04 水晶妃-氷と狼の物語-第4話

 

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役人の来訪を告げられた時 ジホは 表情も変えなかった。

「総督府からか」


「・・どういたしましょう?」
来たのは日本人?
「いいえ 朝鮮人官吏です」

「・・・・」

鋭利な眼を静かに伏せて ジホはしばらく考えに沈んだ。

弥勒の思惟像を思わせる青年の うつむく姿は美しかった。
使用人たちは状況も忘れて その端整なたたずまいに見とれた。

 

この屋敷の主人が病に伏せって もう2年。

圧倒的な求心力で君臨していた 大旦那様が倒れても
名家が揺らがなかったのは ひとえに この青年の力だった。

 

「ジホに 任せろ」
病の床から主人が言った時 最初は 誰もが冗談と思った。

この書生の忠義と賢さは 使用人達にも知られていることだったが
イ家の事業は 年若い青年が 指揮を取れるような規模ではない。

ところが 彼は 主の代理を任されるや 
呆れるばかりの明晰さで 周囲の懸念を霧散させた。

 

「・・・」

眼を上げたジホは 微笑んでいた。
それではお客様には 正面へ回っていただこう。
「大門を開けなさい」

「大門を?」
「客人には ”総督府からのお使いを 通用門では迎えられません”と伝えよ。
 大門の内側には 迎えの者を出来るだけ多勢 並べなさい」

下の者は失礼にならない程度の軽い礼で 客を迎えればいい。
「中へ入れたらインスクが応対しろ。 供の2人ばかりも従えて な」
「・・まぁ」


このあたしを 露払いに使うおつもりなのかい 「ジホ様」は?
察しのいい侍女頭が 心得顔でにやりと笑う。

「それでは 官吏などが飲んだこともない お茶をご用意させていただきましょう」

 


巨大な門が うなるように開いた。

門の内には 使用人が ずらりと並んで迎える。
礼儀正しく眼を伏せた小者達は 役人にへつらう様子もなく
彼らが着ている韓服は 官吏の自分が着る物よりも 遥かに上質だった。


・・これが・・・本物の両班・・か・・

居丈高に踏み込んだ総督府の役人は 思わず ごくりと喉を鳴らした。

両班という身分制度そのものは すでに消滅していたが
権力の族譜を 連綿と重ねてきた名家は
日帝統治下の朝鮮にあっても 厳然とした力を持ち続けていた。


邸内に入った役人は その豪壮さに息を飲む。
たとえ王侯貴族が賓客であっても 悠々と 迎え入れられる程の格式。

脇持を連れた堂々たる侍女頭が 執事が少し遅れると詫びる頃には
役人は 完全に雰囲気に飲まれていた。

 


「断わられた・・とは どういうことだ?」

総督府内の執務室で 黒木が部下を詰問した。

「で、ですから。 先方の主人は病気で 面会は叶わないとのことで」
「それで? はいそうですかと引き下がって来たのか?」
「そ、それが。 ・・はぁ・・」


上司に言われるまでもなく 部下は 首をひねっていた。

先方は 決して反抗的ではなかった。
役人を迎えた若い執事は 物柔らかに礼儀を尽くしてもいた。

しかし 話が終わってみれば 要求は見事に断られていたのだ。


「・・こ、こう申し上げては何ですが ああいう両班のご大家の方は
 役人に呼ばれたからと おいそれと出てくるものではありません」
「もういい!」

差し向けたはずの下役人が 役に立たないばかりか
先方の格式に怖気づき 「ご大家の方」などと言い出すのを聞いて 
黒木は 歯噛みする思いだった。


堅固に守られた 深窓の水晶と言うわけか。

しかし黒木は おいそれと それを諦めるつもりもなかった。

——

 

黒塗りの 巨大な車が校門に停まり 
ショーファーが 後部座席のドアを開けた。

スジョンは 進明高女の制服である 黒いチマチョゴリで降り立った。


この学校の校是である 背筋を伸ばした歩き方は 
冷然としたスジョンの美貌を 一層 近寄りがたいものに見せて
同窓の少女達は 気圧されたように 遠くから控え目に挨拶をした。

 

