06 水晶妃-氷と狼の物語-第6話

 

siusyo.jpg 

 

 

「追い返されて 来ただと!」


「はっ! それが・・あの屋敷では先月 主が亡くなりましたそうで」
「退れっ!」

部下が 最敬礼して引き下がった。
黒木は荒い息にあえぐ肩を ぎりぎりの意地で抑えつけた。


イ家への打診を始めてから はや数ヶ月が過ぎていた。

この名門の 敷居の高さは 黒木の想像を遥かに超えた。
何より しゃくに障るのは
使いの役人が 揃いもそろって 相手の言い分を認めて来る事だった。

反抗的に出て来るのならば 即座に難癖がつけられるものを
小賢しくも 先方は 礼儀を尽くす姿勢を崩さなかった。

 


「・・・何とかすると言ったのは お前だぞ。 どうするつもりだ?」

執務室の椅子に沈み込んで 黒木は 憮然と問いかけた。
「今度は”主が亡くなりましたので”と 一年の喪に服すつもりじゃないか?」
「それは ご心配なく」

部屋に置かれた衝立の陰に 潜んでいた男が 答えた。
言葉の抑揚がつたないことで 男が日本人でないことが知れた。

 

「兄の逝ったあの家に 以前の力はありません。忌中が過ぎるまで お待ち下さい」
「そうなればお前が本家を継いで 自由にできるというわけか?」


・・・そこが 難しい所でして・・・

平倉洞のイ家の主人は たくわえた髭を悠々と撫でた。
自分が本家を継承すれば スジョンは分家として引込んでしまう。


あの家には 狡猾なジホが付いているからな。
主人は苦々しく思い浮かべた。

あの 馬鹿馬鹿しい程の忠義者は 姫様大事とばかりに守りを固めるだろう。

下手に立ち回れば 自分の方が 本家の屋敷と娘を日帝に売ったと
周囲のそしりを受けることになる。
それだけは 何があっても避けねばならなかった。

「私に 考えがございます。 どうぞ お任せください」

——

 

「ジホ。 どこだ・・・ジホ!」

スジョンの声が 廊下に響いた。 
ジホは調べ物の手を止めて 冷ややかな眉を わずかに上げた。

足音も高く来るスジョンは 国民服に身を包んでいる。

年が変わり 日本の戦況が激しくなる中で
外地にある女学校にも 国民服が制服として定められた。

 

「ここか ジホ。 何で返事をせぬ」

「・・・足音が高うございますな 姫様」

年頃のご令嬢がドタドタと 慎みの無いこと極まりない。
調べ物へ眼を伏せて ジホは たしなめる声で言った。
「何かご用ですか?」

「ああ それだ。 どうして出かけては駄目なのだ?」
気晴らしにと 貴子が 家へ呼んでくれたのに。


貴子様ならば どうぞ家へお招き下さい。迎えの車を手配しましょう。

「遊びに行くから楽しいのだ。ここでは気晴らしにならない」
「忌中は 外出を控えるものです」
「ジホは・・・生活指導の 先生よりうるさい」

不平らしく唇を尖らせ スジョンは盛大にふくれている。
狼は 素早く視線を走らせ 彼女の顔色を瞬時に探った。


「親父様」が亡くなって ひと月余が過ぎていた

スジョンも 学校へ通い始めるようになり 
ようやく 落ち着きを取り戻してきた様に見える。

今日は 彼女の眼や頬に泣いた跡がない様子なので ジホは密かに安堵した。

 


「ちょうど良い。 姫様に お話がございます」

そこへ と場所を示す前に スジョンが間近く腰を下ろしてしまったので
ジホは仕方なく椅子を立ち 用心深く距離を取った。


葬儀以来 狼は 頭を痛めていた。

スジョンの涙に動転し 抱き寄せ 慰めてしまったせいで
数年も慎重に彼女を遠ざけて来た努力が すっかり無駄になっていた。

ジホを頼りに思うスジョンが ことごとに 自分へなついて来る。
人眼をはばかり 出来るだけ突き放さねばと思うものの
親を亡くした彼女が不憫で 冷淡に徹するのは難しかった。


いや・・違う。

ここが問題だと ジホは思う。

あの夜 腕に抱いたスジョンは 昔のいたいけな少女ではなかった。
震える手が すがるように胸元をにぎった時
ジホは まるで心臓そのものを つかみ取られた気持ちだった。


