14 水晶妃-氷と狼の物語-第14話

 

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背筋を伸ばした華奢な姿を ジホは 呆然とながめていた。


嫁がぬことが ・・・幸せ?

思いもよらないスジョンの言葉を 困惑とともに噛みしめた。

 

スジョンはつんと顎を上げて 真っすぐ 前を見据えている。
氷の意志をまじまじと見つめて 御大は もろく淋しげな笑みを浮かべた。


「・・水晶は 嫁ぎとうないか」

「望まぬ」

会ったこともない男を夫と呼び 生涯添う気に どうしてなれる。

「しかし 良家の嫁に望まれるは 女子の誉れであろう?」


良家の嫁だろうと 中将閣下の妾だろうと 気に染まねば同じこと。

「いっそ 投扇で遊べるから 閣下の妾になるがましだ」
「なん・・と」

 

くっ・・・

ぎょろりと大きく眼を剥いて 御大が横を振り向いた。 
どんな時にも無表情な部下が うつむいて 薄く笑っていた。

・・は・・・・

御大は 呆れ顔をもろもろと崩し やがて豪快に笑い出した。
雷鳴のようにとどろく笑声に スジョンは 眉も動かさなかった。


「”中将がまし”とは ようも言うた」

腕組みの肩を豪快に揺らして 御大はひどく上機嫌に言った。

娘の勝気な物言いは 小気味良いほどに率直で
陰謀やへつらいを聞き飽きた耳には 涼風のように爽やかだった。


「相手がわしでなかったら 無礼者と怒鳴られる所だぞ」

しかめ面の御大が言う。 
脅すようなからかいを スジョンはけろりと受け流した。

「・・・相手が閣下でなければ 私だって 別の言い方をする」

「ほぅ?」
「中将閣下は 嘘のない言葉を怒らぬ方であろう?」
「!」


この娘。 大胆なばかりか なかなかに 抜け目なく人を測りおる。

御大は内心舌を巻き 娘の聡明さに微笑した。


——

 

座敷を辞した水晶は 足音を高くして歩を進めた。

狼は 静かに眼を伏せて 彼女の後を護っていた。


しばらく黙っていたスジョンが 耐えかねたように振り向いた。
ジホが自分を 黒木のもとへ連れて行ったことに激怒していた。

「ついて来るな!」

「・・・」
他の客人も まだ邸内におりますれば。 
「奥までお送りいたします」

「なぜ私を護る? 縁談を持ってきた相手に 無傷で渡してやるためかっ!」
「!!」

 


水晶の 黒い大きな瞳が揺れた。

どんな時でも 自分を護ってくれると信じ切っていたジホが
輿入れを望んだという男の前に やすやすと自分を差し出した。
その事実に 傷ついていた。

スジョンの眼に こぼれんばかりの涙が湧いて ジホは眼元をゆがませた。
怒りの向こうに悲しみを読んで 耐え難いほど動揺していた。


「・・ジホなど 嫌いだ」

踵を返そうとしたスジョンを とっさの手が捕まえた。

「放せっ!」

「・・姫様」
「お前は私でなく イ家を護っているのだ! お父様に言われたからな!」
「姫様」


「イ家が護れれば良いのだろうっ?!」

お前は 一族が認める相手なら 誰にでも私を・・差し出すのだ・・・

言葉の最後は泣き声になって 青ざめた頬を 涙がつたった。
スジョンの涙を見た途端 ジホの総身に鳥肌が立った。

 

愛しい水晶が 泣いている。

何も思わず手を伸べて 濡れた頬に触れた。

護らなければ。 狼の中に警報が鳴る この宝石を護らなければ。
だけどジホには 今 自分がどうするべきかがわからなかった。


・・・嫌い・・だ・・

「姫様・・」
・・・ジホは 私があの男に・・・嫁げばいいと・・思ったのだ・・・
「・・・」

 

違います。 言いたい言葉は声にならなかった。

ふるふるとジホは頭を振って スジョンの涙を指でぬぐう。
何より水晶の瞳の中にある 傷ついた色が耐え難かった。

従ってきたのは親父様であり 命にかえて護ってきたのは 
イ家でも財産でも 膨大な事業でもない。 それなのに・・・


突き抜けるような恐怖が襲った

スジョンを傷つけ 泣かせているのは こともあろうに自分なのだ

 

「放せ・・・」

涙をぬぐったジホの指を 新しい涙が また濡らした。
常の冷静は崩れ去り ジホの世界が大きく歪んだ。
「!」


ジホは夢中で腕の中に スジョンを深く抱き取った。

水晶の涙と 痛めた心を 癒すことしか考えなかった。

ほっそりとした娘の身体は そっと包むと柔らかだった。
小さな頭に頬ずりをすると 甘い香りにめまいがした。


・・姫様が・・・


「・・話をお受けに・・なる・・かもと・・・」
「・・・」

・・・私・・は・・・・

「・・お受けにならなければ良いと・・・思っていました」
「!」


ジ・・ホ・・・?

スジョンの甘やかなささやきが 胸の中から聞こえてきて
突然 ジホは 正気に戻る。 

自分の失態に驚いて 慌ててスジョンから飛びのいた。

 

無私の 完璧な 「使命」でいること。
泥の中を這う狼が 水晶の傍にいられるのは それが条件のはずだった。

なのに今 おずおずと まるで恋する少年のように

俺は・・いったい 何を言った?

 

「す・み・・ません・・・」
「ジホ?」
・・・・どうか・・・もう・・お休みください・・


糸に吊られた人形のように ジホは不器用に引き下がった。

スジョンが何か話しかけたが
鼓動が耳の中に響いて ジホには 何も聞こえなかった。


水晶はもう泣くことを止め 傷ついた色も浮かべていない。

どうにかそれだけを確かめると 狼は身をひるがえした。


——

 

小此木 おのれ 先程笑うただろう?

「いいえ」

「しれしれと 嘘をつきおって」

 

柔らかな皮のシートに沈み 御大は低く笑っていた。
ここへ座れと助手席へ向かう部下を 自分の隣シートに招いた。


「嫁がぬことが 幸せ・・か」

くっくと笑い続ける御大に 小此木中佐は 眉を上げた。 
今夜の上官の陽気さが 何だか少し 不自然に見えた。

ああも 堂々と言い切る娘だ。 気に染まぬ男になど嫁ぐまい。

「水晶のように眼を上げて 嫌と 言えば良かったのだ」
「・・?・・」

瞼を閉じた御大の顔から いつか笑みが引いていた。
代わりに浮かんでいた表情に 小此木は 見ない振りをした。

 

「小此木」

「は」
「お前は何故 あの男が気に入った?」
「・・・」

閣下は ジホのどこがお気に召したのですか?

「わしが 先に聞いたのではないか。 全く喰えん男だな」
「・・・」

 

あの狼はな。 勝てぬ相手に 一歩も引かん。

「・・・」
「勝敗など もとよりあれには 問題ではないのだ」

ただただ 「自分が護る」と決めた者のために 
四肢を踏みしめて 牙をむく。

微塵も揺るがず 負け戦を闘う。 なんと見事な武士ではないか。

 

「小此木」
「はい」
「レイテが落ちた」
「!」

我々は 一歩も引かぬ戦いを あ奴の如く出来るだろうかな。

「出来る と 思いたいものだ」
「・・はい」


車中がしんと静まった。 軍人達はしばらくの間 遠い海に思いを馳せ

やがて中将は静かな声で 総督府へと行き先を告げた。

 

 

 

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