11 水晶妃-氷と狼の物語-第11話

 

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ジホは 邸内を厳然と区切り 奥と宴席を隔離して行った。

 

イ家のもてなしは洗練を極め 料理人の腕は高い。

積み上げて来た伝統が支える空間は 驚く程に高質だった。

座敷につく給仕が求められると ジホは イ家ゆかりの女達を手配した。
かつては 両班の宴席についた 一牌(イルペ)と呼ばれる 高位の妓生。

芸事に優れ 教養ある彼女らは 酒食の場を自在に和ませたが
色事への期待は さらりとかわして 
「イ家宴席の格式」を それとなく客に示す。


はじめは好奇心で訪れた者も 至上のもてなしに魅了され

いつかイ家は 高官達の集まる倶楽部になっていた。

——

 

校門に控える 車夫に向かって スジョンは石畳を歩いていた。

戦争の長期化で物資が不足し 民間の車両使用が規制されると
ジホは スジョンの通学に 警護付きの人力車を用意した。

 

・・・ひそひそ・・ クス・・


ピンと伸ばした 水晶の背中へ 密やかな声が聞こえてきた。

決して 好意的ではない。 陰に忍んで交わす言葉。
水晶の屋敷に 日帝が出入りしていることは すでに周囲の噂だった。


"イ家は日帝に取り入って この戦時下に 様々な便宜を手にしている"

事情を知らない言いがかりに スジョンは 内心 唇を噛んだ。
口惜しくはあるが 日帝に酒食を提供していることは事実なのだ。

自分にやましい事はないのだから 何も 卑屈になることはない。

水晶は 高く顎を上げて 周囲の雑音を切り捨てた。

 

・・・晶さん・・・ ・・晶・・さん・・・

「?」
おずおずと自分を呼ぶ声に スジョンは 辺りを見回した。
校門の陰へ張り付くように 貴子の母が立っていた。

「小母様? こんな所で どうなされた?」


その日 貴子は欠席だった。 

友など要らぬと言うスジョンだが 貴子の不在だけは心寂しく
あの元気者が病気かと 内心気にかけていたところだった。

晶さんっ! あ・・の・・ あのね。

「お宅には 日帝の偉い軍人さんが出入りしているのでしょう?」
「・・・」
「お願い! 誰かにお頼みして 貴子を助けてもらえないかしら?!」
「え・・?」

 

"民族決起運動だか何だか 知らないけれど 政治も何もわからないくせに
 美男子の説教が素敵だなんて。 あの子は 本当に 馬鹿なことばっかり・・"

人力車の中へ並んで座った 貴子の母は泣いていた。

昨日 出かけた集会場に なんと憲兵の手入れがあって
貴子は他の者と一緒に 反日分子として捕らわれたという。


「あの子なんて 反日でも何でもないのよ? 晶さん!」
「ええ・・・。 それは分かっております」
「憲兵なんて どうしましょう。 拘置所でどんな酷いことをされるか」

貴子の母は取り乱して おいおいと あられもなく泣き出した。

嫁入り前の娘なのにと言う嘆きに スジョンの眉がゆっくりと曇った。

—–

 

もしかしたら 偶然にでも 水晶妃に会うことがないだろうか。

その夜も 黒木はもの欲しげに 座敷の外をうろついていた。


まったく 歯ぎしりする程いまいましい。
あの狡猾な若い執事が 彼女を 邸内深くに仕舞いこんだために
こうして屋敷を訪れても 姿を垣間見ることすら出来ない。


それでも 黒木は 諦められなかった。
たった一度だけ見た水晶妃の 奇跡の美貌が忘れられなかった。

真珠のようになめらかな肌と 黒目がちの大きな瞳。 
ふっくらと紅い唇がほどけ 冷めぬうちに と囁いた声の甘さ。

 

・・・会えないか・・

座敷へ戻ろうと舌打ちをして ふと中庭へ 眼をやった黒木は 
まるで雷に打たれた様に その場へ 釘付けになった。


灯りを点した石灯籠の庭を 水晶が 静かに歩いて来た。

つややかな髪を背中へ垂らし リボンを後に結んでいる。

小さな襟のブラウスとふわりとしたスカートの 上品な装いは
飾りのない分 ほっそりとした娘の姿を 美しく見せていた。


・・・?・・

庭先から廊下へ上がったスジョンが 人影に気づいて 立ち止まった。
見つめる黒木の動揺に 不思議そうに 小首をかしげる。

「水・・晶妃・・・」 

「ごきげんよう」

スジョンは軽く会釈をしながら 男の肩章をじっと見つめた。

「大佐」だな。 大佐とは どれ程偉いものだろう?
貴子の釈放を頼める程に 充分な力があるだろうか。

自分に向けられた眼差しに 黒木は息もつけなかった。 何という瞳。
「こ、こちらへ来るとは珍しいな。 何か 用でもあるのか?」


「・・・・」

口を開こうとした時に 豪快な笑い声が聞こえた。
・・瀬尾中将か。 
確か「総督府次席」と聞いた。 彼には 力があるに違いない。

「・・中将閣下のお座敷へ ご挨拶に上がりました」

「そ、そうか」

——

 

