13 水晶妃-氷と狼の物語-第13話

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世の中には 2種類の人間がいる。

ガキと呼ばれていた頃から ジホは 痛いほどそれを知っていた。


『絹の衣をまとう者と 泥の中を這いずる者』

スジョンは 中でも 白綾の艶やかな絹を身にまとい 
きらめく光を放つ者だ。
彼女に 近づくことが許されるのは 最上の絹をまとう者だけだ。

 

“お前が スジョンを護ってくれ”

親父様が言った時 ジホは 信じられなかった。

ドブ板を踏んで生きてきた 野良犬と呼ばれていた自分が
まるで小さな天女のような 金糸でたばねた花束のような
宝石のような水晶を 護ることが出来るなんて。


初めて会ったスジョンの笑顔は ジホの一生の宝だった。

彼女は 何のためらいもなく 嬉しそうに飛び込んで来た。
大人ばかりの屋敷の中で ジホが 遊び相手に見えたのだろう。

イ家へ やって来たばかりの狼は すさんだ眼をした少年だった。
今は親しい屋敷の者さえ その頃は 胡散臭さげに彼を見ていた。

 

“ジホ!”

見たこともない程きれいな少女が 歓声をあげて 抱きついた時
ジホは 自分の運命を決めた。

・・この宝石を 命にかえて 生涯 護り続けるんだ。

——


「黒木大佐のお車が 大門を通られました」

玄関番が告げに来て ジホは 静かに席を立った。
水晶を 娶りたいと言った男。

到底 許せる申し入れではない。 「それでも」 ジホは 歯噛みする。
どんな時にも消せない理性が 怒りの耳元へ囁いた。

“奴もまた 絹をまとう者だ”

 

「ああ お前か」

出迎え ご苦労だな。 
玄関の間に立った黒木は すこぶる上機嫌だった。
ジホはすべての感情を消し ただ 黙って会釈をした。

黒木は 余裕たっぷりに 着ていたマントをその場で脱ぐと
受け取ろうと近づいた下男を無視して ジホへ マントを突き出した。

「・・平倉洞から 話は行ったか?」

「・・・・」


ジホの優雅な長い指が 黒木のマントをふわりと取った。
「お話は 伺いました」
黒木の 狡猾な眼の中に ほくそえむ色がじわりと浮かぶ。

不遜で生意気な若い執事に 自分が誰かを やっと教えてやることが出来た。


「座敷を頼む」

それから ”晶”に 会えるかな。


玄関番にマントを渡す ジホの背中が ぴたりと止まった。
一呼吸だけ 息をする。
そうしなければ 振り向きざまに 黒木を殴りそうだった。

「・・・宴席へのご挨拶は ご遠慮させていただいております」

「ああ そうだったな」


お前の様な 忠義者の下僕がいてくれるのは嬉しいことだ。

無垢で美しい娘にとっては 危うい事が多い世の中。
しかるべき家との縁談が整うまで お前も 責任が重かっただろう?
「礼を 言わねばな」

「・・・・」

黒木は 薄い唇をねじ上げ 底意地の悪い笑みを浮かべた。
顔色を窺うことだけは長けている男は
端整に眼を伏せる執事の頬から わずかに 血の気が引くのを見逃さなかった。

「・・・もうすぐ・・お前も 肩の荷を下せる」

 

粘りつくような黒木の声が 鈎爪となってジホをえぐった。

暴漢の刃に斬られた時でも これ程の痛みは感じなかった。


相手が 水晶を狙う「敵」ならば 何があろうと護ってみせる。
もとより命など 惜しくもなかった。 

だが今 眼の前にいる黒木は 「敵」と呼ぶことの出来ない相手だ。
正面の門をくぐり抜け 定められた手順を踏んで 水晶を 手に入れようとする者。

 

叫び出しそうな恐怖と 絶望が ジホを締め上げた。

この縁談の話し合いから 間違いなく 自分は締め出される。
親族どもの強引な勧めに 水晶は 否と言えるだろうか。

もし・・・


思いたくはなかったが  万が一にも輿入れとなれば
味方もいないだろう嫁ぎ先で スジョンの人生は 黒木が握る。


愛しい水晶の行く末を思うと ジホは正気を失いそうだった。

自分は 「そこ」へついて行き 彼女を護る事ができない。

——


「お 小此木」


黒木の言葉に 狼は つかの間の自失から気を取り戻した。

廊下の向こうに小此木がいて いぶかるような眼を向けていた。


「・・何か・・・?」
暗い庭の 深井の水を思わせる 静まり返った小此木の声。

自嘲にも似た淡い息が ジホの 結んだ唇をゆるめた。
中佐の気配に気づかなかったとは 自分は 相当に動揺している。


「いや 何でもない。 今・・」

言いかけた黒木の動きが止まり 狡猾そうな表情になった。
ジホに鬱憤をはらした事で 思い上がった気分になっていた。

「小此木がいるという事は 御大がおられるのか?」
「・・・・」
「ご報告したい事があるのだがな。 閣下に 取り次いでくれんか?」

「報告?」

 

水晶妃は 御大のお気に入りらしいから 内密に話が進んでは 怒られるだろう。

「ご挨拶をしておかねば。 ジホ ”晶”をお連れしてくれ」

——

 

スジョンを案内して来たジホは まるで 死者のように見えた。


御大は眉を持ち上げて 小此木に目顔で問いかけた。
常に研ぎ澄まされた刃のように 端然としている狼が ・・どうした?

