03 水晶妃-氷と狼の物語-第3話

 

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「ジホなんか 大嫌い!」


繊細な刺繍の施されたポソン(足袋)が 手荒く 床へ投げられた。
「お父様の代わりを任されているからって 威張り散らして」

脱ぎ捨てられたチマのもつれをさばきながら インスクは苦く笑っていた。

 

 

 

「それでも ジホは忠義者ですよ。 お家の為に 本当に良く仕えております」


あの若さで 事業の目配りから料理人たちの取りまとめまでやってのけて。
ひぃ様のことも お大事と思えばこそ ああして厳しく言うのでしょう。

「大事なんて! ・・ジホは 思っておらぬ」
「ひぃ様・・」


子どものような不平顔で 憎まれ口を聞いたものの スジョンの反論は弱かった。


眼の中に残る 血だらけの背中。


「・・・・」

荒い息に肩を揺らしながら 少女の前に立ちはだかった少年。

侍女に言われるまでもなく 誰よりも自分が 狼の忠義を知っていた。

 

 

・・・♪・・

 

「?!」
インスクが下がってしばらくすると 戸外にかすかな音がした。

そっと 板戸を押し開ける。 
窓の下には むこう向きに座るジホの背中があった。
草を鳴らす懐かしい音色。 氷の頬が 花のように揺れた。


「・・・・・」

「機嫌を取ろうとしても無駄だ。 金輪際 ジホの言う事など聞かぬ」

精一杯の虚勢を張って スジョンはつんと顎を上げた。
そのくせ すぐに探る眼で 狼の反応をうかがう。
ジホは 慎重に周囲へ眼を配ると 懐から本を取り出した。

 

・・ジュール・ベルヌ・・・

「え?!」

「"敵国語"とあらば この時勢には禁制本です」
大きな背中は立ち上がり 尻のホコリを悠然と払った。
すらりとした長身がふり返り 青年の眼には笑みがあった。

「要りますか?」
「~~~~~」
「焚書にしましょうか?」
「!!!」


長い指が問うように 革の表紙を振っていた。
スジョンは餓鬼の如く腕を伸ばし ジホの手から本を奪い取った。
「貰って・・やる」

狼は 少し眉を上げただけで からかいの表情を封印した。

—–

 

"月へ行く などと言うことを 本当に人が出来るものかな?"

明るい午後の空を見上げて スジョンは ほぅとため息をついた。
窓辺へ身を乗り出した少女は 色気のない頬杖をついていた。


「物の理屈だけで考えれば 出来ぬことではないでしょう」

石のきざはしに腰をおろし ジホは背中を向けていた。
ほんの時折。 狼はこうして 少女に 昔の顔を見せることがあった。

「宇宙では 一旦動き出したものは止まらない。動力がなくとも進んで行きます」
「?! ならば 宇宙へジホを突き飛ばせば 月にぶつけてやれるのか」
「諸条件を計算できれば 可能でしょうね」


くすくすくす・・・

ジホの背中で水晶は 鈴の鳴るように笑っていた。
得意げなその笑い声を聞いて 青年はそっと口の端を上げた。

 


「・・叔父貴様のご用は 何でした?」

貴重な書物に頬を染める少女へ ジホは 柔らかく問いかけた。
「知らぬ」

・・姫様・・・?
「本当に!知らぬ。 ・・・平倉洞には 総督府のお客様が見えていた」
「総督府」


聞きとがめるような声を聞いて スジョンの眼から 高慢が消えた。
叔母に誘われるまま 見知らぬ客に挨拶しようとしたことが 
あるいは粗相だったか と不安になった。

「外・・厨房の事を聞きに来られたと言う話だ。 他は 知らぬ」
「・・・・」


端整な頬を静かに伏せて ジホは 考えに沈みこんだ。
自分よりも遥かに深遠を読む青年の 何かを思う後ろ姿に
スジョンはおずおずとした 視線を送った。

「・・いけなかったか?」

勢いをなくした水晶の声を聞くと ジホは 憂いを閉じこめた。
窓の下から立ち上がった時には 常の冷淡を身にまとっていた。


「あぁ おでかけ着は もう脱がれましたな」

「?!」 ・・・だ、誰ぞに 不謹慎と言われるからな!


