05 水晶妃-氷と狼の物語-第5話

 

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氷の眼をした 水晶妃は どうやら心も凍っているらしい。


葬儀場の喪主席に 凛と座り 涙も見せずにいるスジョンの姿に
弔問客は 陰口を交わした。

“たった一人の父親が死んだのだ。 泣き崩れるのが普通だろうに・・”

 

死者を嘆き悲しむことを 供養と思う慣習に従い
代哭(泣き女)たちが大仰に 哀号 哀号 と泣く中で
スジョンは1人 端然と背筋を伸ばしていた。

血の気のすっかり引いた頬は 青ざめるよりも白く見えた。

まばたきもしないその瞳は 潤みの為に 黒々ときらめき
この日 スジョンの美しさは 見た人を震え上がらせる程 壮絶だった。

—–

 

戦時下という状況に配慮して 父の葬式は 密やかなものになった。

それでも 本家主人の葬儀とあって 弔問客は数百をかぞえ
料理で知られた家柄の故 斎の振るまいも相当な規模だった。

 

ジホが 総ての指揮を取った。 

外厨房を司った族譜は 葬儀に際しても 膨大な決まり事を持っている。
主を亡くしたこの家が どの様な儀式を執り行うか。
本貫を同じくする親族は 冷ややかな興味で傍観したが

この年若い代行は 異の唱えようもない采配で 見事に式を執り行った。

 


夜半過ぎ。 弔問客が引き上げた後で ジホはスジョンを振り向いた。

意地を張るように伸びた背筋。 心持ちうつむいた首筋が まだ少女の細さだった。
ジホは わずかに目元をゆがめて スジョンの傍へ歩み寄った。

「姫様 少しお休みなさい」

じっと祭壇を向いていた かたくなな頬が振り返る。
スジョンはジホを見つめたが その瞳は 何の感情も浮かべていなかった。
「・・・・」

「明日もあります」 
「・・・・」
「気の張り通しでは 身体が持ちません」
「・・・・」

姫様・・と 狼の声が険しくなりかけた時 スジョンの身体が崩折れた。

 

インスク!

切り裂く声に侍女頭が見ると ジホがスジョンを抱えていた。

「ひぃ様?!」
「寝間を支度しろ!」

湯と温かい飲み物だ。 医者に往診を手配しろ。
矢継ぎ早に指示を出しながら ジホは廊下を滑るように進む。
しっかりと腕に抱えたスジョンの 蒼白な顔は見なかった。

もしも その顔を見てしまったら 正気が揺らぎそうな気がした。

——

 

強い心労でございましょう。 

「無理もないことですな。 ・・おいたわしい」

気休めですがと言いながら 医者は 栄養剤を注射して帰った。
医者と看護婦が部屋から去ると ジホも 静かに立ち上がった。

 

「ひぃ様を ・・・放って行くのかい?」

夜具に沈むスジョンの顔を 覗きこんでいたインスクが言った。
使用人達は 持ち場へ戻り
寝所には 病人と 2人だけが残っていた。


「・・姫様には インスクが付いておれ」

俺は 葬儀の間へ戻らねば。 眼を伏せたまま ジホが答えた。 
狼が自分を俺と呼ぶのは この侍女頭の前だけだった。
「俺は ・・・親父様の傍にいなければ」


「旦那様には 私がお付きするよ。 料理人達だって寝ずの番をしている。
判っているだろ ジホ? 誰かが支えて差し上げないと ひぃ様は折れちまう」
「・・・・」
「ひぃ様は お前を 身内の様に思っているんだよ」
「・・・・」


インスクは 節くれだった手で スジョンの髪をそっと撫でた。
この侍女頭は 早くに逝った女主人の代わりに スジョンを育てた乳母だった。

「お可哀相に。 大好きなお父様を亡くされたのに 泣くこともしない」
「・・・・」
「どんなご名家か知らないけれど ここのご親戚は 情無しばかりだよ。
 何が”戦局をはばかって”だ。 通夜も早々に 引き上げるなんて」

大体 ひぃ様はまだ たった16じゃないか。

「誰一人 後見役を言い出さないのはどういうことだい?!」
病人の寝顔を気づかいながら インスクは 口惜しげに毒づいた。 

 

「後見という事は 一族を仕切ることだ。 容易には・・言い出せないさ」

どうせ 何処ぞで話し合いをしているのだろう親族を ジホは苦く思い浮かべた。
真っ先に 権限移譲を言い出すと見えた 平倉洞イ家の主人が
沈黙して去ったことも 気になっていた。

狼は おずおずとした眼を スジョンへ向ける。
寝具の中で青ざめて眠る 水晶のはかなさに 胸が痛んだ。

 

・・・・ぅ・・ん・・

「?!」「!」

スジョンの意識が戻りかけたのを見て インスクは素早く立ち上がった。
「私は お茶とお粥でも持ってこよう。 ここを頼んだよ ジホ」
「インスク!」

首尾よくジホを置き去りにして インスクは にんまりほくそえむ。
ここに 決して裏切らない味方がいることを 
目覚めた時 ひぃ様に知って欲しかったのだ。


あたふたと侍女は去ってゆき ジホは 呆れて息を吐いた。

外に向かえば どれ程強気にもなれる狼だが こんな場面は苦手だった。

 