「姫様が 宴席へ行かれただとっ?!」

火が出るように問う狼に 給仕の男は 震え上がった。

「は・・はいっ。 中将閣下のお座敷へ行かれました」


黒木大佐が ご案内していた様です・・
「何故だっ?! 奴が どうやって姫様を連れ出した!」
「そ・・それが・・」

給仕が返事するのを待たずに ジホは廊下へ 飛び出した。

総身から噴き出す怒りの焔に 通りがかった侍女が 悲鳴を上げた。


奥へは 猫の子一匹も通さない様に 眼を配っているというのに
黒木は 如何なる手管を使って 姫様をおびき出したのか。

冷たい汗をかきながら ジホは 滑るように邸内を進んだ。

中将がいる座敷の戸前へ 陰獣の様に沈みこむ。
気配を伺い 細めた眼には 燃え立つような殺気があった。

 

どっ・・ 

あっはは。 場違いな程に陽気な嬌声が 戸の向こうから聞こえてきた。
いり混じった笑いの中に ジホは 水晶の声を捉えた。
「?」


戸惑いに 気を奪われた瞬間 すらりと座敷の引き戸が開いた。

寸前に 間合いを離したジホは 廊下へ控えて 頭を下げた。

「・・・・」

座敷の灯りを背中にして 小此木中佐が立っていた。
軍刀を握ったその顔には かすかに 慌てた色が見えた。
「お! 来たな」

仁王立ちになった中佐の向こう。 座敷の奥から 御大が呼んだ。
「姫の 忠臣がまいったぞ」

ジホ・・? 
とスジョンが呼びかけた時 狼の殺気が静まった。
小此木はそれを見て取ると 半身を引いて ジホを通し入れた。

 

「・・ご無礼致します」

「入れ入れ! はっは・・お前の殺気に 小此木が飛び上がったぞ」
大事の姫に 悪さはしておらん。 そう心配するでない。

「それどころか 今 お前の姫君に さんざんやられていたところだ」

「・・・?」

——


座敷の中には 御大の他 小此木と妓生2人がいた。
水晶を案内したという 黒木の姿は見えなかった。

座敷では どうやら「投扇」をしていたらしい。

木箱が 宴席の中央に置かれ 白い扇子が転がっていた。

 

「水晶は 覚えが早いな」

上機嫌な御大は 扇子を拾って悠々と閉じ 芝居がかった嘆きを見せた。
「ほんの1、2度 教えただけで もうこの年寄りに勝ちおった」
「・・・・」


ジホは無言でかしこまり じっと 水晶を見つめている。

御大は 思わず微笑んだ。
決して余人に慣れようとしない狼の 一途な忠心がまぶしかった。

「のぉ? ジホ」

「・・・はい」

この勇ましい姫君は 友を 助けたくてやってきたのだ。
「?」
「"助ける代わりに何をくれる?"と 問うたらな」

・・くっくっく・・・


先刻のスジョンを思い出して 御大は 顔をほころばせた。
水晶の 天衣無縫な高貴さに すっかり魅了されていた。

"中将閣下は 人を助けることに 代償を欲しがる男であられたか"

氷の眉に軽蔑を込めて 切り捨てる様に 言い放った高慢。
そのあざけりは 男の心臓を鷲づかみにするほど美しかった。

 

"何なりと 望むものを取るが良い"

「そう申したのだぞ この水晶は」
「!」
「わしが下衆であったなら 姫の 何でも貰えたのだがなあ・・」


矜持というものを ほんの僅かでも持った男なら 
あの眼であざけられることに 我慢は出来ぬ。
仕方なしに 「投扇で勝ったら望みを聞く」と言うたら・・

「この連敗だ。 まったくこの中将が 水晶の使い走りよ」


はっはっは・・

——


スジョンの前を歩くジホは ひと言も 口をきかなかった。

居心地の悪そうな上目遣いで スジョンは怒りの背をうかがった。


「・・怒って いるのか?」

「当然でしょう」
「貴子が 憲兵に酷いことをされては 困ると思ったのだ」
「ご相談を頂きとうございました」


言ったらジホは 直談判など 決して許さないだろうに。

見つからないのを良い事に スジョンは 不満で頬を膨らませた。
「膨れ面をすると 戻らなくなりますぞ」
「見えるのか?!」

は・・・

供も連れずに宴席に出るなど 無謀 極まりない。
「何かあったら どうするつもりだったのですか?」

・・だって ここは 屋敷の中じゃないか。
「何があっても ジホがいる」
「・・・」

・・・は・・・

まったく 何たる弱さだと ジホは自分を罵っていた。


狼が 宝物をくわえて帰りおった。
2人の去った座敷では 御大が 忍び笑っていた。

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