12 水晶妃-氷と狼の物語-第12話

  
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「・・・・・」


女学校の教室で 机上を見たスジョンは あ然とその場に立ち尽くした。
勤労奉仕で作っている 慰問袋用の綿布が 山と積まれていた。

・・・軍人さんが好きでいらっしゃるから ねぇ・・・・

・・・沢山 お作りになりたいんじゃなくて?・・・

 

クスクスと言う当てこすりが 背中の方から聞こえてきた。
スジョンは 眉を少し上げて 冷たい視線を周囲へ投げる。

シン と静まった教室に 突拍子もない大声が響いた。

「大変っ!せ~んせ~♪ この方達 ご自分の奉仕をさぼってま~す!!」

貴子は 拳を腰に当てて 同級生の前に仁王立ちした。
さすが良妻賢母を目指す皆様は 意地悪も すごーくお上手ね!


「な、なによ・・」
「私達 何も言ってないわ」
「ふぅん? 言っていないの?」

陰口って便利ねぇ。 背中に囁けば 言ったことにならないのね。
これが ”しとやかで気立ての良いお嬢様”と 評判のお嬢様なんだから

「性格の良い女なんて 信用出来ないわね!」
「まあ! なんて嫌な人」
「まあ?! 本当の事を言うアタシが 嫌な人なの?」

つんと 高く顎をあげた貴子の頬には 派手なスリ傷がついていた。
スジョンは思わず微笑した。 あれでは傷を 勲章にしているみたいだ。


「行こう 晶さん。ここは空気が悪いもの」

スジョンの腕に抱きつくと 貴子は 周囲をにらみつけた。
「”反日分子”のアタシが保証するわ。晶さんは 日帝に媚びてなんかいない!」
「・・・」

戻るまでに机の上の布 さっさと引き取りなさいよね! 

「じゃなきゃ アンタ達の仕業だって お~~っきい声で言ってやる!」
「!」「まぁ!」

 

勇ましい啖呵を切った貴子は 校庭の隅へスジョンを連れ出すと
きょろきょろと周りを見回してから 涙目になって礼を言った。

「本当にありがとう。心配かけてごめんなさい」

「・・怪我をしたな。 憲兵に 酷い事をされたのか?」

「ううん。これは”パクられる”時に 押されて転んだの」
「パク・・?」
「あのね! 逮捕される事をそう言うのよ! 晶さん 知っていらした?」

 

どんな時でも凹まぬ友は 突き抜けるように明るく言った。

・・まったく 能天気もここまで来れば見事だな。
スジョンは思わず苦笑した。それでも そんな友が好きだった。


「・・だが また集会に行くのは止した方がいいぞ」
「うん。こんなにご迷惑をかけたのだもの。 もう 絶対行かない」

 

だ・け・ど 見せたかったなー 憲兵のおじさん。
警棒を振りあげて脅してたのが 電話に向かって「はははーっ!」って。
「よっぽど偉い人に頼んでくれたのねぇ 皆 大騒ぎだったもの」

・・ねぇ 晶さんこそ 大丈夫だったの?

「ジホが数日 口をきかなかったな」
「あちゃ~ ・・鬼軍曹か。 もう遊びに行っても おやつくれないかな?」


あっはは・・

貴子とスジョンは ころころと笑い 慌ててあたりを見回した。
幸い 周囲に人影はなく 校門の向こうに車が停まっているだけだった。

——

 

・・なんと華やかに 笑うのだ。 

後部座席に身体を埋めて 黒木は スジョンに見とれていた。
垣間見た水晶妃の美しい笑顔に 胸を締めつけられる気がした。

どうして ここにやって来たのか 黒木は 自分でもわからなかった。
廊下で遭った夜以来 考えるのは彼女のことだけだった。


宝石で出来た 生き人形。 何としても あの女が欲しい

手に入れることが出来るのなら どんな代償も惜しくない。
氷の瞳と 芍薬の笑みを 自分のものに出来るのなら。

どんな事をしてもいい・・ どんな・・

 

「・・・そうか」
放心したような表情のまま 黒木はぼんやりつぶやいた。 
手段は ある。 

様々な事情を考えた。 周囲を納得させるのは 大変だろう。
だがどれほどの障害も 水晶妃を手に入れられるのなら 問題ではない。 


例え 相手が中将閣下でも 否とは言えないだろう。

なんと言っても こちらは「正攻法」だ。
黒木は満足そうに笑い 運転手に向かって横柄に命じた。

「平倉洞へ 行け」

—–

 

「・・・叔父貴様が?」

覗き込んでいた帳簿から ジホが いぶかしげな眼を上げた。

イ家が接待場になったことが 周囲の噂になって以来
本家と自分達は無関係 と言わんばかりに
この屋敷と距離を取っていた彼が 今頃 何の用だろう。

 

上機嫌な平倉洞主人に ジホは 油断のない眼を向けた。

狡猾で強欲なこの男が にこやかな時はろくなことが無い。
何だか 嫌な予感がした。


「ご無沙汰申しております。 叔父貴様にはお元気そうで何よりでございます」
「・・ああ お陰様でな」


しかしジホ。 名門の誉れ高い 我がイ家が 嘆かわしいことだ。
日本の軍人が 毎日のように出入りしているそうだな?
「水晶妃は客に酌までするらしいと 世間では ひどい噂になっておる」

「・・・・」

煮えくり返るような怒りに 狼は 思わず拳を握った。
貴方こそが ご自分の責任を 姫の小さな肩に押しつけたのではないか?

