15 水晶妃-氷と狼の物語-第15話

 

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時代は 轟々と動いていた。

 

 

連合国軍の攻撃の手は 外地である 朝鮮半島にも及び
京城市(ソウル)の上空にも B29の機影が現れた。

それでも敵の攻撃は 軍事基地を狙うことが多く
市街地ばかりの京城は 大きな被害を免れていた。

 

戦況の悪化にもかかわらず イ家を訪れる人影は絶えなかった。

空襲を受けにくい静かな住宅街にあって 
要塞の如き閉鎖性を持ち プライバシーが保たれる。

混迷の政局にある高官達にとって ここは またとない談合の場だった。


——

 

「すみません・・」

報告に来た奥の侍女は 涙目になって震えていた。
眉をひそめて 瞼を閉じている 美しい青年におびえていた。
 

「・・お声をかけた時には 読書をなさると仰っていたのですけど」

「わかっている。 君のせいではない」

 

怒りに震えるこめかみを ジホは 指先で押さえつけた。

近頃 彼を悩ませているのは 親戚達でも日帝でもない。
舌打ちをして眼を開けたジホに 侍女は びくりと跳ね上がった。

「あ・の・・・ どう・・いたしましょう?」

「ここは良いから もう戻りなさい。 姫様の行き先はわかっている」
「は、はいっ すみません!」

 


むっつりと不機嫌に口を結んで ジホは 奥の座敷へ向かった。

瀬尾中将の座敷では スジョンが揚げ昆布を噛んでいた。


「・・女学校へは もう行かぬとな?」
「うむ」

授業はないし 出先で空襲に遭ってはと ジホが心配をしおってな。

「卒業証書は頂けるので 繰り上げ卒業をしたのだ」
「ほほぅ」


スジョンが卒業を早めた理由は 戦況だけのことではなかった。

内地の物資が困窮し 食料や物資の強制徴収が行われるにつれ
朝鮮人社会の反日感情が かつてない程強まっていた。

日帝が出入りしているだけで イ家への風当たりは強くなり
不穏な空気を案じたジホは 水晶を 手元で護ることを決めた。

 

「卒業か」

それでは この後は 花嫁修業か?
「・・・」 

くっくと笑う御大に スジョンは氷の眉をあげた。 
生涯嫁がぬと決めた身に 何の 花嫁修行が要るものか。 

「私は 閣下の相手で忙しい」
「何が相手だ。 揚げ昆布を ぼりぼり喰っておるくせに」


あっはっは・・

聞きまちがいようのない声が 男の笑いに混じっていた。
廊下に立ち止まった狼は 呆れ顔で ため息をついた。

——


・・・困った方だ。

静かに視線を落としながら ジホは苦く笑っていた。
屋敷に籠もる生活に 飽き飽きしておられるのだろう

人並み外れた怜悧な美貌と つんと澄ました物腰のせいで
近寄りがたく 高慢で 気難しいと誤解されるが

水晶は本来 人なつこく 陽気で活発な性格だ。


御大と世に恐れられ 泣く子も黙る強面の中将を
どうやら 彼女は「遊んでくれる小父様」程度に考えている。

・・あるいは 

ジホは考える。  御大の 泰然とした態度の向こうに
スジョンは 父親の面影を見て 甘えたい気持ちなのかもしれない。


コトリ・・
戸前に腰を低くして ジホは 内へ声をかけた。 

「閣下」
「おぉ来たか。 まったくジホは鼻が利くな」

御大は さも感心したように 座敷の奥から手招きをする。
一礼をしてにじり入ると 水晶が 悪びれもせず振り向いた。

「姫様」
「戻らぬぞ」
「・・姫様」


氷と牙の斬り合う火花を 御大は ニヤニヤと杯ごしに見た。

大事な姫の無邪気な奔放に 狼が翻弄される姿は
何とも楽しい見ものだった。

それでも 男同士の情けから 御大はジホへ加担した。
「さあ。 では水晶は 戻りなさい」

「まだ来たばかりだ」
「これから 少し人を呼ぶ」
「・・そうか」


スジョンが すらりと立ち上がった。

その切り替えの素早さに 御大は 内心舌を巻いた。

この娘は 本物の貴族階級だな。
瞬時に 周囲の要望を聞き分け 不平も言わずに行動を変える。

どんなに興が乗っていても 従者に時間を言われると
「そうか」と即座に立ち上がるのは 貴人が幼少から身につける習慣だ。


水晶の態度は中将に 遥かな日本の主君を思い出させた。

陛下は今 誰の言を聞き どんなお気持ちであらせられるだろう。

——

 