「・・・・・・・」

「・・気・・がつかれましたか。 お加減は・・如何です?」

胸の内でインスクをののしりながら ジホは 不器用に腰を下ろした。
スジョンの襟元から覗く 華奢なうなじからは眼をそらした。

・・・ジ・・ホ・・・・

「気を張り過ぎたのでしょう。お休みになることです」

助けてくれ。 狼は ほとんど取り乱していた。
細く 弱々しいスジョンの声に 身が切り刻まれる想いだった。

 

ふらふらと スジョンが夜具から身を起こそうとするので
ジホは 思わず止めようとした。
その手を スジョンの白い手が 高い音を鳴らして打った。

「!?」
「・・・触・・るな・・」

ロウのように色を失くした スジョンの頬が引きつっていた。
「・・・釜山の爺様が・・斎の料理を・・褒めておった」
「?」
「あれは イ家本式の斎の料理だと。 お前が・・采配したのだろう」


氷の瞳に怒りをたたえて スジョンは ジホを見据えていた。
「あんな・・献立は 一朝一夕に組めるものではない」
「!」

「お前は・・以前より・・考えて・・・準備も・・しておったろう?」
「・・・・・」
「お父様の病を気づかう顔をしながら 文書を調べ 段取っていたのだ」
「・・・・・」


いきなり切りつけられた言葉の刃を ジホは黙って 身に受けた。

葬送に備えて準備する事を 誰よりも 自分が許せずにいたから
スジョンに今 それを罵られるのは むしろ本望とさえ思えた。

親父様に言えなかった詫びを ジホは スジョンに向かって言った。 

「・・・申し訳・・・ありませんでした」

 


眼を上げたジホが驚いたことに スジョンは 涙を浮かべていた。
堰を切ったように流れ出た涙が 音を立てて夜具へ落ちた。

「・・・ジホは・・馬鹿だ」

なぜ 言わない? 
大事の儀式に粗相があれば お父様の面目が潰れるのだと。
本当なら 子の私が それをやらねばならぬのだと。

「・・私が 何も出来ぬからだ・・」

・・・泣くことすらも・・出来ぬ・・からだ・・・
「姫様!」


くらりと傾いだスジョンの身体を ジホは 思わず抱きとめた。

腕の中のかぼそい肩が 抱えた重荷に 打ちのめされていた。


ジホは 周りをはばかるのも忘れ スジョンの身体を引き寄せた。
胸へ深く包み込み その髪に頬を押し付ける。

スジョンの柔らかさも 娘らしい香りも 
今のジホには気にならなかった。
狼にとって水晶は 愛おしく ただただ大切なものだった。

 

「姫様は ・・・立派に喪主をお務めでした」

あの場の誰より 姫様が 親父様を悼んでいたのは分かっています。
「親父様も そう判っておいでです」
「・・・・」

スジョンはしゃくり上げながら ジホの胸で身をよじった。
駄々をこねる子へ言い聞かせるように 
ジホは スジョンを強く抱いて 彼女の動きを封じ込めた。

姫様はまだ16だ。 一度に 何もかも背負おうとしてはいけません。
「ジホが おりますから」
「・・・・・」

何があっても ジホがお傍におりますから。

——


夜は しんしんと冷えていた。

弔用の 真白いチマチョゴリを着たスジョンの背中が 
寒そうに震えていることに気づき
ジホは片手で夜具を引き寄せると スジョンの身体を包み込んだ。


障子の向こうに何かが動いて ジホは ハッと眼をやった。

インスクだろう。 盆を掲げた人影が 廊下でしばらく立ち止まり
スジョンのか細い嗚咽を聞くと 黙って 来た道を下がって行った。

 

腕の中の泣き声が 次第に 途切れがちになった。
ジホの胸に顔をうずめて スジョンは 寝息を立て始めた。

白く凍えていた頬に 少し 血の気が戻るのを ジホは安堵で見おろした。

まだ いとけない子どもだった頃。 
こうして 水晶を抱いてやった日もある。
自分の後を追いかけるスジョンは 小鳥のように愛らしかった。

だからこそ スジョンに娘の兆しが見えた頃から
慎重に 距離を取ってきたジホだった。

無邪気に自分になつくスジョンに 噂が立ってはならないと思った。 ・・なのに

 

“まったく 俺は 何をしている”

親父様が 逝かれた晩に スジョンを胸に抱いているとは。
腕の中に抱えた身体の 柔らかな感触に眼がくらみそうだった。
決して近づいてはいけないものを 今 自分は抱きしめている。

それでも ジホは動けなかった。
やっとスジョンに訪れた つかの間の安息を壊せなかった。


・・・・・ん・・・

華奢な手がジホの胸を這い しがみつくように服を握った。
ジホの眉が 困ったように上がる。
この手は 彼女を横たえる時に そっと外さなければならないだろう。

腕の中が温かいのか スジョンの寝顔が安らいでいた。
もう少し。 彼女が深く眠り込むまで こうしていることを自分に許そう。

 

「・・大きゅう・・なられたな」


怜悧な仮面をしばし外して ジホは スジョンへ微笑みかけた。
狼の眼が 愛しげに この上もなく優しく揺れる。


スジョンはその時 眠りの中で 幼い時の夢を見ていた。


 

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