「結構。 感心なお心がけです」
皮肉らしく せせら笑いをしてみせながら 
スジョンの美しい晴れ着姿を ジホは 密かに思い返した。


ようやく咲きそめた 大輪の花。 

それはジホが 何があっても 守らねばならぬものだった。

—–

 

京城:朝鮮総督府。

中央に大きな吹き抜けを持つ 4階建ての重厚な庁舎は
この国の王宮を壊す形で建設され 市街を 睥睨するように建っていた。

ドイツ人建築家が基本設計をしたという 豪壮で 陰鬱な建物の中心部。
日の光までが怖じたように 石造りの窓辺に立ちすくむ部屋で
黒木は背筋を伸ばしていた。


「・・本年度の朝鮮志願兵は 14万を超える見込み。
 入所倍率は45倍を越え 皇国堅持への意気軒昂であります!」
「北は?」
「現在 新義州付近にも露・中侵攻の気配はありません」
「んむ」

「・・・・」
表情の読めない将官に 黒木は肝を冷やしていた。

「御大」と呼ばれる眼前の人の機嫌を 万一 損ねることでもあれば
それはすなわちこの外地で 命運が尽きることを意味する。

秘密裏に運べる話ならば そうしたいのはやまやまだった。
しかし今回の目論見に 将官の承認は 不可避だった。

 

「ご報告は以上であります! ・・御大」
「・・・・」
「総督官房の方より ご相談申し上げたい案件があります」
「言え」

 

黒木大佐の申し出は 高級官僚向け接待場を設けたいと言う話だった。
内地の状勢が緊迫してきた状況下 高官が料亭遊びをしては士気にかかわる。

「とはいえ 密談の場は政治上必要。 個人邸を 接待場として置くのは如何かと」
「・・・」
「調べた所 市内に格好の場所がありました。
治安が良く人眼の少ない屋敷街にあり 申し分ない邸宅の規模です」

部下のくどくどしい説明を 将官はうんざりと聞いていた。

緊迫したこの時局に 接待の場など どうでも良かった。

 

「・・そこは外厨房の伝統料理を伝える家で かつては待令熟手(テリヨンソクス)
と呼ばれたような 高級料理人を数多く抱えております」

「ほぅ?」

李氏朝鮮の公式宮廷料理か。 
御大の眼に 今日初めて わずかな興味の色が浮いた。

黒木は機会を逃すまいと 勢い込んで 畳みかけた。


「先方へ申し入れをしたいと思います。 ご許可いただけるでしょうか?」
「ふぅむ」

そのような家なら 屋主は 筋金入りの元両班だろうに。
御大は 煩わしげな息を吐いた。  それでも外厨房の料理に 興味を引かれた。
「・・聞いてみるのは 良かろう」
「は!」

 

「黒木は ・・・何を企んでおる?」

下官が去ると 御大は 独り言のようにつぶやいた。
彼はあの 世故に長け 立ち回りの上手い参謀が好きではなかった。


「・・・料亭やら芸妓好きと聞いています。 大方は この時局をはばかって 
外聞を取り繕いたいと言う考えでしょう」

いきなり壁から浮き出たように 男が 御大の横へ立った。

とはいえ 黒木大佐が居た時も ずっと同じ場所に立ってはいたが
糸のような眼をしたこの部下は 陰者の如く気配を消すすべを知っていた。

 

「それに外厨房と言うと・・・或いは」

憶測かも知れない。 男は 口にしかけた考えを 途中で切って沈黙した。
「小此木」
「は」
「・・構わん。 言ってみろ 黒木は何を狙っておる」
「は」


外厨房に由来する邸宅と言えば イ家と称す両班かと思われます。
「確か 一人娘が大層な美人だそうです」
「娘?」
「水晶妃と別称がつく 京城(ソウル)一番の傾城だとか」


は・・ 小野小町か楊貴妃か と言うわけか?

御大の声には明らかに 軽蔑の色が混じっていた。
「総力戦の完遂を目指し 金融だ海上管理だと山積する問題を前に 女か?」

或いは・・と言う事ですが。
「まぁ そんな話だろう」

馬鹿馬鹿しい。 不機嫌に鼻を鳴らした将官は それきり 今の話を忘れた。

彼にはもっと重要な 考えるべき案件が山とあった。

—–

 

風の中へ歩き出した ジホの髪がひと筋なびいた。

「行くのか?」


「・・・」

残念ながら書生の身に 油を売る贅沢はありませんので。
「そろそろ窓をお閉めなさい。 あまり風に当たると 鼻水が垂れます」
「は・・鼻水なんか出ない!」


子どもみたいに扱うなと スジョンがいきりたっていた。

大股に歩を運びながら 狼は その声を背中で抱いた。

 

そして翌日。  総督府から イ家へ使いがやってきた。

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