「・・・・」

座敷を辞した水晶は 無言でたしなめる狼の視線に つんと顎を高くした。

「閣下は悪い方ではないぞ」

「・・おそらくは 仰るとおりでございましょう」
「私と話すのが楽しいそうだ。 邪魔をしている訳ではない」
「そういう事が 問題なのではありません」

良家の姫には あるまじき行動です。 どうか慎しんでいただけますよう。

「人は どんな噂を立てるとも知れません」
「ふん」


「日帝には媚びぬ」とどれほど言おうが 人は信じてくれぬではないか。
言いたい者には言わせておくがいい。 自分に恥じる所がなければ それでよい。

「縁談も無くなって 私には好都合だ」
「姫様・・」


「あぁそうだ。 来週 御大が 部下の壮行会をする」
酔狂者どもが この水晶に 会うてみたいと言っておるらしい。

「挨拶に出てやろうと思う」
「?!」

「なりません」
無礼のないよう 中将閣下が 眼を光らせると約してくれた。
「なりません」

・・ジホ・・・

「私などで良いならば 挨拶をしたいと思うのだ」
「姫様が 宴席なぞに・・」
「"壮行会"だ」


「部下の方は 北方を護りにゆくそうだ」
「!」
北方は 空爆も多いと聞く。 平壌の そのまた北へ赴くと言った。

「つまりそれは ・・・危うい戦地へ 行くという事なのであろう?」
「・・・」
「私を見て慰められるなら 見てゆけばよい」

 

慰問に 行ったと思えば良かろう? 

スジョンは大きな瞳を向けて ジホへ小首を傾げてみせる。
灯りの遠い薄暗がりに ふわりと微笑む白い頬が 夢のように美しかった。

「・・・」
ジホは目元を少し歪め こみ上げてくる気持ちに耐えた。


輿入れの話が 来た日から 

ジホは 自分の心に潜む ある感情に気づいていた。

以前は水晶を ただ愛しく大切なものと思い 
彼女が嫁ぐ日まで庇護することが 自分の望みだと思っていた。

花嫁衣裳を身にまとった まばゆく幸せそうな彼女を見たら
きっと自分は満足と 幸福を感じるに違いないと。

 

黒木が縁談を持ち込んだ時 ジホは 怒り 悲嘆にくれた。

その時 気づいた。 

相手が望まぬ者だから 自分は憤慨したのではない。
自分の手から 水晶を奪われることが許せなかったのだ。

そして 嫁がぬことが幸せと言った 彼女言葉に
確かに 自分は 心のどこかで安堵の気持ちを覚えている。


"・・なんということだ"

黄泉で親父様は 俺の卑しい欲望に 舌打ちをしていることだろう。
自分を信頼し 水晶を護れと言ってくれた あの方は・・

 

ジホが止めても挨拶に出る。 「・・聞いておるか?」
「?!」

想いに沈んでいたジホを スジョンが珍しそうに覗いていた。
ジホは 瞬時に心を覆い 鼻を鳴らすと冷ややかに言った。

「聞き分けがありませんな。 お一人ではお出になりませぬよう」
「うん」


ジホが同席するだろう?

スジョンは ふふと機嫌良く言った。 お前がいるから大丈夫だ。
安心しきった彼女の笑顔から 狼は 慎重に視線を外した。

——

 

御大の開いた壮行会は 30名を超える賑やかなものになった。

ジホは座敷の片隅に 影のように静かに控え
御大の傍へ端然と座った 水晶だけを見つめていた。

 

