07 水晶妃-氷と狼の物語-第7話

 

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総督府の 豪壮な高天井に眼もくれず ジホは真っすぐ歩を進めた。

上質の革底は石張りの床にも 余計な音を響かせない。


職務中の役人達は 思わず 彼を眼で追った。
それほどジホの存在は この空間に異質だった。

スタンドカラーの詰め襟と 比翼に仕立てたジャケットは
国民服とは名ばかりの ひどく上質な代物だった。


艶やかな黒髪は肩を越え かきあげた頬へ一筋かかる。

優しげと言える装いにも関わらず この 美しい青年は
研ぎ澄まされた刃の様な 危うい静けさをたたえていた。

——

 

黒木は内心 歯噛みしていた。

目の前の男はまだ若く 礼儀正しくかしこまっている。

自分の方は 重厚な執務室の椅子に 傲然と座っているはずなのに。
認めたくは無いが みぞおちの下から怖じ気がこみ上げて来るのを抑えられなかった。

 

「よ・・要請を 承諾出来ぬと申すつもりか」

制圧的に 投げるはずの言葉が 思わず乱れてよろめいた。
黒木は心中で舌を打つ。 いったい自分は・・何を 恐れているのだ。

「・・・何万立米」
「?」

金属類の徴収に 当家が 何万立米を供出申し上げたかご存知ですか?
帝国物資の海上輸送に 何隻 輸送船をお貸ししているかも?
「しかも乗組員共に、です」

当家は皇軍支援に関して 総督より感謝状も頂戴しております。
この戦局に 非協力を言われる覚えはないはずです。

「この上 私邸を借り上げたいと 仰せなのでしょうか?」
「・・・」
「当家の主人が 寝食している屋敷です」 
「・・・・」

 

ジホの眼は 何の表情も浮かべていなかった。
それでも黒木の喉仏は おののくようにゴクリとよじれた。

「お・・お前に話してはおらん! イ家の主は どうして来ないのだ?!」

あいにく当家は代が替わりまして 現在の主人は未成年にございます。
「ご用向きは手前が承ります」
「き、貴様は イ家の使用人だろうっ?!」


貴様は 族譜に連なる者ではあるまい。
「当方は ”イ家の者”と 相談をしたいと言っておる」
「・・・」
「使用人ごときでは 話にならん!」


黒木はやっと 瀬戸際で 打ち合わせ通りのセリフを吐いた。

ひた と自分を正面に見据えた 狼の眼に震えていた。


結構です。私では用が足りぬとのこと。 ご多忙中 お邪魔をいたしました。
「帰りまして 主人にその旨を申し伝えます」
ジホは静かに頭を下げ ドアまで辞して 振り返った。 

「・・・今回の要請は 総督もご承認のことでしょうか?」

「?!」
「どうぞ次回は 総督印のある召喚状をお持ち下さい」
「!!」

—–

 

石張りの廊下に 歩を進めながら ジホは怒りを噛んでいた。

「当方は ”イ家の者”と 相談をしたいと言っておる」

役人め。 ”そこ”を攻め手にしてくるつもりか。
あの分では奴らは容易に諦めまい。 また日を変えて 召喚を・・・
「?!」


突然 ジホの足が止まった。

すっと細めた眼で 廊下の先を探るように見る。
狼の慎重さが 猛り狂う怒気を抑え ジホは一瞬で平静をまとった。


コッ・・コッ・・・

窓から差し込む光の中。 悠然と来る人影は 将官の肩章を付けていた。
その後ろへ影の様に従う男は 中佐の肩章を付けていた。
自分の足を止めたものが 従者の放つ気だと知って ジホはそっと眼を伏せた。


コッ・・コッ・・  コッ・・・・

廊下の端へ控えている ジホの姿など見えないように 
2人の軍人は 静かに通り過ぎた。

立礼するジホと すれ違った瞬間
糸ほどに細い中佐の眼が 一閃 緊張の光を帯びた。

 