♪いっち、にぃ、いっち、にぃ・・・ 

「?」
間延びした陽気な掛け声が 体操場から聞こえてきて
スジョンは 片眉を少し上げた。

通りすがりに中を覗くと 女学生が1人で行進をしていた。


取り澄ましたスジョンの顔に 悪戯そうな笑みが浮かぶ。
どうやら 彼女の親友は またも教師にお目玉を喰らったようだった。

「貴子。 今日は 何をしでかした?」
「あ 晶さん!」

ふくれっ面で歩いていた女学生は スジョンを見ると 駆け寄ってきた。
モダンガール風と本人の言う やたらと短いオカッパ髪が飛び跳ねる。

晶さん と 親友はスジョンを日本名で呼んだ。

1940年の創氏改名以来 生徒達は校内で韓名を称すことを禁じられていた。

とはいえ 李王家によって創設され 上流階級の子女が通うこの女学校は
日本の梨本宮家とも縁が深く 教師もほとんど朝鮮人だったため
戦時下でも比較的 皇国教育が緩やかだった。

 

「朝から”正常歩行10周”か? 鍛錬の良いことだな」
「もぉ。 冗談じゃないわよ」
「何をしたのだ?」

うふふ・・ こ・れ♪ 

貴子は得意げにしなを作ると 革の編み上げ靴を履いた足を
チマの裾を持ち上げて 見せびらかすように突き出した。


「うちの職人に作らせたの。 素敵だと思わない?」
なのに先生ったら 戦時下になんたる不謹慎とおっしゃるのよ。
「”軍靴を真似したんです”って答えたら もうカンカン」

あ~あ 格好いいのになあ・・


どうやら 教師に叱られた事よりも 
新しい靴を禁じられたのが残念らしく 貴子は 唇を尖らせる。

まったく これだからこの友は 年がら年中お目玉を頂戴するのだろう。
はねっかえりを心配した親に 無理矢理 受験させられたという
淑女育成で高名なこの学校で 彼女は明らかに異端児だった。


それでもスジョンは この友に 親しい気持ちを持っていた。

高慢そうで近寄りがたいスジョンの外見に 怖じることもなく 
屈託のない声をかけてくる貴子がいなければ
この学校には 誰一人 友達と呼べる者はいなかっただろう。

 

「・・・ねぇえ・・晶さん。 今度 集会に行かない?」

「集会?」
「え~とね 民族決起運動だって」
イデオロギーとか ・・よくわかんないけど 素敵な美男子が話をするのよ。

いったい何が目当てなのやら 貴子はそんな事を言う。
好奇心の強い 無鉄砲な友に スジョンは苦笑するしかなかった。

 

「人の集まる所へ行くのは ジホが 許さないだろう」

「お宅の鬼軍曹殿? 彼の君 この頃はどうなさっているの?」
「ジホは・・いつも変わらぬ」
しんねりむっつり仕事をしておる。 好かぬ奴だ。

 

つんと 不機嫌そうなスジョンの顔を 貴子は盗むように見た。

・・そうかなぁ・・・

この麗しい友人は 口では さも嫌そうに言うけれど
どれ程 自分が誘っても 「ジホ」に言いつけられたことに逆らわない。


貴子は スジョンの家を訪ねた時に 垣間見た彼を思い浮かべた。

静かに会釈をしただけで 眼を奪われる程の美青年は
冷淡な口調にも関わらず スジョンを守護する神のように見えたし
視界の端に彼がいる時 女友達は 安らかな顔をしていた。

 

バタバタバタ・・・

講堂の高い天井に 突然 高い足音が響いた。


貴子達が振り向くと 女教師が 慌てた様子で駆け込んで来た。
「晶さん! ここにいたのね」

「先生?」
「お家から連絡が来ました!」
お父様の容態が 急変されたという事です。

「お迎えが 今こちらへ向かっているそうよ。早くお帰りなさい」

「・・・!」

 

女教師の言葉にも スジョンは取り乱した風を見せなかった。
それでも貴子は 親友の拳が 小さく 固く握られたことに気づいた。

スジョンが自宅に戻った時 彼女を迎えたのは 使用人達の泣き声だった。

 

 


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