09 水晶妃-氷と狼の物語-第9話

 

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城門のように巨大な門扉が うなりを上げて開いた時

黒木大佐は その威容に 喉が鳴るのを抑えられなかった。


何度となく 自分を撥ねつけて来た この両班に
「御大」が 直々交渉をしたという事実は 彼を ひどく驚かせた。


本当ならばこの自分が イ家の窓口になる筈だったのだ・・

申し入れの許可が欲しいばかりに イ家の料理を大仰に伝えて
食道楽の上官に いらぬ興味を持たせてしまったことに
黒木は内心 歯噛みしていた。

 


その日 中将の一行は 高官15名程になった。

車を連ねて来た幹部たちは イ家の豪壮さに 度肝を抜かれた。


総督府の高官が乗る巨大な車も 楽々と通す石畳。
両側には 韓服をまとった使用人が 粛々と 頭を垂れてゆく。

突き当りに 深淵のごとく静まって 一行を出迎えた若い執事は
男ばかりの客にさえ 息を呑ませる程の美青年だった。 

 

「な、なんだ! ここの者たちは どうして韓服を着ているのだ?!」

真っ先に 車を降りた黒木大佐が 居丈高に怒鳴りつけた。
再三 彼の要求を 断り続けたこの家に対して
虚勢を張らずには いられなかった。

「総督府は 国民服の着用を義務付けておるのだ!」

「相済みません」
本日は 中将閣下が 宮廷料理をご所望とのことでしたので・・
「貴様 口ごたえするつもりか!」


「・・黒木」

「?!」「!」
一行の中央に位置した車から 「御大」は 悠然と降りてきた。

先に降りた小此木中佐から 軍刀を取りながら 辺りを見回す。


「私が 所望したのだ。 本式の朝鮮宮廷料理を喰わせろとな。
 しかし これはどうして 大した屋敷じゃないか。なぁ?」
「は!」
「咎められるは この戦局に 韓式の宴を所望した我だろうかな」
「そ・・」


・・・この方で あられたか。

記憶に残るその姿に ジホは眼を細めていた。
泰然とした中将と 横に控えた中佐だけが 測り切れない器量に見えた。

——


イ家が誇る大広間は 優美と言うより 男性的な華麗さを持った座敷だった。

太い梁。 木彫を施した扉には 渋い銀の飾りが光る。

その広間に 軍服を着た高官が ずらりと並んで座る様は
軍事会議でも見るように ひどく威圧的な光景だった。

 


「ねぇジホ! お前 まさかあんな所へ ひぃ様をお出しするつもりかい?!」

物陰から覗いたインスクが 泣き出さんばかりにジホを責めた。
怖い顔した軍人ばかりじゃないか。

「インスク・・」
「あんな奴らを見たら ひぃ様は きっと泣き出してしまうよ!」
「・・大丈夫だ」

怖じる程度の お覚悟ではない。 
真っすぐに座敷の扉を睨みながら ジホはインスクと 自分に 言った。
「姫様は イ家の当主を負える御方だ」

 


「ありがとう・・ジホ」

「?!」

振り向くと そこに正装したスジョンが 供を従えて立っていた。
花嫁衣裳と見まごうばかりの 豪奢な絹をまとっていた。

いつもは女学生らしく下げた髪を 今日は 高々と結い上げている。
狼は いきなり鉄の棒で 胸を殴られたほどの衝撃を感じた。
「ジホも 一緒に参るのだろう?」

「・・・・・・」
「ジホ?」
「!! ・・勿論です。 私がご案内いたしますので 次いでお出ましください」
「うむ」


ジホがいるなら 私は 平気だ。

覚悟を決めた水晶は 無邪気な程に大胆だった。
黒曜石の眼が きらきらと輝き 紅色の唇には笑みさえ浮かべている。

中将閣下のようにお偉い方を 直に見るのは初めてだな。
「カイゼル髭かな?」
「・・・・」


狼は 凍るような恐怖を感じていた。 

見慣れた筈の自分が見ても 今日の水晶の美しさは まさに眼をみはるばかりだ。
それ以上に。 綺麗という言葉で言い表せない 胸を揺さぶる魅力があった。

間違いもなく 姫様は 軍人どもの心を奪う。

それが どれ程危険なことか 狼は拳を握りしめた。


「なあ ジホ?」

「!?」 ・・はい。
「中将様のお髭だ。 カイゼル髭だったか?」
・・・姫様・・・

微笑んでいる水晶は 内から光を放つようだった。
この笑みを 無防備に 人眼にさらすことは出来なかった。

 

・・・姫様は 努めて お笑いになりませんよう。

「うん?」
気安い者と思われて 足元を見られてはいけません。

「どうぞ 礼を失しない程度に 常のお顔でいられませ」

—–

 

座敷に居並ぶ高官達は 運ばれる料理に驚嘆していた。

朝鮮風の 床一面に金器が並ぶ料理は 見たことのあるものだったが
イ家の従者が次々と 眼の前に運ぶ品々は
天上の晩餐とはこのようなものかと 思わせる程に華麗だった。

置かれた料理の見事さから 男達が正気に返った頃

若い執事が広間の下座に 端然として 手を付いた。

 

「本日は ようこそお越し下さいました」

涼やかな眼をひたと据えた 狼の姿は美しかった。
そのまま扇を手に 立てば 能を舞いそうな端整さだった。

「お客様に 当主より ご挨拶を申し上げます」

滑るように ジホが横へ引き下がると 男達がどよめいた。
「・・ぉ・・」
「なん・・と・・」

 

