お前を気に入っておられる。 "見事な武士"だと言っていた」
「・・・」
「だが 違う」


ふいに 一本の木刀が ジホの顔へ投げられた。
瞬きもせずに 片手だけで ジホが木刀をつかみ取った。

「お前は"戦士"。 獣だろう」

その身の内に 生まれながら野生の牙を持っている。
炯々と 熱を帯びた小此木の眼に 狼はニヤリと笑い返した。

「貴方と同じに ですか?」
「?!」
そして 野生の牙を持つ雄同志が偶然 出会ってしまった時 
力を 試さずにはいられなかった。

 

ダン! と 道場の床が鳴った。

飛び込むような一撃を ジホの木刀が弾き返した。

口を結び 体勢を整えると 小此木は木刀を脇に構える。
ジホは ひたと相手を見据え 剣先を真っすぐこちらへ向けた。


「・・正眼か。お前は 地の型(守りに強い)が得手かと思った」

「貴方こそ ご身分にそぐわぬ曲者の構えをなさいます」

間合いを測る2匹の獣は ぎらつく瞳で見合っていた。

眼にも留まらぬ素早さで 襲いかかった小此木の剣を 
ジホは 眼の前2寸で止めた。

——

 

詰所では担当憲兵が くぐもった声で上官に話していた。

「黒木大佐は 職場からふらりと消えて行ったのだそうです」

どうやら最近あの方は 精神に不調をきたしていたらしい。
囚われた彼は 反日ではない。 尋問しても何も出ません。


上官は 憮然とした顔で顎を撫でた。 
「俺に どうしろというんだ? 相手は"百鬼"。小此木中佐だぞ」
「そう・・ですね」

憲兵達はため息をつき ふと 廊下のざわめきに気がついた。
ドアを開けて出た2人は あまりの事に 言葉を無くした。

 


ポタポタと 石の廊下に血が垂れていた。

小此木の長身が その肩へ 男をかつぎ上げていた。
逆さに垂れたジホの顔には 赤い飛沫がこびりつき 端整な顔は腫れていた。


「ち・・中佐殿・・・ぁ・・あの・・」


ちらり とこちらを見た小此木に 憲兵達は震え上がった。
常に変わらぬ無表情が この光景の中で壮絶だった。

「この者の取調べは完了した。 『容疑に当たる事実はなし』だ」
・・・ぁ・・
「いいな!」
「り・・了解であります!」


憲兵隊司令部の暗い廊下を 小此木は悠々と歩き去った。

"百鬼"の背中に垂れた手に 憲兵達は思わず 手を合わせた。

——-

 

ジホッ?! ジホッ! 

「何という事を・・いったい ジホに何をしたっ!」


玄関へ 中佐がどさりと下したジホに スジョンは悲鳴を上げて駆け寄った。

「確かに お届けしました」
「お・・のれ。 よくもジホをっ!」

殺してやる! 

突然 スジョンの胸元から キラリと光る刃が飛ぶ。
刃先を見切って避けたつもりが 小此木の頬の 皮膚が切れた。
「?!」

・・・こ・の・・娘。 何という 飛び込み方をする。

普通なら 吾身を恐れて ここまで深く相手に切り込めるものではない。

 

く・・くく・・・

「お前の姫様は まったくもって 大したはねっかえりだな」
「・・後程 よく言いきかせます」
「?!」

ジ・ホ・・? 心配そうなスジョンの前に ジホはむくりと起き上がった。
その手にしっかり 水晶のズボンの裾をつかんでいた。

「な・・んと・・! お前が止めなければ もっとザックリやられていたか」
「深窓の令嬢にあるまじき豪胆でして」

 

血染めの頬から髪をかき上げ ジホは肩をすくめて見せた。

小此木は 忍び笑いに抑えられず はっはと大きな笑声を上げた。

 

小此木が イ家の門から出てくると 黒塗りの車が近づいた。

助手席のドアを開けて滑り込む時 彼はまだ少し笑っていた。


「随分と 痛めつけたじゃないか?」
御大の 不満げな声に 小此木は 珍しく陽気に言葉を返した。
「額の傷は 素人目には派手に見えます」

どれもこれも 大した傷ではありません。 「・・とはいえ」

小此木は 口の端を上げて 軍服の袖をそっと引く。
赤黒く膨れた小手の打撲は ジホに 木刀を叩き落された跡だった。

「負けた恨みで つい 力が入ったかもしれません」
「?!」

——

 

ジホ! ジホ! 手当てをするから!

「無用です。 身体を洗えば充分です」
「だめだ! まだ血が出ているじゃないか! 誰か!ジホを押さえろっ!」

冗談じゃない。 あの手で 手当てなどされた日には
どの面下げて じっとしていろと言うのだ。


夜の中。 水晶の怒声が高かった。

ジホは 絶対捕まるまいと 廊下を飛ぶように歩いていた。
 

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