黒木の浮かれた態度といい 一体 何事が起きている?
小此木までもが 戸惑っておるとは・・

御大は 内心の苛立ちを 杯の陰に飲み込んだ。

 

「ああ 来たね」

御大の潜めた思いにも無頓着に スジョンを見た黒木は 舞い上がった。
彼女が自分の物になると思うと 胸の高鳴りが 抑え切れなかった。

 

「えー。 本日は ご報告がございます」

私事ではありますが この度 晶との縁談が調う運びとなりました。
勝ち誇った笑みを見せて 黒木は 上官に報告した。

イ家へ申し入れを致しまして 程なく結納になる手筈です。


「な・・んと。 水晶を 妻にすると言うのか?」

身を乗り出した御大を 黒木は 心の中でせせら笑った。
たとえ中将閣下と言えども 正式な婚姻には 口出し出来まい。

 

「・・聞いて おらぬな」

突然 冷ややかな声が飛んで その場の空気を凍らせた。
一座の視線をその身に集めて 水晶は 背筋を伸ばしていた。

「縁談とは どういうつもりだ?」

スジョンの尊大な物言いに 黒木は ぞくぞくする高揚を覚えた
何と強気な娘ではないか。 もうすぐ俺が この高慢を支配するのだ。


「はは・・晶」

婚姻は 家と家との相談事。 本人への知らせが遅くなることもあるのだ。
大韓帝国に嫁がれた片子妃など ご自分の婚約を 新聞を読んで知られたそうだ。

「平倉洞の主人は この縁談を 大層喜んでおられたぞ」
「叔父貴様・・が?」
「ああ。 親戚も 皆 賛成と言っておる」


「・・・・」

スジョンは冷たい眉を上げて ちらり とジホを流し見た。
氷の視線と無表情が 一瞬 刃を切り結んだ。
 

 

私もそろそろ良い歳ですので 妻を娶って跡継ぎを・・

「それは 出来ぬな」

得々と話し続ける黒木の言葉を 御大の声が のんびりと断った。
下座に控える小此木中佐の 糸のような眼がちらりと揺れた。
「は?」

「お前のような旧家では 外国人の嫁など認めまい」
「いえ。 そこは 説得いたします」

出来ぬ話だ。 「諦めろ」

・・え?・・・


黒木は ぽかんと口を開けて 言われたことを理解しようとした。
気づけば 眼前の権力者は 不機嫌そうに自分をにらみつけていた。

・・・ご・・く・・・

「で、出来ないとは どういう事でしょうか?」


見る間に青ざめた黒木の顔を 御大は 底暗い眼でねめつけた。 
皇軍が 決死の戦いをする非常時に 己の卑しい欲が大事か。

 

「水晶は ・・・私の愛妾だ」

「天気が良い」と言う程に 御大の言葉は のどかだった。

水晶の後ろに控えたジホは 困惑の表情を隠せなかった。


——


よろめきながら 黒木は去った。 

玄関番がマントを着せても 上の空で腕を通し 
後部座席のシートへ 倒れるように消えていった。


4人が残った座敷では 誰も 口を開かなかった。

沈黙の糸を切ったのは スジョンの 不思議そうな声だった。


「話が・・よく わからないのだが」

中将閣下は 私を 妾にするおつもりか?
「ぁ・・・いやいや」

何とも すまぬ事をしたな・・
堂々たる体躯を小さくすくめて 御大は 頭をぼりぼりと掻いた。
「水晶を 奴にやりとうなかったのだ」

 

あの下衆は 誇り高き皇軍の 風上にもおけん男だて。

「何が縁談だ。 奴の家が水晶を妻に迎えるなどと 到底思えぬ話だわい」
おおかた 現地妻にでもするつもりだったろう。 
「あれは そういう卑劣な男だ。」

この戦況に何たる不敬と つい カッとなって言うてしもうた。

 

は・・・
ジホは悄然と嘆息した。 この 思いもかけない展開をどうすればいいだろう。
「妾とは・・。 姫の体面を 今少しお考えいただきとうございました」

「すまぬ」

黒木には 厳重に口止めして 他言させぬようにしよう。
奴は小心者だ。 この中将に逆らう程の 度胸は持っておるまい。

「そうは言っても 人の口に戸は建てられぬと申します」
悪い噂が立つだけで 姫様に ご良家からの縁談が来なくなりましょう。
・・ん・・むぅ・・・

 


「それは いいな♪」

「?」「!」

スジョンの 明るい楽しげな声に 中将とジホが眼を上げた。 
白磁の頬を淡く染めて 水晶は嬉しそうだった。

姫・・様・・・?


「縁談が 来なくなるのだな?」 
それなら私は 中将閣下の妾になってやろう。
「な、何を 馬鹿なことを!」


噛み付くような狼の声を スジョンは冷たく聞き流した。
お前の方こそ 馬鹿者だ。
良家に嫁いで幸せにと 誰も彼もが言いおって。

「どうして誰も この私に 何が幸せか聞かないのだ?」

「・・?・・・」

 

“私の幸せはな。 一生 誰にも嫁がぬことだ”

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