後に 伝説の美貌と呼ばれた 水晶妃がそこにいた。

野太い男の嘆声が 地鳴りのように座敷を揺らす。

最初のどよめきが収まると 高官達は皆 息を呑んで 
広間は水を打ったように スジョン その1人だけを見つめていた。


「・・・」

水晶は 真っすぐ座敷に入り 瀬尾中将を正面に見た。
ようこそ イ家の屋敷へ お越し下さいました。

「中将閣下には チョルを お受けいただきたく存じます」
「・・・ぅ・・む・・」


しなやかな指を前にかざして 美しい額がうつむいた。

そのまま 絹をさら・・と鳴らして スジョンが床へ沈み込む。
なめらかな動きで 辞儀をする様に 高官たちは呼吸を忘れ

あたかも 天女が舞い降りるさまを 見ているように魅入られた。


水晶の頬が伏せられると ようやく 皆が息を吐いた。
間が悪そうに 互いを見合って 唖然とした自分をとりつくろった。

 

クンジョル とか言う礼であったな? 
「・・水晶妃よ」

御大が 何とか落ち着いた声をかけた。

静かに上げた眼差しに あらためて 驚嘆せずはにいられなかった。
何という 美貌。 
確か17と聞いた筈だが この落ち着きは 天性のものか。


どうにも愉快な気持ちになり 御大は 顔をほころばせた。
齢五十を超えた自分が 小娘に動じたのが可笑しかった。

「素晴らしい宴席だな。 手間をかけた」

「お口に合いますれば 嬉しゅうございます」


ジホの言いつけを忠実に守り スジョンは 凛と笑わずにいた。

それでも礼を失せぬようにと 口の端を薄く上げた様は
見る男に 試されているような焦燥感を 抱かせる力を持っていた。

 


黒木大佐は 眼にしたものが信じられなかった。

これほどまでに美しい女は ついぞ 見たことがなかった。
冷たい弧を描く細い眉は 少し 退屈そうに見えた。 


この美妃に 一体 何を与えれば 艶とした笑みを見せるだろう。
激しい動悸に戸惑っていると 偶然 スジョンがこちらを見た。

「冷めませぬ内に どうぞ お召し上がり下さいませ」

「あ・・・ああ」

 

その瞬間。 狼の眼が 光を帯びた。
黒木へ声をかけないようにと 姫様に 言うのを忘れたな。

それは ほんの一瞬で 誰の注意も引かなかった。

ただ一人。  糸の眼をした中佐だけが 狼の殺気を見つめていた。

—–

 

中将は 上機嫌で席を立った。

見送りに出た水晶が 軍靴を履く様を見つめている時
まるで たった今思い出したように 何気なさそうに御大は言った。

「これからも 立ち寄らせてもらおう」
「・・・・」
「構わぬな?」


いきなり切り込んだ中将に スジョンは 冷たく眉を上げた。

「・・それは お断り出来る話でしょうか?」
「総督府次席の申し入れだ。 断られる訳には まあ いかんだろうな」 

「是非もない。 断れぬ事なら 聞かぬがよろしい」


後は ジホとお話くださいませ。
水晶は 不機嫌そうに踵を返し その場にいた者を仰天させた。

 

お、おい! 中将閣下に 何という返答だ!

慌てふためいた高官達が 去ろうとする姫を 追おうとした。
眼にも止まらぬ程の素早さで 狼が 軍人の前に立った。

「な・・なんだ・・・」


「相済みません。 当主は 気分がすぐれないようです」

お叱りは 私が代わって伺いましょう。

ジホの言葉は慇懃だったが 追おうとした高官はたじろいだ。
狼の全身から 青い焔が 豪とばかりに吹き上げていた。

 

わっはっは・・!

誰かが 軍刀に手を伸ばしかけた時 御大が豪快に笑い出した。
「中将閣下?」


「これはまた 大変な鉄火肌だな」
どうやら 姫には いたくご機嫌を損ねたと見えるの。
「あの者は 閣下にご無礼を・・」

ああ、ああ、構うな。

「これ以上 機嫌を損ねたら 次は飯を喰わせてもらえん」

帰るぞ と 御大がその場を納めたので 高官たちも従うしかなかった。

—–


想像以上の 者であったなぁ・・


帰りの車中 御大は どこまでも機嫌良さそうだった。

乗り合わせた高官は 戸惑ったが
上官が 水晶妃を気に入ったと思い おずおずと彼に同調した。

「まことに 驚くばかりの美貌でありました」
「うん?」
そうだなぁ・・ あれ程の傾城はめったにいまい。
「だが もう一人はそれ以上だ」
「・・・は?」


他の高官が 車を降りて 小此木中佐と2人になると

待ちかねた様に 御大は 先程の言葉を繰り返した。

「想像以上であったな」
「・・・はい・・・」

小此木の返事が低かった。 御大は 面白そうな表情になり
気に入りの部下をからかった。

「お前でも 勝てぬ程か?」
「・・・・」
確かに 見たこともない殺気だったが 
「あれは 武芸の身ごなしではなかろう?」


「・・・御大」
「うむ」
ちらり と 中佐の視線が運転手を見た。
「気にするな 口の堅い男だ」
「は・・」

それでも しばらく沈思した後 小此木中佐が口を開いた。

 

どうにも気になったものですから 調べてみたのです。
「あ奴を? 何か出たか?」
「警察が隠蔽していました。 ・・あれは 人狼です」
「狼と?」

15か16。 まだ少年の頃ですが 3人ばかり殺しています。

「! な・・んと!」


御大の声も低くなった。 小此木は 密かに話しはじめた。

イ家では ジホがスジョンの短気を 静かな声でいさめていた。

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