この日 会の主役は若い将校達だった。

最前線に赴く彼らには 覚悟を決めた明るさがあった。


抜かりなくジホが選んだ 美しい妓生たちが 宴席を華やかに飾っていた。
それでも男達の眼は 水晶妃の 透きとおるような美貌に惹かれた。


ふん・・

まるで蜂の群の中に 花を置いたようではないか。

紅潮した頬で 浮かれる男達を ジホは苦々しげに見る。
冷たい表情を 時折ゆるめるスジョンに 気が気ではなかった。


「・・御大 当主に ご挨拶申し上げてもよろしいですかっ!?」

そわそわとした将校達の中の一人が 思い切って申し出た。
御大は 自分の宝に群がる崇拝者を見るように すこぶる上機嫌だった。
「良かろう」


「あー 相澤少尉と申します! お眼にかかれて光栄です!」
「・・こちらこそ。 初めまして晶と申します」
「!!!」

鈴音を思わせる 水晶の声に 男達は有頂天になり
我も我もと席を立って 上気した顔で挨拶をする。


中にひょうきん者達がいて 水晶の気を引こうとした。

1人が 腰をかがめて膝を出し 
身軽なもう1人がその膝を踏み切り板にして 派手な後宙返りをやった。


ジホ以外の 若い男性を見ることも
ダイナミックな男の動きを 間近に見たこともないスジョンは

まじまじと眼をいっぱいに張り やがて ほどけるように笑った。


ざわ・・・

男達は息を飲む。 冷然とした氷の瞳が いきなり溶けて霧になり
中から 大輪の芍薬が花開いたような笑みだった。

宙返りを見せた若い将校は 呆然とその場に立ちすくみ
弾かれたように気をつけをすると しゃちほこばって敬礼をした。

「・・おいおい。 水晶は 上官ではないぞ」

呆れ顔の御大が さも可笑しげに声をかけた。
「は! ・・・つ つい・・」


どっ・・ 

満座の者が笑い 宴席はひどく陽気になった。


ジホは 明るい男達を 苦笑しながらながめていた。

笑いの中で ふと 黒木がぼんやりしている姿を見た。

——

 

ジホ! ジホ! あの軍人さんは 凄かったな!

あれはどういう曲芸だろう!


座敷を辞して奥へ戻っても スジョンは少し興奮していた。

「・・お声が高い」

平静な声でたしなめながらも ジホは呆れて笑っていた。
まったく お転婆なことだ。
高価な飾り物を貰っても 眉も動かさない姫が たかが宙返りに夢中とは。


「素晴らしいな。 ジホも あんなのが出来ればいいのに」
「申し訳ありません」


ジホは 何でも器用だから 練習すれば出来ないか?

まだ興奮が冷めないのか スジョンはしつこく言いつのる。
どうやら今夜は 彼女の気持ちを 宙返りから逸らすことは無理そうだった。


「・・あの軍人さんは すぐに出発するかな」
「?」

もう1度くらい 顔を見せて またやってくれないだろうか。
「?!」
「そうだ 御大・・」
「姫様!」 

・・・はあ・・ 

がっかりとしたため息が 思わずジホの口から出た。
放っておいたら水晶は 宙返りの出来る将校を 御大にねだりかねない。


・・・1度きりです。
「うん?」
「2度は 決しておっしゃりませんように」
「え?」

ジホはうんざりと庭へ降り 塀へ向かって助走した。

タン!
軽い蹴りが壁を鳴らし ジホの身体が 宙を舞った。
「!!」

きれいに足をそろえて伸ばし 両手を開いて後方へ高く飛ぶ。
それは 先程座敷で見たものと 較べようもない大技だった。
わ・・・ぁ・・

 

ジホ! ジホ! ジホ!
「2度はありません! お休みください」

 

スジョンを部屋に押し込むと ジホは手荒く引き戸を閉めた。

自分の情けない程の 弱さに腹を立てていた。

 

 

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2 Comments

  1. 今まで誤解してました、韓国の人は日本人の忘れてしまった武士道が残っているんですね。
    水晶妃最高でした!!
    こんな男に僕もなりたい。

  2. うわ~!! 嬉しいお客様ですっ
    ●うぃーずりぃさん いらっしゃいませっ! 初めまして!
    「水晶妃」読んでくださってありがとうございます!!!
    >今まで誤解してました、韓国の人は日本人の忘れてしまった武士道が残っているんですね。
    忘れてしまった人は多いかもだけど 日本にも韓国にも
    尊敬すべき 貴い心根を持つ方々はいると思います。
    日中とか日韓とか あまり状態の良くない今ですが
    相手を人として信じたり 敬する気持ちを忘れたくないと思いますデスはい。
    >こんな男に僕もなりたい。
    涙が出るほど嬉しいお言葉です。
    気に入ってくれて どうもありがとうございます。
    ふかぶか お礼

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