中佐は黙って数メートルを歩き 堪え切れずに振り向いた。
物静かな様子で去ってゆく青年の 背中を確かめずにはいられなかった。
「・・・・」

国民服を着ていたが 青年は まるで将校に見えた。

ぴしりと伸びた背筋のせいかと 中佐がいぶかしく探るうちに
廊下の端まで歩いた彼は 曲がり角で 振り向いた。

「・・・・」

「・・・・」
窓を背に 逆光の中へ立ち止まる狼の姿は美しかった。
中佐はつかの間 光に惑い ジホの視線を見失う。

ゆっくりと ジホがまばたいた後 その眼に浮かべてみせた色は

いかにも市井に暮らす者らしい おずおずとした小心だった。
「・・・・」


ジホが廊下を曲がった後も 中佐はその場を動かなかった。
光の中に垣間見た気がした あれは 錯覚だったのだろうか?


・・小此木・・・

「は!」
「面白いな。 あの若者は 誰だ?」
「・・はい」  黒木大佐の部屋から 出てまいりました。

はっはっは・・・

嬉しそうな御大の笑い声が 天井の高い廊下に響いた。
「調べろ。 お前がそんな風に動じる姿を 久しぶりで見た気がする」

 


「イ家の書生?」

半時後。 小此木中佐は 執務室の 重厚な机の前に直立していた。
「・・それは 黒木が以前に言っておった。美女がおるとかいう両班か?」
「はい」

黒木が その話をしていたのは 随分と前の事であろう?
「どうやら いい様にいなされ続けているらしく 大佐は大層立腹とのことです」
「ふん・・」

この大戦の只中に どこまでも下らぬ男だと 御大は黒木を冷笑した。

とは言え 皇国の大佐とあろうものが 
併合下の朝鮮で 両班にあしらわれるのは総督府の沽券に関わる。


「で? あの若者が イ家を取り仕切っているのか?」
「御意」
「ふぅむ・・」


御大は先刻 小此木の背中越しに ちらりと見たジホを思い出した。
光を背に 気取られぬ程に素早く見せた 眼光が忘れがたかった。
「小此木」
「は・・」

「水晶妃とやらに 一度 飯を喰わせてもらうか」

—–

 

車を降りたジホの前に 水晶の怒りが待っていた。

あれこれ思惑を巡らせ続けていたせいで ジホは とっさに虚をつかれた。


「どう・・なされました?」

「何故 お前が 総督府へ呼び出された?」
「!」
隠しているつもりだろうが 知っておるぞ。
「役人は 再々 何を言って来るのだ?」

 

「・・・姫様が ご案じなさる事ではありません」

努めて平静を心掛けながら ジホの返答はいらだっていた。
総督府で会った 男達の顔が 狼の心をざわめかせていた。

「私は この家の当主だ。 何の問題があるのか教えよ」
「ご心配には及びません。 どうぞ お部屋へ戻られませ」
「子ども扱いするな! ジホだって・・ ジホだって 書生じゃないか!」

 

“貴様は イ家の使用人だろう?! 使用人ごときでは話にならん!”

かっと 頭に血が上ったのは 黒木に言われた言葉のせいだ。
ジホはスジョンを正面に見据え 斬りつける様に言い返した。

「いかにも 私はただの書生だ!そして姫はまだ16歳だ。下がっておられよ!」
「・・じ、17だっ!」
「?」
「もう 子どもじゃないっ! 馬鹿にするな!」


・・じゅ・・う・・・? 

「!!」
スジョンの怒りを呆然と見つめて 狼は 心臓を飲みこんだようになった。
・・17歳・・・

この家に暮らし始めて以来 狼が 彼女の誕生日を忘れたのは
これが初めての事だった。
父を亡くし 独りになってしまった水晶の 今日が17の誕生日だった。

「も、申し訳もございません。 今日は 姫様の・・」
「誕生日の話などをしているのではないっ!」
「?!」

 

「おなごだから・・・小娘だから引込んでいろと ジホは申すか?!」

「姫・様・・」

この家は お父様が守って来た家だ。 今は 私に託された家だ。
それがどれ程 笑止な事でも 私は主の務めを負いたいのだ。

昔のまま ジホの背中へ 隠れ込んで 
斬られるお前の後姿を 黙って見ておれと言うつもりか?!
「私は 嫌だ。 ・・私だって・・お父様の遺志を継ぎたいのだ。ジホ!」
「!」

