01 水晶妃-氷と狼の物語-第1話

 

これは「JUNI」のお祖母さんとお祖父さんの若き日の物語。

話は JUNIのお父さん・ジウォンに赤ちゃんが出来たところから始まりますが
JUNIを読んでいなくても 独立した話としてお楽しみいただきたいと思います。
その場合はプロローグを飛ばして文中 ——- の次から読んでください。
 

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ビデオチャットを終えた後 しばらく 彼女は脇息にもたれて 

今しがた 聞いたばかりの報告を反芻していた。

「大奥様。 そろそろお休みになりますか?」
「うん?」
そうだねぇ。 シャンパンでも一杯飲もうか。
「シャンパン・・ですか?」


やや子が 出来たそうだよ。

「まあ!ジュニ様に? それはお楽しみですね」
「いや ジウォンだ。 ジュニの弟妹ができるって話さ」

・・は・・?!

 

 

フリュートグラスが置かれると 女主人は 周りの者を払った。

華やいだ金の泡を見ながら 話をしたい相手がいたのだ。


「ひ孫を待っているはずだったけどね。 ジウォンにまた子が生まれるよ」
コクリ・・とひと口 美酒を飲み下すと 
彼女は静かに眼を上げて 間続きの書斎を振り向いた。

 

古めかしい 豪奢な木彫りの椅子に座り その人は横顔を見せていた。

陰鬱で 冷酷そうに静まった瞳。
かつてその眼に捕らえられると 大の男でさえ震え上がった。

その眼はしかし こちらを見ない。 彼女はひそりと微笑んだ。
ジホは いつもああしてそっぽを向くが
黄泉へ棲む身となった今も 私が 心配でならないのだ。

「ジホの所へは まだ行けぬ。 もちっとここに見たいものが出来た」

 


“・・・ふ・・”

お好きなように。 狼に似た きつい眼が にこりともせずにまばたいた。

好奇心の強い貴女のことだ。 見たい事物は尽きないでしょう。
“ご存分に遊ばれてから 来られるが良い”
何も 急ぐことはありません。

 

冴え冴えとした横顔は わずかな執着も見せなかった。

突然 置き去られた気持ちになって 彼女は気弱に問いかけた。
「・・ジホは・・・ そこで待っておるか?」

“・・・・・”

問う声の中に 愛しい人の不安を読んで 冷たい表情にひびが入った。
ため息と共に眼を閉じた男は かき消すように椅子から失せた。
「ジ・ホ・・?」


ふわりと絹の袖がまわり 女の後ろへ 気配が立つ。

狼にも例えられた獰猛な牙と 氷の瞳を持つ男が
生涯をかけて守り抜いた水晶を 背なから 柔らかく包んでいた。
「ジホ」

“・・・・・・”


男には 体裁と言うものがありますれば。 
“女々しい物言いなぞは 望まれぬことです”
薄情な言葉とは裏腹に 男の声音には愛しさがにじんだ。

「ジホは・・ 待っているだろう?」

高慢しか すべを知らない姫の問いかけに 男は諦めの息を吐いた。
結局のところ狼にとって 彼女はかけがえの無い宝石だった。

 

“お眠りになられるがよい”

耳元へ深い声が囁いた。 狼の気が 恋人の周りを繭の様にくるみ込んだ。
“貴女が夢の水際へ来れば 抱いて差し上げましょう”

「あぁ お前に抱かれて星の話をしよう」
“・・星?”
「ジュニに聞いたのだ。 今度は 私がジホに教えてやる」

愛しい人の無邪気な自慢に 鋼の男が 薄く笑んだ。
“それでは お教えいただきましょうか”

「ジホ」
“・・・・”
「名前を・・呼んでおくれ」

そろそろ眠くなってきた。 間違わずお前に会えるように 名前を呼んでおくれ。
彼女の身体から 力が抜ける。 つかの間の彼岸へ落ちる人を 
大きな腕で抱きとめながら 狼は 恋人の名を呼んだ。


“・・スジョン・・・”

 

 

 

  ———————–  水晶妃  ———————–

 

 

 

 

自分はどうやら 人とは異なる姿をしているらしい。 

少女がそう自覚したのは 彼女がわずか5歳の頃だった。


自分を初めて見る大人が 必ず見せる 驚嘆の表情。
それが自分の容貌に向けられたものだと気づいた時 少女は
なんだ・・と 落胆した。


― 美しさなど つまらぬ。 

自分の特質が選べるものなら 賢さか 武芸の強さが良かったのに。

 

スジョンは 当時の常識から見ると いささか風変わりな娘だった。

その年頃の少女が 好みそうなもの。
人形にも 着物にも 可愛らしい飾りものにも 彼女は興味を持たなかった。


彼女の胸を震わせるのは 科学のことや歴史のこと。 
遥かな 見たこともない世界だった。
この広い世の中には飛行機を繰り 海を越えて行く者がいるという。

私がもしも男であったならば そんな世界を見ることも出来ただろうに。


比類なき美貌と 自分を褒める者たちは 必ずその後に言ったものだ。 
年頃になればお嬢様には 降る星のごとく縁談がございましょう。 
“お幸せなことです”

―・・・それの どこが幸せなのだ? 

