10 水晶妃-氷と狼の物語-第10話

 

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「7年前。 閣下が 赴任される前のことです」


小此木中佐は 低い声で 調査内容を話しはじめた。


車はすでに官邸に着いていたが 御大は そのまま話を続けさせた。 



京城市内で 資産家の子どもを狙う 連続誘拐事件がありました。
犯人の手口は 人質の指を送りつけ 身代金を要求するという残虐なもので


「当時 京城の上流社会は 大変な恐怖に陥ったそうです」


「・・酷い話だな」
「被害者名簿の中に イ・スジョンの名がありました」
「?!」


幸い誘拐は未遂に終り それがきっかけで 事件は解決しています。


 


警察に 事件記録の調書が残っておりました」



・・・犯人一味ハ、李スジョン(10歳)ヲ略取セントスルモ、
被害者ニ従ガヒシ下男ガ、コレニ抵抗シタタメ騒ギトナル。付近住民
ノ通報ニヨリ、巡邏警官ガ現場ニ駆ケ付ケ、一味ヲ捕縛ス。



逮捕時の乱闘により犯人2名が落命。 残る1名は 警察病院で死亡。
事件は 被疑者死亡のまま書類送検され 終結。


「これが事件の “表向きの”顛末です」


「・・事実は 違うと言うのか?」
「犯人を逮捕した巡査は身長5尺2寸。事件後5ヵ月で 定年退職しています」
「大捕物には似合わない 小柄な・・年寄りということか」

 

まったく 何一つ見落とさない男だな。


ゆったりとした革の座席に身体を沈め 御大は葉巻を取り出した。
「定年退職したという巡査を 尋問したのか?」
「・・・」


目的遂行の為とあれば どれ程までも非情になる部下を 御大は横目に流し見た。
「手荒な事を したんじゃないだろうな」
「いえ・・・」


ただ 事実を語る事を とてつもなく恐れておりました。
「人狼」と言ったのは元巡査です。 ”あいつは 人狼だ”と。


 


騒ぎの報せに駆けつけた時 巡査は 声も出なかったそうです。


現場は一面 血の海で 暴漢は血だまりに倒れていました。
“被害者ニ従ガヒシ下男” ・・つまり イ家のジホは
スジョンを背に隠して立ちはだかり 手に血刀を握っていたそうです。



「刀は 犯人の所有物でした」


「まさか・・・。 15、6の少年が ならず者3人を相手にか?」



全身に刀傷を負いながらも 少年は 近づく警官に威嚇の声をあげ
巡査は あまりの恐ろしさに それ以上近寄ることが出来なかったそうです。


駆けつけたイ家の当主が声をかけた途端 奴は 崩れ落ちたとか。
「斬られていたのか?」
「巡査が言うには ”死んで当然の傷”だったと」


 


「・・・・・」


ふと指先に眼をやって 御大は 葉巻に火をつけ忘れているのに気がついた。
苦笑しながら口にくわえると 小此木が火を差し出した。


ふぅ・・


「巡査は固く口止めされ 事件は イ家の当主により隠蔽された模様です」 
「・・・・・」


 



御大は ジホの姿を思い浮かべた。


総督府の廊下に立ち止まり 光を背に 一瞬こちらを見た青年。
舞い始めようとするシテの様に 端整な仕草で挨拶した青年。


見た瞬間から 忘れ得ぬ強い印象を残す。 
その理由は あの者が身中に凶暴を飼うせいか・・


ふと 思いが頭をよぎり 御大は固い声を出した。
「奴の背後を探れ。 万一 あれが抗日分子であった・・・ら・・」


「・・・・」


「その顔は ・・すでに調べたか」
その気配はないのか?
「全く」


 


それではあの狼は 「ただ一途に 姫君を護る狛犬か?」


「・・・」


一瞬。 御大は珍しく 部下が微笑む所を見た。
視線を外して横を向いた中佐の 口元が 少し緩んでいた。



はっ・・・


愉快気に笑った御大は ルームミラーに眼をやった。


心得た運転手が 外に回り 後部座席のドアを開けた。


——


 


最初の訪問から半月も置かず 御大が イ家を訪れた。



「招かぬ者に 挨拶は要るまい」


怖いもの知らずのスジョンは つんと顎を上げて言った。
負けん気な頬が少し紅らみ ジホは思わず 柔らかく笑んだ。


「結構です。 それでは私が 代わりにご挨拶いたしましょう」


 