その眼から もしも涙がこぼれたなら 狼は彼女を抱きしめたろう。

だけど スジョンは泣かなかった。
悲しみと それに負けない強い意志が 氷の瞳を燃やしていた。
「・・姫・・様・・・」

 

は・・・

しばらく放心した後で ジホは 思わず笑い出した。
「本当に 大きゅう・・なられましたな」

それも なんと鮮やかで 凛々しい女性に育たれたことか。


庇護することだけを考えて来たジホは
腕の中から頭をもたげて いきなり咲いた大輪の花に 驚き 見惚れる心地だった。
女子だてらに 当主の責を負いたいと申されたか。

確かにこれは 親父様の後を継ぐ勇者であられるな・・


「よろしいでしょう。 それでは ご報告申し上げます」

—–

 

「イ家の者と直接 話をさせよと申したのか・・・」


スジョンの白く 小さな手が 膝の上で結ばれた。
うつむいた華奢なうなじを ジホは 気がかりそうに見た。

「方策は 私が考えましょう。 姫様は心配ご無用です」
いくら日帝といえども 道理に外れた要求を無理強いは出来ません。

 

「のぅジホ。 ・・平倉洞の叔父貴様に 名代をお願いしてはどうだ?」
「・・・・」

疑う事を知らないスジョンの言葉に ジホは 返事が出来なかった。
親族会議の成り行きと 今回の 総督府の召喚。
その間に 狼はある意図を見透かしていたが それを言うのははばかられた。

「叔父貴様なら きっと力を貸して下さる。 すぐにもお越し頂こう」
「・・・はい」


無邪気なスジョンに現実を見つめさせるのは 胸の痛むことだった。
それでもジホは 言葉を呑んで 彼女の言いつけどおりにした。

当主の責を負いたいと言った 決意を 見守ってやりたかった。

——

 

「申し訳ないが・・」

平倉洞のイ家の主人は さも気の毒そうな顔をして見せた。
「分家の身の私が 本家を差し置くことは出来ないのだよ。スジョン」
「・・叔父貴・・様?」


例え当主が女でも ”分家の者は 名代を果たせない”。
「それが一族の決まり事でな。逆らう事は 出来ないのだ。悪く思わないでくれよ」
「・・・・」

ま、まあ この家は執事が有能だから 心配するには及ばんだろう。

「本家のことは本家が決する。 大変だろうが しっかりおやり」

 


客の帰った応接間に スジョンは じっと座り続けた。

ジホは 彼女の傍らへ立ち 痛ましげに眼を伏せていた。
こんな思いをさせる位ならば やはり 黙っていれば良かったか。
今更ながらの後悔に ジホは 唇を噛んでいた。

「・・・ジホ」

「はい」
わかめスープを 持って来させよ。
「は?」
「インスクが作っているはずだ。 お前の分も 一緒にな」

 

戸惑う狼を振り仰いで 水晶は 晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
・・姫・・様・・・?

「ジホ。 世の中は 甘くないな」
「!」
「親族は頼れるものと思うておった。・・ジホは 断られるのが判っていたか?」
「・・・」


「今日はな ジホ。 ”当主スジョンの誕生日”だ」
ようやくヘソの緒が切れた 情けない 世間知らずの当主だけどな。
「ジホがおるから 平気だ」
「!」

「・・・誕生日だから わかめスープを飲もう」

鼻の奥が ツンと焼けるばかりの熱を帯びた。
ジホが何とか平静を保てたのは まさに意志の力だった。


侍女に命じて 待つ間もなく運ばれたスープは熱かった。
スジョンは ひとさじ口へすくうと ほどけるように微笑んだ。

「熱いな・・」
「はい」
・・・インスクは 裏で立ち聞きしておったな。

「侍女頭は それが仕事です」
「安いわかめを使いおってと 小さい声で言ってやるか」
「お止め下さい。 怒って 杓子を振り上げて来ます」

クックック・・・


もう夜更け。
スジョンはスープをすすりながら 可笑しそうに笑っていた。
その眼が ひと粒雫を落として スープに小さな輪を作った。


狼は 生まれたばかりの当主の横で 見えない大きな腕を広げ

愛しい強がりを 抱きしめていた。

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