「ジホ・・」

我に返って振り向くと スジョンが小首を傾げていた。
「貴子の家へ行くのは どうしても だめか?」

「・・・」
ほんの一瞬。 ジホは 視線を避けるのが遅れた。
まっすぐ捕らえてしまった瞳が わずかに寂しさを浮かべている。

ジホは 静かに眼をそらし 諦め顔で息を吐いた。
「・・話が済んだら 送らせましょう。 お帰りは遅くならないように」
「うむ わかった」

不機嫌なジホにはばかりながらも スジョンは嬉しそうだった。
心の中で舌を打ち ジホは 己の甘さを呪った。 

 

「忌中が開けましたら すぐに 親族の集まりがございます」

恐らくはその席で 本家の家督移譲 という話になると思われます。
「私は ・・この家から移るのか?」
「いいえ それは」

平倉洞の叔父貴様は 維持の難しいこの古屋敷をお望みではありませんから。

「こちらの家はそのままで 権限だけの移譲になる筈です」
姫様が嫁がれましたら 後は 一族の資料館にでもなさるでしょう。
「この屋敷には 膨大な量の 貴重な文献がございますから」


つぶやくように言いながら ジホは 淡い笑みを口元に浮かべた。

権限が 平倉洞へ委譲になれば 
この家が スジョンが 負っている本家の重責もなくなる。

手広い事業の実権は 穏便に他家へ引き渡せばいい。
その後は 姫様に良縁を得て 嫁がせることだけが自分の使命だ。

スジョンが嫁ぐ日にまで想いを馳せて ジホの胸は 甘く疼いた。
・・花嫁衣裳をまとった水晶は この世ならぬ程に美しいだろう。


ところが 翌週の親族会議は 思いがけない展開になった。

——

 

「何と・・仰られました?」

「聞こえなかったか? イ本家は 長子相続である。
 この家に長子がいる以上 本家は移譲しないと言った」
「それはあの スジョン様が・・家督を継ぐという事でしょうか?」
「そうだ」

平倉洞のイ家の主人は 傲然と胸を張って答えた。
イ家の大広間には 親族がずらりと並んでいた。


最上席に座った スジョンは 微動だにせず座っている。

末席に控えたジホの声は 気色ばんだものになった。
「スジョン様は女子でございます!」
「珍しい事態だが 止むを得まい。 イ本家は 当面女性が当主となる」


・・・どういう事だ? 

静まり返った満座の中へ ジホは困惑の視線を投げた。
長子が女子でも家督相続だと? そんなことは 家伝禄の何処にも無いはずだ。

だが そこを突く事は出来なかった。
家伝録をひも解けるのは 表向き 一部の親族に限られている。


「・・親父様は 姫様を嫁がせると仰せでした」

ああ そうだな。スジョンが他家へ嫁いだ場合は 家督移譲となるだろう。
「それでは嫁がれるまでの期間のみ 姫様が イ本家ご当主という事ですか?」
「いかにもな」

これは親族も皆 承知の事だ。 本家の書士にも記させるが良い。
平倉洞のイ家の主人は 心得顔で座敷を見渡す。

どうやら根回しがされているらしく 一座に異を唱える者はなかった。

 

「どういう事だ?ジホ。 女の私が・・当主になったのか?」

左様でございます。 
「とはいえ他家へ嫁がれるまで。 暫くの間 という事です」
「聞かぬ話だな。 総本家の当主を女が務めるのか」
「・・・イ家典範との事なれば」

スジョンの問いに答えながら 彼女以上に ジホがいぶかしんでいた。

誰よりも 本家移譲にこだわるはずの平倉洞が
スジョンの家督相続を言い出した 真意を測りかねた。

——

 

忌中が過ぎ 半月程も経ったある日 総督府からの召喚状が来た。

『先般申シ入レノ件ニ関シ 貴家御当主ノ 登庁ヲ請フ』


「・・・・・」
書状を見つめる狼の眼が 刃物の様な光を帯びた。

度重なる打診を かわし続けて来たジホだったが
今回 先方が送ってきたのは 公式な召喚状だった。
いかにイ家が名家でも 表立ってこの文書に逆らうことは出来ない。

・・ここまで して来るか。

 
何があろうと水晶を 総督府などに行かせる訳にはいかない。

彼女はまだ 16歳だ。 未成年ならば代理人が登庁することの言い分は立とう。

 

ジホは すらりと立ち上がった。
その肩先から 青い焔が 両翼を拡げて吹き上がる。

「総督府へ行く。 国民服を用意しろ」

 

眼前に 朝鮮総督府の豪壮な庁舎が 睥睨するが如く建ちそびえた。

狼は 怒りに濡れる獰猛な牙を 巨大な相手に剥いてうなった。

sign_boni.gif

 

 

 

 

 

 


 ←読んだらクリックしてください。

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*