スジョンは少し不安になって ジホを 探るように見る。
ジホは 安心させるように ゆっくりと一度まばたいた。


「ジホ・・」
「大丈夫です。 姫様は そこにおられませ」
「!」



“だ・・いじょうぶです。 姫は・・そこへおられませ・・”


よろめきながら向けられた背中。 その肩越しに 血しぶきが飛んだ。


 


「ジホッ!」


弾かれたように手が伸びて ジホの胸倉にしがみついた。


スジョンはジホの この微笑を 遠い昔に見たことがあった。



外出できない日々に飽きて こっそり 屋敷を抜け出した午後。
大好きな守り役のジホに 追われることが楽しくて 
少し 困らせたかっただけなのに・・


「ジホッ! だめだ ジホ!」
「姫・・様?」 


「お前が 危うくなるのかっ?!」
「!」
「それなら! それなら 私は行くから!」


 


取り乱した水晶に ジホは驚き 眼を丸くした。
必死に胸元を握りしめて 小さな肩が震えていた。


「姫様・・」


狼は ほどけるように甘く笑い 華奢な背中を優しくたたいた。


「・・怖いことを 思い出されましたな?」
「私が 行く・・から」
「大した事ではありません。 決して 心配なさいませんよう」


 


スジョンは涙に濡れた眼で 腕の中から ジホを見上げた。
優雅なジホの手が伸びて 張り付いた髪を耳にかけた。


イ家の当主様が べそかきでは困りますな。


「本当に・・平気なのか?」
「私が嘘を申したことが ありますか?」



スジョンの震えが収まるまで しばらく胸で温めたあと
そっと腕をつかんで身を離し ジホは 静かに一礼した。


踵を返して行くジホの 後姿は穏やかだったが その眼は炯々と燃えていた。


 



ジホの姿を見た御大は 子どもの様な笑顔を見せた。


「どうした? 今宵は 水晶妃が挨拶に出て参らぬのか?」
「・・申し訳ございません」



礼儀正しく詫びながら ジホは 心を決めていた。


たとえ誰が相手であっても これ以上男の眼前へ 
安易に 水晶をさらすことは出来ない。


あの美しさを眼にした者は 驚き そして手に入れたがる。



まつ毛を伏せた狼は 密かな殺気をたたえていた。
「我が当主は 今だ 学生にございます」


未成年でございますれば 宴席へ度々のお呼びは ご容赦頂きたく存じます。
「ほぅ」
「まことに 勝手を申し上げますが・・」



・・そうか。 残念だな。
「?!」


あっさりとした返答に 思わずジホは眼を上げた。
視線が合うのを待っていたように 御大は 温かな笑みを浮かべた。


「・・・・」
「・・・・」


中将閣下は どことなく 親父様に似ておられる。


つかの間 呆然としたジホは 視線を感じて身構えた。
それとなく探った視界の端に 小此木中佐の無表情があった。



「・・のぅジホ? 水晶は ”あんな爺には挨拶せぬ”とでも申したか?」
「!」


はは・・まったく大した 気の強さよ。


「あれほど強気が似合う美人もおらん。 次は 機嫌取りの土産でも持参しよう」



満足そうに大笑すると 御大は それ以上の話を止めた。
腹が減ったとあぐらをかいて もう 水晶のことは忘れたようだった。


——


 


この日 スジョンが挨拶に出なかった事は 高官達の噂となり


そしてそれは 思いもよらないことに ジホを助ける結果となった。


中将閣下の御前にさえ 挨拶に出ない水晶を
それより下位の高官が 気安く宴席に呼ぶことは出来ない。



硬漢で知られたあの 御大が 水晶妃の高慢を気に入ったらしい。


まことしやかな囁きに 彼女を知る者は納得した。
それ程までに 水晶妃の怜悧な美貌は 稀有だった。


 



「・・・・」


読みかけの帳簿をはたりと置いて ジホは虚空へ眼をやった。
御大の瞳に垣間見えた 温かさにも似た あれは・・



思うまい。


狼は 己を戒めた。 ひと時なりとも 気を緩めまい。



水晶は安らかに眠っていた。 ジホは 眠りを護っていた。

 

 

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