静まり返った狼の眼に 抑え切れない怒りが浮いた。

 

平倉洞の主人は ジホの視線に 慌てて用件を切り出した。

「き、今日は 良い話があるのだ。 スジョンに縁談が来た」
「え?」
「それがなんと 総督府の偉い方であられる。 黒木大佐様だ」
・・な・・・


再婚ではあるがな。 黒木様のご実家は たいへん裕福なお家柄だ。
前の夫人は子が出来ないとかで 以前に離縁されている。

「・・しかし 黒木様と言えば 姫様より随分とお年上ではありませんか」

「うむ。 まあ 四十を少し出ておられるがな」


スジョンも春で卒業だし 嫁ぎ先は考えねばなるまい。今のイ家の状態では 
「朝鮮の良家との縁組は 難しいと思わねばならぬ」

日本人と縁組する者が出るのも イ一族にとって悪くはない。

「資産家の陸軍大佐の正妻なら 不釣合いとは言えまいて」
「ですが・・」
「これは”イ家の縁組”だ ジホ。 使用人のお前が 口を出すことではない」


スジョンには私から言い含める。 一族の皆も 承認するに違いなかろう。

「インスクに言って 輿入れの準備を始めなさい」

——

 

輿入れ・・だと?


去ってゆく車を見送りながら ジホは 慄然と立ち尽くした。

黒木大佐? あの男に 姫様を娶らせるだと?
狼は 怒りに身体を震わせた。

あんな 下衆に嫁がせる為に 姫様を護ってきたわけじゃない。
水晶の隣にいる黒木を 想像するだけで吐き気がした。

姫様は 誰もが羨むご良家の 凛々しき若様に嫁がねば・・ならない。

 

激昂していたジホの目元が 苦しそうに歪んだ。 


・・・自分が 遅れを取ったのだ。

叔父貴様の言う事は 忌々しいが 不当ではない。
女学校を卒業される年頃の姫様に 縁談がないと言う方が不思議だろう。

インスクを動かし これはと思うご良家には 早々に打診するべきだった。

ゆっくり ジホは眼を閉じた。
分かっていた。 歯噛みしたいような気持ちだった。

スジョンの結婚について考えることを 自分は 無意識に避けていた。
姫様の幸せな結婚を望みながら 誰より それを怖れていた。
「そのせいで こんな・・」

 

・・ジホ?

衝かれたように振り向くと スジョンが人力車から降りてきた。
戦況の悪化にともなって 民間の車の使用は規制されていた。

「どうした? 誰ぞ お客であったか?」
「あ・・はい。 叔父貴様が」
「ふぅん?」

ちろりとスジョンの漆黒の眼が 悪戯そうにジホを舐めた。

「なぁ ジホ。 貴子を呼んでも良かろう?」

ええ と ジホは水晶から 眼を逸らしたままうなずいた。
いったい どうすればこの縁談を 潰すことが出来るだろうか。


「菓子は 出るか?」
「・・・は?」
「ジホが おやつをくれないんじゃないかと 貴子が 心配しておるのだ」

貴子は 大事な親友だ。
「うふふ・・ お願いだ ジホ」


無邪気に笑った水晶に 狼は 思わず息を止めた。

こみ上げてくる愛しさが 身がえぐられるほどの痛みになった。

——

 

ジホは八方に手を尽くして 黒木の身元を調べ上げた。

破談に持ち込めるような理由を 何とか見つけ出そうとした。

調べてみると 黒木の家は 噂にたがわぬ資産家で
家だけの事を考えると 確かに 不釣合いとも言い切れなかった。

 

「子無きを理由に 前妻を離縁 か・・」

それは 如何にも酷薄な あの男がやりそうな事だった。
そんな男に嫁がせようとは なんと無慈悲な親戚だろう。


いきなり調査報告が 手から滑って 机上に落ちる。

絶望感が 狼を襲った。

婚姻は 家と家とのつながりであって 本人の意思など二の次だ。
親父様のいない今 親戚どもの決定に 口を挟める立場ではない。

「・・・・」

狼は苛立ち 怒り狂っていた。 
彼女の 大事な水晶は 濁流に呑まれようとしていた。


その夜 黒木がやって来た。

 

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