彼女は無言で反論していた。 縁談やら婚姻などという話は 
何やら隠微で おぞましいもののように思えた。

 

少女の名前は スジョン(水晶)と言った。

宝石の名に例えられても 誰もが うなずくしかなかった。

鋭利な刀で切り出したような切れ長の眼と 
なめらかに透きとおる白磁の肌。
黒目がちの瞳は強く光り つんと笑わぬ表情が 氷の如き印象を残す。


性格は決して 傲慢ではなかったが
水際立った美貌の故に 
誰もが 彼女の前に立つと 物怖じするような気持ちになった。

 

10歳をいくつか超える頃になると 
この名家の令嬢は 京城(ソウル)の街でも話題となった。

“芍薬も恥じるかんばせに 氷の瞳をしているそうな”
“今に 稀代の傾城となる。どれ程のご名家へ嫁ぐことか”


そんな噂がささやかれ
いつとはなしに イ家の一人娘は「水晶妃」と呼ばれるようになった。

—–

 

「ジホ。 おらぬか  ・・・ジホ!」

石畳の庭を 歩く娘は チマを蹴るような速足だった。


薪を割っていた青年は 呼び声を聞くと斧を置き 
うつむいたまま 口の端を ほんの少し上げて微笑んだ。
「ここかジホ。 何故 返事をせぬ?」

 

「薪割りに 専心しておりましたので」

一人仕事の気楽さで 青年は肌脱ぎになっていた。
主家の姫は男の半裸へ 珍しそうな眼をやった。
「ずいぶん 身体を鍛えておるな。 胸がりゅうとして明王のようだ・・」

 

無邪気な好奇心に輝く瞳が 突然「それ」を見て 翳った。
青年の見事な胸板には 袈裟懸けに斬られた傷跡があった。

「・・それは あの時の傷か?」
「?!」

ジホは冷たい眼をこちらへ向けると ゆっくり 袖へ腕を入れた。
「そ・・んな傷が 残ったのか?」

彼女のきらめく表情が曇ったことに ジホは ひどい苛立ちを覚えた。
狼にとって水晶は いつでも輝いていなければならない宝だった。


「良家のご令嬢が 男の身体などを しげしげ見るものではありません」
「・・だがそれは あの時お前が彼奴らに斬・・」
「姫!」


ビリ・・と 周囲の空気が振るえ 庭木の鳥が飛び去った。

狼の咆哮は一瞬で 屋敷の中庭の時間を止めた。
スジョンが並の娘だったら 泣き出すか 腰を抜かしただろう。
しかし彼女は ただ不満げに 口をへの字に曲げただけだった。

「大した傷では ありません」

「私のせいだ。そうだろう?」
意地っ張りが 怯えながらも 心配の言を繰り返す。
聞かぬ方だ。 ジホは冷めた頬をそむけて 少女の問いを断ち切った。

 

「御用は何ですか?」 

それ以外の話題は受け付けないとでも言うように  
ジホは 襟元をパンと合わせた。
主家の姫を前にして 青年には 一片の媚びもなかった。


世にも端整な青年の 不機嫌そうな横顔を見て
スジョンは 口元をほころばせた。

“これだから 私は ジホが好きだな”

この男だけは私をほめない。 追従も言わず へつらいもしない。
つまりジホは この私を ただまっすぐに見てくれる。


「平倉洞へ使いに行く。 ジホは供についてまいれ」
うきうきと ねだるように命じる姫へ ジホは冷淡な眉を上げた。

「侍女をお連れになって 車で行かれませ」
「ジホは 運転ができるだろう?」
「車を動かす為にショーファー(運転手)がおります。私は書生だ」


お嬢様の守役は 書生の仕事ではありません。

つんと顔をそむけるジホに スジョンは頬を膨らませた。
「薪割りだって書生の仕事ではないぞ!」
知っておるぞ。ガンホ爺の腰が悪いから 手伝ってやっているくせに。


「下男の助けはできても 私の相手はできぬと言うか」
「できません。 済まさねばならぬ仕事が溜まっております」
「!」

利かん気な柳眉が 憤然として逆立った。
氷の美貌を持つ少女は 今や かんかんに怒っていた。

「ジホの馬鹿!」

ちっとも 私の言うことを聞かん。 お父様に讒言するから憶えておれ。
怒りに頬を紅潮させ スジョンは踵を返して行った。
ぷりぷりと怒り 去ってゆく後姿へ 狼は柔らかな微笑を浮かべた。


・・変わらぬな・・

深窓のご令嬢が 書生風情を連れ歩いて 噂にでもなれば困ると言うに。
姫はご自分が乙女さびられたことに まったく 無頓着でおられる。


静かに息を吐きながら 狼は 胸を温めていた。

スジョンはこの時16歳。 軍靴の響きは まだ遠かった。

 

 

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